真理は、その瞬間にしかない

 私は、「賢者テラ」というペンネームで活動を始めるまでの長い間、『真理』というものをを探し求めてきた。でも、今はもうやめた。

 それまでは真理というものに関して、誤った定義をしていた。でも今では、真理という言葉に対し、これまでとは違った解釈をするようになった。

 その新しい解釈での「真理」を、私は今探し続けている。(ある意味ではすでに得ている、いや私自身がそのものなんだが)つまり、世間的な意味合いでの、古い意味合いでの「真理」を求めなくなったのだ。



「エッ、筆者さんは悟ったとおっしゃっているから、真理を探すなんてしないのでは?」

 そう言われるかもしれない。言葉とは本当に不便なもので、世間的によく言われる、古い意味合いでの「真理」は、もちろん探していない。

 どうでもよい。もっと言えば、そんなものはない。

 つまり、私が 「探していない真理」「古い真理」とは——



●いつ何時でも誰にでも通用する、絶対に変わることのない、固定された真理のこと。



 例えば、宗教や哲学で「神とは」「人生とは」「愛とは」そういう、究極的な定義のこと。何とかの法則、という類もそうである。時と場所、状況を超えて絶対的に支配する、公式のようなもの。

 私は長らく、それを探し求めてきた。それを知ることが、自分の本当の幸せにつながると信じてきた。

 裏を返せば、それを知らなければ私は不幸である、ということでもある。

 もっとその心理をえぐれば、それを知らなければ私だけでなく、他の人も不幸だということになる。だから必死に真理を求めながら、そうしない他者を見て、愚かだなと裁く。



 何かひとつ正しいことがこの世界にはある——。

 それを知ることを究極の目的として、人類は宗教や哲学を追求してきた。

 沢山の宗教が、「自分のところこそが真理」だと悪気なく信じ込むので、それがとてもややこしいドラマを生んでいる。



 しかし。この時代になって人類は、長年月の呪縛から解き放たれるチャンスを迎えた。今ここを無視して、時を超え場所を超えて通用する真理などという幻想にうつつを抜かすのではなく、今この瞬間に感じることにフォーカスし、その中にしか真理は閉じ込められていない、ということに気付く人が増えてきた。

 現時点における私なりの「真理とは何か」という新しい定義は——



●その瞬間、その場所、その状況。

 そこであなたがこうだ、と思ったその思い。

 こうしたい、と思ったその内容。

 それを、「真理」と呼ぶ。

 この場合、真理は時を超えて普遍的なものではなく、賞味期限は「その一瞬」だけ。その「今ここ」の場においてだけ通用するもの。



 なぜ、人が三次元ゲームで今まで苦戦を強いられてきたか。

 私が今言ったことが、知られていなかったからである。

「ひとつの正しい真理」「ひとつの正しい神」「ひとつの正しい法則・指針」

 そういう、あり得ないものを追ってきたので、見つかるわけがない。

 でも、なにもないままでは困る。だから、色んな神様が生まれ、色んな思想が生まれた。

 私は思う。宗教や哲学が美しいのは——



●その絶対的な真理表現や、思想体系が美しいのではなく、それを追い求めた人の人生の一瞬一瞬の思いや情熱が美しかったのだ。

 ただ、それだけのことに過ぎない。



 何でもそうだが、ひとつ正しい真理が決まってしまうと、それを受け入れない者や守らない者は、ダメだということになる。

 ひとつの正しい神が決まってしまうと、それ以外を信じている人(あるいは神を信じていない人)はダメだということに。

 ~の法則が本当だとか、~という生き方が本当に素晴らしい、となれば、その法則に従って生きない人間は損をしているということであり、素晴らしいと評価された生き方をしない人間は、程度の低い人間という評価になりかねない。



『一期一会』という言葉がある。

 茶道に由来することわざで——



●あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。

 だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう。



 そんな意味の、千利休の茶道の筆頭の心得である。

 例えば、世間的な成功をした人が本を書く。

「私は、こうして成功した!」と。

 はなはだ迷惑なことである。なぜなら、「ほとんど役にもたたないから」。

 あなたが、200年前に書かれた外国の成功者の自己啓発本を買ったとする。

 フムフム、と読んでマネをするとする。

 かなりの確率で、あなたは成功しない。なぜなら、猿真似だからである。



 200年前と現代は、違うのである。

 国も違えば、人種も違う。気候も風土も思想的土壌も違う。

 性別も年齢も、状況も……なにひとつ同じものはない。

 まったく違う状況で成功した人の本を読んで、真似をして、うまくいくはずがない。あなたは、「その人」ではないのだ。

 あなたは、あなたなのだ。自己啓発難民のほとんどが、これに陥っている。

 ここには、二つの落とし穴がある。



①自分は神ではない、という暗示。



 本を読んで「そこに書かれてある事をやってみよう」ということは、その努力と引き換えに成功という成果をいただこう、という交換条件の精神。

 その方法が自分を救ってくれる。変えてくれる。もっとひどい場合には、「これやりゃ成功できるんでしょ?」ってな姿勢。

 あくまでも、人生の主人公はあなた。あなたが神であり、この世界を生み出している。だから、あくまでも自分主体で決めるための参考材料(参考データ)の一候補とするならよいが、自力で解決する力や判断力のない自分が「自分より優れた外の真理や法則に自分を引き上げてもらおう、高めてもらおう」などというのは、ちょっといただけない。

