幸せは、なるものではなく選び取るもの

 映画 『007 スカイフォール』という洋画作品がある。007シリーズの最新作ではなく、ちょっと古い作品の話で申し訳ない。

 私がこの作品で注目したのは、二人の対照的な登場人物。

 まずは、主人公のジェームズ・ボンド。007 というコードネームをもつ、凄腕のエージェント。もう一人は、ボンドと同じく元00(ダブルオー)のエージェントだったが、上司に見捨てられたことで、復讐の鬼となったシルヴァ。

 この二人に共通するのは、どちらも『M』と呼ばれる上司の部下だということ。(片方は、かつてだが)



 Mの下で働く、優秀なエージェントだったシルヴァは、任務上で下手を打った際、Mに見捨てられる。(それは業界の掟で、そうするより他仕方がなかった。決して、Mが非情だったというわけではない)

 そして、自分は見捨てられたと思ったシルヴァは、Mを襲う。

 一方のボンドも、劇中任務遂行を優先するMの判断で、見捨てられる。

(死んだと思われるが、一命を取り留める)

 そんな経験をしたのに、ボンドはMを恨むどころか、Mを襲おうとするシルヴァの前に立ちはだかり、命を張ってこれを食い止めようとする。



 同じ上司のもとで、同じ目に遭った二人。

 なのに、片方は上司を恨み、もう片方は恨むどころか受け入れ、上司に最後まで忠誠を尽くした。この違いは、一体なぜ生まれるのか?

 答えは、簡単。



●物事に対する、解釈の違い。



 同じような目に遭っても、ボンドはこの業界の掟を十分理解し受け入れており、何よりこれまで築いてきたのMとの関係が、肝心な時にものを言った。

 シルヴァは優秀であり、もちろんエージェントである以上、頭ではこの世界の掟を理解していたであろうが、何せそれが「捨てられた」という感情を超えられるほどの理解ではなかった。彼は、実は精神的に幼かった。

(ラストシーンや、他の場面でもそれがうかがえる)



 私たちの日常において、この『解釈』という問題を考えてみよう。

 例えば、「結婚できないと不幸」というのは本当か?

 結婚できなくても、幸福な人はいくらでもいる。例えば、マザーテレサは不幸な人でしたか? カトリックの修道女なので、結婚はできませんし。

 あの方は、男性に愛される喜びも分からないで世を去りましたが、不幸でしたか?

 いえいえ、そんなことはありません。ものすごく、幸せだったと思いますよ。

 逆に、結婚している人でも、不幸な人はいくらでもいる。



 愛する人を亡くしたから、不幸?

 そういうケースばかりでもありません。もちろん、亡くしたその時は、まったく悲しさを感じずに済むことはないでしょう。しかし、その後しばらくしてからその死を受け入れ、しっかりと自分の足で立って歩き、やがて自分の幸せをつかむ方もいらっしゃる。

 また逆に、いつまでもその悲しみに浸り、過去にしがみつき続ける方もいる。

 だから、それも本人が起こったことに施す「解釈」であり、選択である。



 健康な人にくらべ、重い病気を患ったり障がいをもって生まれたら不幸?

 そんなこと、決まってなんかいない。例えば三重苦の偉人・ヘレン・ケラーのことを考えてみるといい。

 今、色々と例を挙げてみたが、結局言えることは——



●これを経験したら不幸だとか、これを経験したら幸せだとか。

 そんなことは一切決まっていない。

 その人が、その出来事に引っ付ける解釈がすべてである。



 あまりヒットしなかったようだが、かつて『受験の神様』(主演 : 成海璃子・元TOKIO の山口達也)というドラマがあった。

 受け持った生徒を絶対に志望校に合格させることで有名なカリスマ家庭教師、菅原道子(成海璃子)のセリフに、次のようなものがある。




「あなた、受験で合格したいの?

 それとも、勉強がしたいの?」



 これなども、勉強というものを本人がどうとらえているか、という解釈こそ大事だということを示唆している。

 ただいい学校に行きたい、というエゴ動機なのか、それともこの学校でこういう自分になっていきたい、という積極的な意味合いを持つものなのか?

 その違いは、その人の人生の後々に大きく違って現れることになる。

 同じ受験というものをしても、同じ合格しても、人によって受け取るものが全然違ってくる。



『デビルマン』という作品でも、同じことが言える。

 人間を愛し、人間を守ることを決めたデーモン族の悪魔、デビルマン。

 じゃあ、そんな風に人間の味方になったデビルマンが特別で、他のデーモン族は人を襲うしかないような「絶対に救われない」ようなやつらなのか?

 違う。



●デビルマンは、たまたま人間を愛の対象として解釈するチャンスがあった。

 他の魔族たちには、人間を何とも思わない解釈を変える機会がなかった。



 ですから、皆さん。

 結婚できないから不幸だとか。お金がないから幸せになれない、とか。学歴が低いから、私は恵まれていない、とか。

 それは、単なるあなたの解釈でしかありません。

 あなたにそこに見出すものを変える勇気があるなら、その瞬間にあなたを取り巻く世界は、変わっていきます。まず最初に、あなたの内なる輝きの度合いが変わってきます。ある程度遅れて、今度は現実の物事も動き出します。

 現に、筆者がそうでした。



 かつて私は現象だけを見れば、不幸と判断できる範疇にありました。

 発達障害、との診断。30半ばになってからのリストラ。奥さんと子供を抱え、月15万の生活。でも私は、そこで「不幸だ」と解釈するのをやめました。

 人間は、自分で「選択する」力があるはずです。でも不思議なことに、いつのまにか起こった事に感情を決められてしまっている場合が多い。

 財産を失ったら、イヤな気分になる。職を失ったら、イヤな気分になる——。

 人が歴史的に学習したパターン通りに、反応することを強制されている。

 自分で選んで、不幸な気分になっている方はいない。



●不幸な気分になることを、強制されているのである。



 その出来事=不幸、と単純に解釈するように、洗脳されているのだ。

 そのことに気付けば、人生はもっと生きやすくなる。

 今回例に挙げたジェームズ・ボンドのように、自分の魂が一番楽になれる解釈を選び取ろう。一番、幸せ感を感じることのできる解釈を採用しよう。



 この宇宙に対して。他者に対して。世の中に対して——

 あなたなら、どんな解釈をしますか?

 強制されるのでもなく、自由に選べるのだとしたら、あなたは自分の命を、世界をどんな風に解釈しますか?

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