Q&Aのコーナー第五十回 「私がブスなのは、心から美を願っていないからですか?」
Q.
私は小さい頃から人に嫌われたり、虐められたりすることが多くて、常に人の顔色を気にしてきました。そのためなのか、自分と正反対の位置いる芸能人、特にアイドルの方たちに強い憧れがありました。
言葉を選ばずに言えば、ちやほやされたくてされたくて……。でも今特にアイドルにはなれず、会社員です。
はっきり言って私はブスで、整形したりもしなかったので、それは心の底からの私の願いではなかったということなのでしょうか?
また、『人から好かれたい』『ちやほやされたい』というのは、『したいこと』ではなくて『されたいこと』なので、筆者さんがよくおっしゃる『心からの願い』ではないと考えたほうがいいでしょうか?
A.
あまり気にせず、もっと自分に楽をさせてあげてください。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
美醜、というのも幻想である。
そうは言っても、私たちは陰陽の二極の世界を生きているので、泥だらけの洗濯物があったらそれは明らかにバッチイ。洗剤のCMのように、洗いたての真っ白なシャツが干してあれば、それはきれいだと感じる。
まぁ、その程度の価値判断は妥当だ。しかし。きれい汚いを越えて、清潔とかそういうこととは関係のない、美人とかブスとか。イケメンとかブ男とか。
そういうのは、時代時代で人間のエゴが創造した勝手な基準である。そんなものに、自分というかけがえのない魂、宇宙の王たるあなたを毒する権利はない。
ないが、私たちが宇宙ゲームにおいてかなりヘンテコなプレイをしてきたので、人のDNAに、美醜というものさしがバッチリと根を下ろしてしまった。
例えば、今は結婚してしまったがかつて美人の代名詞だった「佐々木希」が平安時代の日本にタイムスリップしたり、南半球の土着民族の社会に行ったらば、そこでは「美人」ではなくなる。なぜなら「美人」というものを指す基準が、日本とは全然違うからである。
太っているのが美人とか、もっとすごいのは首の長さがどれだけ長いか、が基準の所まである。
これは、単なる慰めで言っているのではない。そんな、外側に存在する勝手な基準に、あなたの当然な権利であるところの「幸せに生きる権利」を奪われるなんて、もったいないしバカらしいということが言いたいのだ。
宇宙は、あるがままにあり、そのままで完全。
あなたがその顔で、その体で生まれたのなら、そこに何の問題もない。なのにあえて問題を探し出すのは、世間の勝手な美醜の基準である。
●ようこそいらっしゃいました、その顔で!!
綾小路きみまろのギャグような、愛嬌ある「茶化し」なら、まだOK。しかし、質問者が心悩ますような美醜の基準は、ちょっとマジモード入りすぎる。
この問題に関して、私からの提案はふたつ。
①あなたは、ありのままで素晴らしいよ!
……これが、一番基本となる答えである。
宇宙のすべてはただそうであるだけ。誰にも、何にも非はない。非がないのに、勝手なものさしを作り出して、自分たちで当てて苦しんでいるのが人類。
そろそろ疲れただろうし、いい加減やめたら? って思うのだが。
でも、①をハイ分かりましたと受け入れることのできる人ばかりだとも思わない。
やっぱり、自分を素敵だと思えない。もっときれいになりたい!と思ってしまう人へは、この一言を贈ろう。
②整形してもいいよ! 美しくなる努力をしてもいいよ!
おカタい考え方(特に宗教や倫理・道徳に見られる)によると——
●親からいただいた体に傷を付けるなんて、とんでもない。
●神がそのようにしたのだから、そのままが美しい。人間的な考えで、いじるべきではない。
……まぁ、守りたきゃ守ったらいい。
ただ、宇宙(このゲーム世界)の究極的真理は、「自由」だ。
乱暴な言葉で言えば、「どうでもいい」となる。
だから、やりたきゃやっちゃいな。人の事は、気にしなくていい。ってか、そういうことが気になるくらいなら、まだまだ本気でない証拠だ。
百田尚樹の小説「モンスター」に出てくる主人公並に本気なら、なおよい。
ただ、整形したり美人という基準を目指す人への助言をひとつ。
●自分が欠けていて、その欠けを補う、という意識はバツ!
ただでさえあるがままで完全なんだけど、もっと素敵にしよう、という意識スタンスがマル!
今の自分がダメである、という前提(自己否定感)があると、どんな努力を重ねても空回りする。
建築において、基礎(土台)がグラグラなので、その上に家を建てても雨風が襲ってくるとたちどころに倒れ、その壊れ方もひどいものになる。
しかし。自分はそもそも、その存在自体が完全(素晴らしい)という自己肯定感があると、基礎(土台)がしっかりと建ててあるので、その上に高層ビルなんか立てても、それはきつい雨風が来たとしても、ビクともしない。
だから、美しさを目指す(つまり、今自分はその基準に達していないから努力が必要)というのはやらないでほしい。そうではなく——
●趣味で、やってほしい。
「ただでさえ、私は素敵なんだけどぉ~
面白そうだし、ワクワクするし、やってみようかなぁ~」
その軽さで、どうぞ。
イメージ的には、ダメな部分をもっと見栄えよくしてマシにする、というのは大間違い。ただでさえ完璧なあなたが、もっと磨きをかけてもっと素敵になる、というのが正解。
質問には、こうありましたね。
「はっきり言って私はブスで、整形したりもしなかったので、それ(アイドルになりたいという思い)は心の底からの私の願いではなかったということなのでしょうか?」
何で、それを人に聞く?
