あなたが決める『常識』

 大昔から残る言い伝えに、こんな物語がある。

 中東の、とある砂漠地帯の、水がとっても貴重な場所での物語。



 とあるところに、村があった。

 その村には、井戸がひとつしかなかった。けれど、その唯一の井戸からはいつも豊かに水が汲め、干からびることはなかった。



 ある朝のこと。

 ひとりの若者が、気がふれておかしくなった。

 村の常識とは、全然違う振る舞いをするようになってしまった。

 そして、話はそれだけで終わらなかった。

 その後二時間のうちに、さらに10人ほどがおかしくなった。



 事態を重く見た村人たちは、原因を調べた。

 すると、あるひとつの事実が浮かび上がってきた。

 朝から、井戸の水を汲んでそれに口をつけて飲んだ者が、おかしくなっているのだ。家にある汲み置きの水だけしか飲んでいない者が、何ともないということも分かった。



 しかし。

 乾季の砂漠地帯にある街で、水を我慢することは不可能だ。

 汲み置きの水なぞ、半日も持たない。

 隣村に助けを求めようにも、人の足で二日半。らくだで一日。

 水筒につめて旅をするのに必要な分の水分が、もうなかった。

 ただ、飲めば狂ってしまう、新しい井戸水を除いては。



 ひとり、またひとりと挫折していった。

 飲んだら狂う水とは分かっていても、のどの渇きには勝てなかった。

 狂う、という恐れなど、暑さの中水分が摂取できず死ぬ恐怖の前では敵ではなかった。皆、井戸水に手を出して、どんどん狂っていった。

 ついに、正常な人間はあるたったひとりの男だけになってしまった。



 狂った村人たちは、正常なたったひとりを取り囲んだ。

 そして、お前はおかしい。はやく水を飲んで、まともになれ、と説得を始めた。

 無理もない。皆が狂ったので、その狂った状態こそが「普通」になり、たった一人の正常なその男は「皆の価値観とは違う気の狂った奴」となってしまったのだ。



 正常な最後の男は、観念した。

「人間は、一人では生きられない。

 おれ一人が正常でも、そこに何の意味がある?

 今、この集団の中ではおれのほうが「異常者」だ。

 もう、水を飲んでみんなみたいになって、「楽になりたい」。

 それより何より、おれはめちゃくちゃ喉が渇いているんだ!」



 こうして、最後の一人も井戸の水を飲み、村人全員が狂った。

 しかし、皆が同じ価値観、同じ考えになったので、それはそれで暮らしはうまくいった、ということだ。

 ただ、まれにこの村に外からの旅人が訪れてー

「ここ、変わったところだなぁ」と思われることはあったそうだ。



 さて。

 このお話から、何が言えるか。



●常識は、真理ではない。



 常識とはつまり、その時その場所そこにいる人々にとってそうであること、というだけ。だから、変わったところでどうということはない。

 村人が水を飲む前の常識は、村人が水を飲んで狂ってから、常識ではなくなった。

 村人の考え方自体が変わったので、それまでの常識は破棄され、それまでの常識からしたら「狂ったと思われること」が、常識の座を奪った。

 時代によって、場所によって、そこにいる人たちの都合によって、コロコロ変わり得る。そんなものに、絶対性も権威もない。



 地球は丸いし動く、というのが今の常識。

 昔は、地面がずっと平らで、世界の端っこがあると思われていた。その端っこでは、海の水がどんどん落ちていっている。船も、そこまで行ったら落ちちゃう。

 じゃあ、地球はフラットだという今からすると「間違った」常識を持って生きていた古代の人々は、幸せではなかったか? 我々よりも劣ったクオリティの人生を生きていただろうか?

 いいや。昔の人は、昔の人なりに幸せだった。

 地球が丸い、と分からなくてもそれなりにうまくいっていた。

 なぜなら、彼らの行動範囲が、まだ狭かったから。

 そんな考え方でも、特に問題はなかったのである。

 あなたにひとつ、皮肉を言ってさしあげましょうか?



