愛とか感謝とか


 感謝って、本当のところ何ですか?

 このところ、『感謝とは何か』という質問を良く受ける。

 では、ここから皆さんと一緒に、感謝について考えていきたい。



 感謝、という言葉を辞書で引いてみますと——

 感謝とは、自分以外の誰かに自分にしてもらったことなどについてお礼の気持ちをのべることである。

 主に日本では「ありがとう」「ありがとうございます」の言葉が一般的。

 また日本では、様々なものに感謝する日が定められている。互いの勤労に感謝する「勤労感謝の日(11月23日)」、日ごろの母の労力に感謝する「母の日(5月の第2日曜日)」などがある。

 もちろんそこだけに限らず、日ごろから何事にも感謝できる心もちが望ましい。人から何かをしてもらったら「ありがとう」。素直な言葉が自分も回りも幸せにする。

 そんなふうな定義が、一般的なところだろう。



 私は、「感謝しなさい」という言葉は、成立しないと思う。

 感謝って、しろと言われてするもの?

 したくてするものだ、と思う。

 感謝しろ、と言われて頑張って感謝する行為は、やりたくもない宿題を、提出しないとひどい目に遭うからイヤイヤやる行為に等しい。

 そこに、魂がこもっていない。喜びもない。



 感謝ってのは、ああうれしい、ありがたいと感じた時に胸にジワッと広がる、アレのことでしょ?

「こらっ、あなた日頃お世話になっているんだから、感謝しなさいよっ」なんて言われて、出てきます?

 検尿前にオシッコに行ってしまい、いざ本番の時には頑張っても出ないようなもの。感謝だと思えない時には、いくら思おうとしてもムリだ。

 ない袖は振れない。ないものは出て来ようがない。

「ああ、感謝できない私はダメなんだ。感謝しないと!」

 ……これって、痛々しくありませんか?

 自然と、出てくるものではないだろうか。そして、それは他人から味わえと強制されるものではなく、宇宙の王たる自分が「選び取る」ものではないだろうか?



●感謝できないなら、ムリに感謝なるものをしなくてよろしい。

 できない自分を、まずOKと思う。受け止める。

 すべてはあるがままで完全である、という思いに心を委ねる。逆に「感謝」という要素があなたを苦しめるなら、むしろそれはいらないものである。



 この宇宙に必要なのは、「(心から)したいこと」だけ。

 ひとつの従うべき基準(倫理道徳・あるいは宗教)がある、というのが古き常識。だから、『感謝しなさい』という言葉が生まれる。

 感謝、というのが素晴らしいことだ、いいことだという大前提がまずある。

 それを物差しとして、じゃあ感謝できているあなたは素晴らしいですね、感謝できなくてブツクサ言っているあの人はダメですね、感謝しないといけませんね! そういう判断になる。

 実は、一切の価値判断は幻想であり、善悪はない。



●この宇宙は、ただあるがままにある。

 モノも人も、すべて。

 すべてが、完全な今を旅している。

 そこに理屈をつけ、いい悪いを論じるのは人間だけである。



 感謝、ということが素晴らしいのは認める。

 三次元ゲームにおいて、そうすることがゲーム運びを有利に導くことも事実である。でも、だからといってそうできない人に「感謝しなさい」というのはおかしい。

 

 

 他人に 『感謝しなさい』と言うということは、あなたは宇宙の王の権限において「その人は感謝も出来ない、問題のある人」として認め、創造していることになる。

 要は宇宙を、人を信頼できていないわけだ。

 一人ひとりは、もともとは神意識である。ゲームキャラではあるが、その内に宇宙のすべての情報を持っている。だから、感謝するということがいつまでも分からない、できないということはあり得ない。

 魂の旅の進み具合は、人によってバラバラである。

 あなたがちょっとばかり進んでいるからといって、後方にいる者を「そんなことではダメだなぁ」などと思うべきではない。宗教や倫理道徳が「感謝しなさい」 なんて言うのは、大きなお世話以外の何者でもない。

 あなただってちょっと前は、目の前のその人とそう変わらないような状態だったんじゃないですか? 単に、時間差があるだけじゃないですか?

 大丈夫。目の前のその人も、魂の旅のどこかで、目が開かれますよ。

 もっと宇宙を、神としての他者を信頼してあげませんか?



 そもそも、感謝という言葉自体が矛盾なのだ。



●感謝でないことなど、存在しない。



 だから、何かを指して特別に感謝だ、ということ自体おかしいのである。

 み~んな感謝なのに。

 何かの対象に感謝しますということは、逆に感謝できないことがある、ということを暗示している。まぁ、この世界は一元性の世界じゃないから。神意識が退屈して創造した、陰陽という二極が存在するべき世界ですから。

 感謝とその反対があっても、おかしくはない。

 魂の旅の進んだ者なら、こう考えるだろう。世のすべてのことは、感謝である。ただ、その中でも、特別に抜きん出て喜びたいことがある場合。

 その時にあえて、(感謝しかないものの中でもこれは特に)もっと感謝したいだけだ、と。そう考えると、感謝というのは時として迷惑な言葉だ。

 感謝でないものがないのに、あえて何かを限定して感謝するのだから、そうでないものがあるという錯覚がまた、そういう現実を生む。



『愛』 という言葉も、時として迷惑な言葉である。

 