私が何か言ったら、あなたは「ほぉ~そうですか」って聞くの?
あなたしか知らない。あなたが宇宙の中心だから。王だから。あなたが、しかもあなたの超自我(プレイヤー意識)がどうかなんて、知るわけないでしょ。
ただ、これだけは言えます。
●あなたが、間違うことなんてない。
(その時点で)最善じゃないことを選ぶなんて、ない。
あなたの自意識(この世界での活動面を担当する、限定的な神意識状態)は、もちろん知らない。何でこの親から、この顔で、この経済状態の家に生まれたのか?
「それって、実はあなたが選んでやってきたんですよ」風な教えがスピリチュアルにはあるが、じゃあ、あなた本当に選んで来たんですか?
本気でそんな風には思えないでしょうよ。
正しいんだけど、それはこの物理次元を越えたところでのお話。
すべて自分が選んで生まれてきたなんて知識、このゲーム世界にいる間は「どうでもいい」「知ったところで、だからどう?」という程度のものなのだ。実感しにくい(できる人は限られる)上に 、現実的に役に立たない理屈。
そんなこと自分に言い聞かせて慰めるなんて。納得しようとするなんて、無理がないですか? やせ我慢じゃないですか?
だから、今のあなたがそういう見た目であるのは——
(気が付いたらゲームキャラ設定が勝手に終わっていた、というのは)
●あなたのせいではない。
「私、何にも悪くないもん!」
自分原因説など捨てて、精神衛生的に健全に生きませんか。
開き直ること、これも才能のひとつです。
そして、もうひとつ提案できる意識のあり方。
●私は、すっげーヒロインだ!
神意識(この世界では自覚しきれないあなたの正体)は、すべての体験をコレクションしようとしている。すべての可能性を試そうとしている。
ということは、あなたが今している体験もコレクションしようとしている、ということ。だから、失敗した人生や間違った人生などなく——
●必然があって、あなたはその役を引き受けた。
あなたは、宇宙から信頼されたのだ。
この子は、こんな役やらせても、難しいかなぁ……
そんな心配があったら、任せない。この子なら、この体験(可能性)を無事に回収して、戻ってきてくれる——。そういう信頼があるから、その役を任せた。
あなたはいつの日にか、他の魂たちに感謝されるだろう。全ての可能性を味わうという壮大なミッションのために、最高の貢献をしているのだから。
自分で、自分を褒めてやってください。で、ご褒美をあげてください。
最後の、質問者さんの言葉。
「『人から好かれたい』『ちやほやされたい』というのは、『したいこと』ではなくて『されたいこと』なので、筆者さんのおっしゃる『心からの願い』ではないと考えたほうがいいでしょうか?」
「人から好かれたい」という思い自体に、いい悪いはない。
ただ、どういう意識状態でそう望むかによって、引き寄せるものが違う。
①自分はあるがままで問題がない、という前提の中で「こういう出会いがあったらいいなぁ」「こんな人と仲良くなれたらいいなぁ」と思うこと。現状何も問題ないが、その上でもっと人から好かれたら楽しかろうなぁ、という意識。
○ → ◎
②人から嫌われている、価値のない自分という前提がまずあって、だから人から好かれたいと思う。人から好かれることで、「マシな自分」になると信じている。
× → ○
したい、もされたい、も必要だからしゃかりきに求めるのではなく、趣味として、おまけとして求めてほしい。
加えて、ここまでに述べた内容を読んでも、あなたの意識状態が大して変わらない場合。それはそれでいい。
小学生に、微分積分やドイツ語ができることを要求しますか? しませんよね。彼らは、小学校で学ぶ範囲の知識しか求められない。それが分相応。
あなたは、そういう意味で小学生である場合がある。
もちろん、そこに優劣はない。
だから、ああ自分は今、恐れからだろうが自己否定感からだろうが、人から好かれたい、~してほしい段階なんだ。そういうステージなんだ。そう思えばいい。
それを、ブツブツ不平を言って腐っても、一文の得にもならない。だったら、今どうするか、今どんな意識でいることを選択するのか、しかすることがない。
そう腹を括って、あとは小学生時代を楽しんでほしい。
いずれ、中学生に上がるから。その時のことは、その時に考えればいい。
最後に、イエス・キリストの言葉を紹介してしめくくろう。
●何を聞いているかに注意しなさい。
あなたがたは自分の量る
持っている人はさらに与えられ、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。
(新約聖書 マタイによる福音書 4章24~25節)
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