●「地球が丸い」ということを知っている現代のあなたよりも、「地球は平たい」 と思って生きていた昔のある人の方が、あなたよりも幸せ度がはるかに高い、ってことがあると思いますよ?



 人類歴史の最初は、それでよかった。しかし。

 航海術や造船技術の発展や、望遠鏡、飛行機の発明などに伴って、「地球は丸い」 という新たなる常識が出現した。

 それは、時代の要請である。

 間違っても、その常識がなかった昔はダメだったという、一面的に切って捨てるようなものの見方はやめてほしい。昔の「今ここ」では、それで良かったのだ。それで最善だったのだ。

「今ここ」の必要に応じて、必要なものが現れるだけ。

 


 常識に対して、受け身になっている人が多い。

 盲目的に当たり前として、無責任に受け入れている人が多い。



●無防備に、常識を受け入れていませんか?

 テレビでああ言っていた。

 ある偉い大学教授が、こう言っていた。

 センセーが言ってたよ。

 お父ちゃんが、言ってたよ。

 教科書に、書いてあるよ。

 学会で、そういう研究発表があったみたいよ——



 あなた自身が、調べたわけでもないくせに。

 よく、無感覚に取り入れられますね?

 テレビ番組で、どこかの文化人や博士が何か言ったら、へぇ~って信じる。

 これが健康にいいと言われれば、キライだろうが金がかかろうが頑張って摂取する。これが健康に良くないと言われれば、好きでもやめ、人にもそれを強要しようとする。一時正しいと言われた科学的情報でも、最新の研究によってあとでひっくり返されることもある。

 ニュースも、表面的に見る。どこどこで誰々が殺された、と聞くと、犯人はサイテーだと思う。そこにどんな事情があったかも知らず。

『真夏の方程式』という、福山雅治演じるガリレオシリーズの映画版がある。

 あれなど、ストーリーを追っていったら、犯人も犯人をかばう人たちも、悪人に見えない。そこに至る経緯を、本人であるかのごとく細かく追って感じ知るからだ。

 


●無防備に受け入れる、という行為はリスクが大きい。

 皆、その事実にあまりにも鈍感なのだ。



 私は、「宇宙を信頼すること」が大事だと、本書で言ってきた。

 だから、そう聞いたあなたは「世界からもたらされる情報をいちいち疑わず信じることも大事ということではないのですか?」と言うかもしれない。

 確かに、地球が丸いということを納得するために、世界一周をする必要はない。

 宇宙へ飛んで、実際に見てみる義務はない。

 日本に住んでいて、テレビで外国の俳優を見ても、本当にいるのかと疑っても仕方がない。実際に外国に行って、「うわ、ちゃんといるわ!」なんて観察できる機会に恵まれる人は、多くない。

 ほとんどの人が、多くの有名人をニュースやテレビだけで見て、一生有名人本人に会わないだろう。



 でも、だからといって皆さんの多くがやっているのは「信頼」ではない。

 信頼とは、「積極的」な性格をもっている。つまり、あなたが、自分の「採用したい」という意図をもって、能動的に選択するなら、それは確かに宇宙に対する信頼になる。

 しかし。深く考えず、エラい人が言うから、そう教わったから、テレビでやっていた・本に書いてあったという根拠で「受け身」的にポイポイ自分の内側に放り込んで受け入れれて、それを「信頼」などとは図々しい。

「映倫」や「ビデ倫」が、作品の中身をろくに見もせずにホイホイ上映(公開)許可を与えていけば、えらいことになるのと同じ。

 


●信頼とは、あなたがしたくてする、能動的で積極的なもの。

 無責任な受け入れとは、あなたの意志や考えよりも外の権威に根拠があり、したくてするよりも、そう言われたから・教わったから無条件でする、受け身的で消極的なもの。あるいは、面倒くさいので考えることを放棄してしまい、もうこれでいいやと思考をストップさせてしまうこと。



 私たちは、日々膨大な量の情報に触れている。

 そのいちいち全部に対して、信頼したものかどうか、などと吟味していたら、大変だ。触れる情報のすべてを、深く理解して自分なりの結論選択を出すなんて、無理だ。時間がいくらあっても、足りない。