●この世界には、愛でないものが存在しない。



 なのに、何かを指してこれは愛だ、とか言うから、まるで愛と呼べる基準を満たすものとそうでないものとがあるような現実を生む。

 世間で、よく言う。


 

「あなたには、愛がない」

「こんな素晴らしい愛は、見たことがない」

「あの人って、愛があるぅ!」



 厳密には、これらすべて幻想である。

 私たちは、この三次元世界にゲームをしにきている。

 本当は愛でしかないのに、「愛が分からない」 というゲーム。

 本当は感謝でしかないのに、「感謝できない」「感謝しないといけない」という状況があるゲーム。

 これを、しにきたのだ。

 完全な愛。完全な感謝。(言葉にしてしまうと、これもまた矛盾だが)

 完全で、何も問題がないことに飽き飽きしたから——



「愛でない、愛せないってどういうこと? 

 完全でない、欠けがあるってどんな感じ?

 キライ、とか感謝できない、ってどんな気持ち?」



 陰陽のすべての側面を味わいつくすため、この世界に来た。

 だから皆さん、心に余裕をもってください。

 もともと愛しか、感謝しか知らなかった私が、この世界にわざわざ、そうでないものも含めて「楽しみに」 来たんだ!

 そういうゲームなんだから、感謝できない時があって当然。誰かに嫌悪感を抱くことがあっても当然。

 ただ、その気持が湧いてきた時にどうするか? それだけなんだ。

 自分の心からのものなら、どんな思いが湧いてきても恥じることはない。

 ただ、自分が支持たくなるような、ワクワクする思いなら、従えばいい。

 そうでないなら、受け流してしまえばいい。相手にしなければいい。



 過去記事で言いましたが、思考は、あなただけのものじゃない。人類は思考を共有していると。

 だから、あなたが感謝できない心の時、どうせ私には愛なんてない、という思考に悩まされる時。

 それは、あなたばかりのせいではないのです。

 それは、人類全体で共有している思考が、流れて循環してきているだけです。

 だからあなたは、その思いを、思考を、わざわざ取り上げないでスルーさせればいいのです。

 TV画面で文字テロップが右から左に流れていくのを眺めるように。

 ああ、何か通過したなぁ、という感じ。

 あなたが 「これいい!楽しそう」 というアイデアだけ、いただき!って感じで拾い上げたらいい。



 他にも、挙げれば時々迷惑な言葉がある。

 覚醒者。普通 。多数派。優しさ。努力……

 皆、言葉の指し示す一面的な部分を見て、色んなことを言う。意見の違いからケンカになる。

 とにかく、自分自身を責めたくなったり、罪悪感を抱かせるようなものなら——

 愛とは何か、とか感謝すべきとか、そういう言葉遊びなんて捨ててしまえばいい。

 理屈や言葉よりも、感情を信じたらいい。

 あなたの胸が、ジワッと温かくなれば、それが感謝の最善のタイミング。

 そんなもの、思考でコントロールなんてできない。

 本来は愛であり感謝でしかない自分が、そうでない自分とやらに興味を持ち、わざわざ自己を限定した。

 そのゲームに、しばしの間付き合ってあげてください。

 あなたの魂時計が、来たるべき時を告げるならば、あなたの認識はさらに広がるのですから。

 

 

●問題のあること自体、問題のないことだったのだ、と。



 結局、感謝とは何かという問いに関しては、説明不可能。

 知りたければ、あなたの胸に手を当てて聞けば、分かります。

 ただ、言語化しよう、概念化しよう、辞書的意味を確立しようとしたとたんに、陳腐なものになってしまう。



 では、今日のまとめに入ろう。



①本来、私たちの正体は、完全・永遠・絶対・まったき愛の「神意識」 であった。

②その一元性の世界では反対のもの(相対概念)がないので、感謝でないもの・愛でないものがない。

③完全なる永遠の静寂に退屈した神意識は、反対同士の二極が存在する三次元宇宙を開いた。

④自分が愛でしかないこと、完全でしかないことが分かっていては面白くないので、その自覚を封印した。 

⑤だから、この世界で私たちは感謝できたり、できなかったりする。

⑥人を愛せたり、愛せなかったりする。

⑦本来あり得ないその事態を、神意識はゲームとして楽しみに来ている。

⑧だから、感謝の心が湧かない時。人を愛せない時。自分を責めてはいけない。

⑨あなたばかりのせいではない。そういうゲーム設定なのだから。

⑩ 『本来完全な私が、そうでない状況もある中でどう喜びを見つけていくか』 というゲーム。

⑪否定できないものとして自分の人生があるのだから、ゲームに付き合ってあげる。

⑫ゲームは同じやるなら楽しく。夢中になってハマれれば、なおよい。

⑬ただ、私は演じている、という自覚が常時あったほうが、中心軸がブレなくてよい。

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