働かざる者、食べてちょーだい! PART2

 そもそも、『働く』って何だろう。

 常識的には、何か『生産的なことをすること』。

 仕事する、バイトする、家事をする。とにかく、客観的に見て「何か実になる行為をしている」と認められるような何かをすることだろう。

 そういうのをしていない状態が……



「働いていない」

「生産的な活動に携わっていない」

「怠けている」



 そんな価値判断になるのだろう。

 しかし。目に見えて何かの生産的行為をしているのだけが「労働」だというのは、狭っちい見方である。

 確かに、この世には「引きこもり」「ニート」「無職でブラブラしている人」「布団の中にもぐりこみ、部屋から出てこない人」というのがいる。

 人の眼には、彼らはこう見えるらしい。



●甘えるな!

 世の中で、悩みのない人間なんていないんだぞ。

 私だってそうだ。悩みや問題ごとがない、と思うか?

 あるけれど、それでも今の暮らしを守らなきゃ、と思うから、頑張っているんだ。

 みんな、そうやって生きているんだ。お前より大変な状況にいる人でも、頑張っている人はいるよ。

 人間は、働くことによって糧を得るようになっている生き物なんだ。だから働かないというのなら、本来お前に食って日々を生きる資格はないのだ、ということを心の片隅にでも覚えておけ。ちょっとは、恥ずかしいと思うんだぞ!



 この文章は、ちょっとオーバーに書いているが。

 でも、思いとしてはだいたいこんな感じだろう。

 要約すれば、『みんな悩みを抱えているのは同じで、それでも頑張っているんだから、お前も頑張れ』。

 そういう、見事な三段論法である。



 しかし、これは一人ひとりを宇宙の王として尊重する立場とは、かけ離れている。

 人間には、自分の意識しか自覚できないようになっている。他人のそれは、想像するしかない。そしてその想像など、実に根拠の薄い、貧弱なものである。

 しかし人は傲慢になって、その想像から導き出された判断を武器に、他者をジャッジする。

 自分がこうだから、他者もきっとこうだろう。

 世の大勢がこうだから、この人も同じ人間としてこうできないのはおかしい。

 できないはずがない——。



 相手は、辛い・苦しいと言っているのだ。立ち上がれない、仕事に行けないと言っているのだ。

 じゃあ、それは本当にそうなんだろう、となぜ思ってあげられないのか。なぜそこで、モヤモヤしたような、気持ちよくないような思いが、その人に対して湧いてくるのか。例えば、意見としてよく聞くのがこれ。



●「働かざる者食べてちょーだい!」を実践すると、それを笠に着て、つけあがる人が出てくるのでは?



 つまり、働かざる者を守ることで、調子に乗って働かないまま安逸をむさぼるかもしれない、と心配している。はっきり言うが、それは世間的には常識的な判断、また理屈に合った発想かもしれないが——

 


●その発想の元となっているのは、『恐れ』であり『自分より少ない労力で自分と同じものを得る者をゆるせない狭い心』である。

 またあなたは、この宇宙を信頼していない。



 現実が世界を創ってっているというのは必ずしも正確ではなく、『意識』の在りようこそが個々人の見る世界をある程度まで創っている、と本書では言ってきた。

 だから、あなたがもし 「働かざる者にメシを与え続けたら、つけあがるんじゃ……?」 という思いをホンネでもつとしたら、宇宙は親切にも、そのあなたの思い通りのビジョンを見せてくれる。



 つまり『宇宙が完全であり、すべての魂も、その旅路も、その時々で完全である』ということを信用していないわけだ。だって、放っておけば悪くなるって思っているのだから。

 例えばの話、あなたは自分に対して信頼を置いておらず疑っていて、冷たく意地悪に接してくる人と仲良くなりたいと思うか? それとも、優しくしてくれ、自分のことを信頼してくれる人と仲良くなりたいか? どっちの言葉を、自分の心の中に受け入れようとするだろうか?

 もちろん、後者でしょ? 宇宙、すなわちあなたが身を置いているこの世界も、そう。この世界を信頼し、ジャッジせず受け止める者に、大きく報いてくれる。

 そうでない者には、それに応じたものが与えられる。

 そして、そのどちらも同価値である。良し悪しの差は、本来ない。全部、ゲームだから。ゲームなんだから、こうしなきゃああ思わなきゃ、というのではなく——



●あなたは、どっちにしたい? どちらがお好き?



 ……ということでしかない。



 では、ここで働かざる者に食べさすことに不安を覚える方の思い込みを、壊すことを言ってみよう。



●あなたが見下す働かざる者は、実は、あなたよりも働いている!

 あなたよりも相当、頑張っている!

 あなたのほうこそ、彼らを支えて当然なのである!



 これが、新時代の常識。

 逆転の発想。

 実は、情熱をもって必死に生きることは、比較的楽なのだ。

 目に見える成果にしかフォーカスできないと、この発想は受け入れがたいだろう。

 ハッキリ言います。

 仕事を楽しめている人が、それをするのは実は楽なんです。

 仕事のある人が、仕事できることは実は楽なんです。

 しない人、できない人の方が何倍も大変なんです。その大変なことに挑んでいるその人を、応援こそすれ働いてないとか生産行為をしてない、なんてのは無礼です。 



 そもそも神意識は、喜怒哀楽・人が幸せと呼ぶものから不幸と呼ぶものまで、すべてを味わい尽くすためにこの三次元ゲーム世界を開いたのです。

 本来たったひとつの存在でしかないワンネスが、無数に分裂しそのひとつひとつに、独特の使命を与えた。

 それがそれぞれの体験をし、感情を味わい、それをワンネスにフィードバックすることで、この宇宙のすべての感情と体験をコレクションしようとしている。

 ゆえに、頑張れない・働けないという方がいるということは、ありがたいことなのである! 自分がやっていない役・自分の分担ではない部分をその方が代わりに演じてくれているのだから。



 クラスで劇をすることになり、役決めの時乞食の役だけが最後まで残る。

 誰も、すすんではやりたがらないからだ。でも、最後には誰かが引き受けることになる。そして誰かがよし分かった、やろうと言ってくれたら、あなたはその人物に感謝しないだろうか?

 その人物以外のクラスの皆も、やはり感謝して「ありがとな」と言うだろう。そして、その人物が乞食の役をやる上で助けになることがあるなら、喜んでするだろう。



 世の中で、鬱と言われる状態にある人・引きこもっている人・働く勇気が持てない人は必死に、人としては最高につらい(それも幻想ですが)最大のミッションに挑んでいるのだから、深夜の勉強に挑む受験生に、母親が「頑張ってるわね~」と夜食にラーメンを持っていってあげるように、問題なく働けている私たちが、そういう人たちを応援してあげればいいではないか。

 具体的な生産性、というところばかり狭い心で見るから、腹が立つし不安にもなるのである。あいつは甘い汁を吸っている、という楽しくない思考になるのである。

 実は、あんたなんかよりもずっと、働かざる者のほうが必死に生きている。



●働かざる者は、命がけで働いていないのである。

 寝込んでいる者は、命がけで寝込んでいるのである。



 そのことを、私たちは忘れるべきではない。

 だから、私は恐れずもう一度宣言する。



『働かざる者、食べてちょーだい!』

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