泣いてもいいよ


 スピリチュアル的なことを発信していると、必ず突き当たるひとつの壁がある。(壁というのは幻想で、それとて三次元ゲームに彩りを添えるものでしかないが)おおまかに分けて、感謝される場合とされない場合とがある。



 感謝される場合、というのは——

「なるほど、分かりました! 腑に落ちました! 目の前の霧が晴れるようです!」そんな感じで、こちらの発信した情報に共振いただけて、受け入れていただけた場合。

 そりゃ覚醒したとはいえ、私も三次元で肉体をもつ身ですから。

 感謝されたり、喜んでいただけたら、悪い気はしませんわな。

 おお、それはよかった。ありがとね!

 読者さんとの間に、そんな温かい情の力のエネルギー交換がなされる。

 そんな、素敵な関係が結べる。



 では、感謝されない場合、とは。

 その方が、実際問題として大変な苦境の中におられる場合である。

 経済的に苦しい、ということもあろうし、病に苦しんでいる、ということもある。家庭や、人間関係に重荷を持っておられるかもしれない。

 直接自分のことではなくても、身内に大きな問題を抱えている人物がいて、我がことのように気を揉んでいる方もいるかもしれない。

 そのような方に、この本書の内容が伝わった時に。

「この世界は、夢(幻想)って言われても、苦しいものは苦しい!」

「価値判断を捨てる、って言ったって実際そんなことしてたら普通に生きていけないじゃないの!」

 中でも、最も強烈な問いは、これである。



●すべては、宇宙の王として自分が引き寄せたことなら——

 自分が原因なのだったら——

 私が今病気で苦しんでいるのは、私が何か悪かったわけ?

 意識のありように、問題があったからなの?

 そんなバカな話!

 私、なりたくてこんなになったんじゃないわ!

 

 

 私も、皆様と違わない喜怒哀楽の感情を併せ持った存在なので、そう言われて、グヘヘ楽しいなぁ、などとニヤニヤなどできない。

 さすがに、ありがとうとかうれしいよ、という気分にはならない。

 しかし。私は、穏やかにこう言ってあげたくなる。



●言いたいだけ言って、いいんだよ。

 あなたは、間違っていない。

 悪くもない。

 泣いても、いいよ。

 ただ、泣きたいだけ泣いたら——

 どうしていけばいいのか、一緒に考えてみようね。



 残念だけど、どうにもならないことというのは、ある。

 それは——



●今、形をとって具体的な現象と化している現実



 これについては、もうできることはほとんどない。

 私たちは、映画館で映画を見る。

 見る前からすでに、映画の結末まですべて出来上がっていて、決まっている。

 私たちは、それを知らないという立場から、最初から映画を見ていく。

 あたかも、現在進行形で物語が進んで、展開しているかのように。



 私たちの少し前の過去の意識が映画監督と化して撮った作品が、編集されて作品に仕上がって、目の前で封切られてロードショー!となっているわけである。作品の内容は、もうすでに撮られてしまっているのだから、今から変えようがない。

 もし、そんな私たちにできることがあるとするならば。

 それは、次に撮る作品に関しては、まだ変更が効く、という部分である。

 すでに撮られた作品に関しては、受け入れていくしかない。

 でも、自分の気持ちとして変えたい部分は、次の作品に生かすべく、『今ここ』 で意識しよう——。

 そうすることは、可能だ。 



「あなたが、なぜ今のような状況になったのか。

 なぜ、そんな病気になったのか。

 なぜ、あんな事件に巻き込まれたのか。

 なぜ、この家に生まれたのか」



 例えその原因が分かったところで、その知識はあなたを救わない。

 知ったところで、どうにもならない。

 だから、これ以上考えるのはやめましょう。自分の何がいけなかったのかを。

 永遠の時間の流れの中で、あなたが「いけなかった」ことなんて、一度もなかった。宇宙的視点において、あなたが間違ったことなど、一度もなかった。

 すべては、あるがままにあり、価値は同一。

 おつらいでしょうし、にわかには受け入れがたいかもしれませんが——

 健康な私、というのが良くて、目指すべき状態であって、そうでない病気を抱えた自分は十分ではない、ダメな状態なのだという判断がすでに、あなたを不幸という幻想にからめとっているのです。

 あなたは、あなたが受け入れられるならですが、そのままでよかったのです。

 


 恐れというやつは、なかなか賢い。

 自分はできるだけ表に出ないようにする。

 自分がすべてを仕組んで、陰から楽しんでいると分からなくする。

 だから、恐れに操られた人間同士は、お互いどうしで相手のせいだと思い込む。

 実は、まったくの第三者である、恐れが仕掛けた壮大な罠。

 その罠を見抜くのは、実は簡単。


 

●その環境にいて、その思いの中に浸っていて——

 楽しくないなら、それは恐れが一枚かんでいる証拠。



 あなたが今そうであるのは、「そうであるから」としか言いようがない。

 魔法のように、ポンと今のあなたを変えることはできない。

 でも、私からあなたに言ってあげられることがひとつだけある。

 すべてが、完璧。

 すべてが、愛。

 だから、あなたに関するすべてのもの、あなたが選ぶすべてのものに対して、いい悪いの評価はまったく関係がない。

 今の自分であることを、責めないで。

 他人であろうと、自分であろうと。あなたに関わるすべてのことを、受け止めて。

 無理に、『幸せだ』なんて感じる努力はしなくてもいい。

 ただ、ああ、これはこうであるんだな、と流すように受け止めてあげて。

 その上で。時間は巻き戻せない、また不幸の原因が暴かれたからからって何の足しにもならないことを理解したその上で、じゃあこれから自分はどうしたいのか、を考えて。何が今のあなたをワクワクさせ、気分を高揚させるのか、考えてみて。

 きっと、大丈夫。

 落ち着けば。目指そう、つかもうとあがく気持ちを手放せば、必ず向こうのほうから姿を現してくれるから。



 だから。

 私の発信する内容に、良い反応をしてくれるのもうれしいが——

 受け入れるには苦しい現状を抱える人もまた、愛おしい。

 すべての出来事は、すでに起こっている。

 あなたが幸せになる瞬間も、すでに作品として撮られてある。

 必ず、そのシーンになる時が来る、と信じてほしい。

 今すぐにでも、それが来る! というほどまでに。

 


 他人の代わりに、ご飯を食べてあげられない。

 他人の代わりに、トイレに行ってあげることもできない。

 それと同じように、ああなたの抱えているものを代わりに背負ってあげることはできない。なぜなら、私はあなたではないから。

 ただ、この三次元というゲーム舞台においてだけ、ですけど。

 でも、同じゲームの画面中で、同じ目的と共通の敵をもつキャラ同士として。

 こう言ってあげられるだけ。



●あなたは、間違ったことはない。

 今も、間違えていない。

 これからも、間違わないだろう。

 なのに、何があなたをこんな嫌な気分にさせるのだろう?

 あなたが、楽しくない、ワクワクしないアイデアにこだわっているから。

 だから、それを手放しなさい。

 善悪は考えないで。責任とか義理とか実績とかいう面白くない単語は忘れて、一緒に心躍ることを考えましょう。

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