 一番いいのは、本を読んだり他人の話を聞いたあとであなたが 「心からそれをやりたい。採用したい!」と思うこと。その最終的なコミットがあってこそ、猿真似ではなくなる。

 だって、宇宙の主人公としてあなたがやりたい!って選択したんだから。

 そのパワフルな選択ではなく、他力本願の物欲しさ(成功欲しさ)の次元で、すがるような必死さで「どうか成功させてください!」的な低い波動で自己啓発やるから、いつまでたってもその人は人生の監督にはなれず、自分が生んだ幻影でしかないはずの周囲にコキ使われ、振り回されるはめになる。



②ある成功者の秘訣が、時代を超えて誰にでも適用できるという幻想。



 例えば、状況によっては「相手に優しく接する」ことがいい場合もある。

 逆に、「相手に厳しく」したほうがいい瞬間もある。

 状況によって、その状況で何が一番いいかは変化する。絶対に一定していない。

 それをさも、本を読んで何かいつ何時でも通用する絶対法則なるものがあるかのように考えて、状況を十分に味わうことをせずに、短絡的に頭の中の定規を、目の前の状況に当てる。

 本で心理学の知識なんか入れたりしたら最悪である。落ち着いて状況を見るよりもまず、はやる気持ちでその「法則」「テクニック」を使いたくなるから。

 例えば、「鬱の人に頑張れ、って言ってはいけない」という理屈があるとする。

 それが頭にしっかり入っている人がいて、ある場面で鬱の人を目の前にして、フッと「頑張れ」と言いたい思いが湧いてきた。

 でもその人は、反射的にある作業を心の中でやってしまう。自分のその思いを味わい、検分する作業を放棄していきなり、自分の思いを不採用にするのである。

「あ、そうだ。こういう時、鬱の人に頑張れ、って言っちゃいけないんだった!」

 その思考が、「今ここ」のその人の素直な思いを駆逐する。そして、こんなことを言って感謝さえしてしまう。

「あ~良かった! こういうことを知っておいて! 思わず言っちゃうとこだったよ!」

 これは、ものすごくもったいない状況。あなたは、今ここで感じたことを素直に表現し、パワフルな在り方を選択できるチャンスだったのに。この世界には「あらゆる可能性」があるため、「頑張れ」と言ってもよい(逆にそう言う方がいい)ことだってある。

 正解なんてあらかじめ分からない。同じ分からないのなら、自分の本心に従うほうがいい。それで仮に失敗しても、その後悔は「聞いた知識に従って失敗した後悔」の百倍の価値がある。仮に借りた知識で成功しても、その成功はあなたの本当の力にはならない(その経験を本当に自分に根付かせるには、別の作業が要る)ので、油断してはならない。

 経験則、という魔物によって。「時と場合を超えて通用する」というあり得ない法則を盲信することによって、「自分を生きる」チャンスを逃すのだ。現象的に問題を回避できたように見えてしまうと、間違いを回避できたという誤認識のもと「架空の成功」に感謝までしてしまう。

 だから、成功本に書いてある「~すれば成功する」的な一切の表現は、たいへん迷惑である。なぜなら、読む人間が愚かなら「杓子定規にどんな状況でもそれに従おうとしてしまう」危険性が大だからだ。



 真理とは、賞味期限が「その一瞬」と書かれた生ものなのだ。

 百歩譲って、言葉で表現できる絶対真理があるとするなら——



●真理なんて、色々。

 ただ、自由があるだけ。

 どうでもよい。何でもよい。

 その自由な在り方を、一瞬一瞬の変化の中で楽しむだけ。



 だから皆さん。

 今ここの貴重な体験をしている時に、頭脳内のハードディスクを検索して、似たような過去の状況を再現し、だから今どうしたら得か、成功するかという思考でいたらもったいないですよ。

 初めて経験する今なんだから、魂にお任せしてまずは感じてみて。

 そうしたら、過去の成功体験から組み上がった定規を、目の前の状況という生き物に当ててワンパターンな反応を繰り返すという愚を犯すことなく、正味のその瞬間の持つ価値(真理)を、汲み取れることでしょう。

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