体は常に最善に動く

 筆者は昨日の夜、午前3時に突然目を覚ました。

 くしゃみが原因だ。どうも、ひどい鼻風邪にかかったようだ。

 鼻水が止まらず、非常に不快だ。鼻づまりが片側に偏っているのも、その不快感に拍車をかけた。これではもう、ぐっすり眠るどころではない。

 かつての私なら—— 



●何で、私がこんな目に?

 どうして?何がいけなかった?

 あーあ、最悪だ!



 そんな感じのことを考えたかもしれない。

 昨日は、朝早くに執筆しようとしていた記事を完成させ、その後すぐに家族サービスでUSJにでかけるというハードなことをした。

 そりゃあ、ちょっとは体をムリさせたかもしれないが、こんな目に遭わなきゃいけないことは何もしていない。むしろ、いいことをしたと思っているくらいだ。

 風邪をひくことくらい、回避してくれてもいいんじゃないか?

 もう、こうなったんだったらせめて早く治ってくれよな! 

 昔の自分ならそんなことを、自然に考えていただろう。



 でも、この時の私の意識には、ふたつの思いがあった。

 ひとつには——



●なぜ、どうしてを考えても仕方がない。



 人は、これを考えるのが大好きだ。

 例えそれを考えるのが大変な状況であっても、何とかやれてしまう器用さを人は持ち合わせている。ある映画で、悪党一味が自分たちのしたことの報いで死に直面している時、ボスと子分Aがこんなやりとりをしていた。

「お前のせいでこうなったんだ!」

「いや、これはボスのせいでさぁ!」

 そんな風に互いに責任をなすりつけ合いながら、死んでいく。

 同じように、病気という大変な状況の中でも、体や環境や世界や運命というものを呪える器用さが人間にはある。それをするには結構な情的エネルギーが必要なのだが、それを捻出できる離れ業をやってのける。

 その器用さを別方面で使えば、素敵なことになるのに!



『今ここ』という時において、風邪をひいてしまったということは動かぬ事実。その原因を考えたところで、仕方がない。

 油断すれば、磁石に引っ張られるように、なぜ、何のせいを考えて嫌な気分にとどまり、またその意味のなさに気付けない、ということになりがちである。

 しかし、人が「意識的である」状態にとどまるならば。自らの意識の中心軸からぶれず、意識的に思いを選択しようとするならば。

 自分の外側にあるもののせいではなく、嫌な気分を引き起こしているのは(基本的に。例外もあるがここでは考えない)自分だということに気付ける。

 また、何のせいでもないことに気付ける。この一件において、悪意をもった犯人などいないことに気付ける。

 そうすると、状況の「なぜ」を考えるよりも、それを受け入れた上での「ではどうしていくか」という建設的なことに目を向けていくことが可能となる。

 そこで、私がこうしたいと思ったことは——



●体に、感謝しよう。今この瞬間、他のことは考えず最善に向って動き出している体に、ありがとうと言おう。



 これが、私が夜中に感じた二つ目の思いである。



 肉体は、何も悪くない。

 あるがままの、与えられた状況に文句も言わず、常に最善に動く努力をし続けている。心に余裕がないと、私たちはその事実さえ忘れ去って、つい体にダメ出しをしてしまう。

 でも、皮肉な話それでは余計にカラ回りするし、治癒も遅くなる。例え治っても、病気からのメッセージを何も受け取っていない上、何の教訓も得ていないので、結局また同じ病気になったり、別のことで似たような試練に遭遇したりする。

 その問題なり試練は、その人物がその「ゲームステージ」をクリアするまで、手を変え品を変え続く。



 私は、体ってエライ、と思った。

 自我(エゴ)は、これは不当だとかなぜこんな目に? とか建設的でない思考をあてどもなく繰り返し、そこに無駄なエネルギーを大量に消費する。

 でも、体はどんな出発点からだって黙々と、最善を目指して動いている。

 そのことに気付けば謙虚な意識になれるし、せっかく頑張ってくれている肉体にダメ出しをする、という礼儀知らずな行動を回避できる。

 そして、体が日夜頑張ってくれていることに気付き、感謝することができる。



 私は、鼻が詰まりくしゃみが出て辛い、というところに意識をフォーカスするのをやめ、魂からの意識と、自分を苦しめる思考とを切り離した。

 歯車は、二つくっついてかみ合っているから、片方が動けばいやでももう片方も回る。でも、その二つを離せば、もはや動力は伝わらず動かない。

 私はその理屈を、自分の内側で応用した。そうすると、苦しい感覚はそう変わらないとはいえ、気持ちにずいぶん余裕ができた。

 それとともに、本当に不思議なことだが鼻がマシになってきた。で、今はもう非常に調子が良い。



 この世界は、陰陽の二極からなる、変化に富んだ世界。

 私たちは、正体は神意識とはいえ、この世界に三次元ゲームキャラとして来ている身。すべてのことが正しく見通せなくて、ある意味当たり前。

 だから、なぜどうして・何のせいを考えたところで、それはへっぽこ探偵の推理ほどにも当たっちゃいない。だったら、謙虚にこの宇宙を信じて、あるがままを受け入れようとすればいい。そして、その上でそのことはそのこととして、今後どうしていくのかに取り組めばよい。

 これは、何も『病気』というものに対する姿勢に限ったことではない。生活の、あらゆるところに応用できる。



 それを応用するもしないも、あなた次第である。

 宇宙は、あなたがどんな選択をしようとも、常にそれを文句も言わず受け止め、そこからどうすれば最善かを導き出し、あなたに与える。

 それはちょうど、カーナビの示す道から外れてしまっても、外れたとカーナビが判断した瞬間、すぐさま別ルートを検索しなおして教えてくれるようなものである。

「こらっ、何で間違えたんですか!」なんて怒るカーナビは見たことがない。

 私たちの大事な体も、それと同じ。いつも、私たちが何も言わないでも、独自の知恵をもって最善に動こうとしてくれる。



 是非、いたわってあげてください。

 時々、声をかけてやってください。

 いつも、ありがとう、と。



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【編集後記】


 この記事が書かれたのは数年前です。

 書き直しはしていますが、カクヨムで公開した日付に書いたものではないため、筆者のカゼは今流行しているコロナウィルスか? と連想してしまう方もいるかもしれませんが、ご安心ください。

 何、誰もアンタのことなんか心配してないって?(笑)

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