 だから、こうすることをオススメする。

 あなたにとって重要度の低いこと、たとえば「どこそこの天気がどうだった。アメリカでこんなことがあった」「遠い、めったに会わない親戚のおじさんが再婚した」

 そういう——



●その真相がどうでも、あなた自身に対して影響のないこと



 そういったものについては、軽く流したらよろしい。

 へぇ~そうなんだ、くらいで。

 しかし。あなたの人生に、深く関わってくる事実や事件、あなたが深く関心を持つ分野の情報に関して——



●その真相が、あなたの人生を左右しかねない重要なこと



 そういうものに関してだけ、こだわりなさい。その際に大切なのは、現実的客観的真実や、大多数の人にとっての真実がどうか、などは二の次でいい、ということ。

 自分が、どう信じたいのか。

 どう認識することが、あなたにとって一番魂が喜ぶ選択なのか。



 地上で、自分の住み慣れた町で、愛する人と一緒を過ごせればそれでいい、というだけなら、地球が平らだろうが太陽系の外に何があろうが、どうでもいいことだろう。だって、そんなことがどうでも、その人にとっての重要なことや幸せに何ら影響はないからだ。

 しかし宇宙飛行士を目指す人、世界を股にかけて仕事をしている人、天文学をやる人にとっては、地球が丸い、という認識は重要だ。それがないとお話にならない。

 また、ある母親にとって行方知れずの息子が——



●どこかで、元気で生きている。



 そういう認識の選択は、重要だ。

 この際、究極的事実などどうでもよい。

 実際には死んでいようが、そんなことは重要ではない。

 生きている、というのは願望ではあるが、宇宙の王として明確な意図をもって信じた場合には、それは「常識」と化す。そして、それでいいのだ。

 ドラマの流れとして事実が否が応でも分かるような状況になれば、それはその時に考えればいいこと。客観的にどうのよりも、信じたいように信じることが、大事なのだ。その方が、得になることが実は多い。

 だって、そういう意識の前提(信念)こそが、その人のワールドでの現実をつくったりするから。これは余談だが——



●地球が丸いということや、重力や数学、物理や医学も意識の創造物である。

 物や生き物と同格である。

 目に見えないものも、目に見えるものも、等しく創造物である。



 意外だろうが、宇宙の最初から決まっている、宇宙自体やそこに存在するモノたちとは別格の「真理」や「法則」などはない。



 それでは、今日のまとめをしよう。



①常識は、あなたの住む世界の現状を維持する上では役に立つが、時として宇宙の主人公であるあなたを「縛ってしまう」ことがある。

②また常識には、あなたがホンネで思うことを思いとどまらせたりする強制執行力が与えられていたりする。もちろん、与えているのはあなた自身である。

③常識とは、外から与えられるものではない。実は、あなたが(あるいはあなたの属する集団が)「作る」ものである。

④客観的・科学的現実がどうか、などをあなたの常識を決める際の絶対基準にしないこと。

⑤あなたが宇宙の王として、「どうあってほしいか」「どういう世界だとワクワクするか」で決める。

⑥むしろ、そういう意識が現実をつくることもあるから、そう思っといたほうが得。

⑦無防備にメディアや権威のある人からの情報を受け入れるのは、リスクが大きい。

⑧必ず、あなたという意識の検閲を通してください。採用したいかしたくないか、で。

⑨この世界で触れる無数の情報に関して、いちいち判断していたら、時間がいくらあっても足りない。

⑩自分の人生において、重要度の高い事柄に関して、十分に吟味せよ。

⑪どっちでもいいような情報は、深く考えず放っておくのが無難。



 メディアからの情報を、一字一句疑わないで受け入れて生きると、疲れますよ。

 どうか、受け入れる情報はあなた自身が選んで、信じたいように信じてください。

 あなたが、これはと思った情報に関してだけ、気の済むまで徹底的に追い求めてください。そして、あなたなりの納得できる「真実」をつかんでください。

 それが、この世界のゲームです。

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