矛盾 ~ほこ×たて~

 その昔、『ほこ×たて』という名物番組があった。

 一時期かなりの人気を誇ったが、色々問題があって途中打ち切りになった。まぁ、そのことは今回別にいい。

 矛盾、という故事成語が、番組のヒントになっている。

 昔、武器商人が商品説明をしながら——

「これは、どんな剣でも穴の開けられない盾」

「これは、どんな盾でも貫通する鋭い剣」

 ……と言った。

 それを聞いていた客が指摘する。



●じゃあ、その何でも貫通する剣で、どんな攻撃でも穴の開かない盾を突いたらどうなるのか?



 つまり『矛盾』とは、つじつまのあわないこと、を指す言葉である。

 しかし、よく考えてみると——

 上記の状況は、矛盾でも何でもない。

 最初から、実は決まっているのだ。剣のほうが強いのか、盾のほうが強いのかは。ただ、戦わせてみていないので、分からないだけ。

 分からないから、こっちが最強だ、いやこっちが最強だと言ってられるのだ。



 だから、本来は、矛盾なんていう状況は存在し得ない。

 ただ、ハッキリさせていない状況があるだけ。

 だから、「どんなものでも切れるカッター」と「どんなカッターでも切れないワイヤー」が対決する時。そのどちらかが、真実ではないだけ。

 だから、結果としてワイヤーが切れたなら、どんなものでも切れるカッターのほうが本物で、ワイヤーのほうは切られることもある、と分かる。



 私は、この番組での対決後の二者のやりとりに、清々しさを感じていた。

 勝った方はもちろん、自分の掲げた看板に偽りがないことを確認できてうれしい。

 しかし、挑戦された相手方の健闘も讃え、さらに精進することを決意し、勝ってかぶとの緒を締める。

 一方、負けたほうも畜生! というような悔しがり方ではなく、勝者の素晴らしさを素直に認める。

「負けました」と潔く認めた上で、「次にはいただきます」と、名誉挽回を誓うのである。そして、さらに改良を重ね、再戦を目指すのである。



 私たちは今、重要な時代の変わり目にいる。

 新時代においては、『競争』というものは存在するのか?

 する。

 ただし、これまでの競争とは、ちょっと定義が違う。

 新時代においては、新しい競争の形態を『勝ち合い』と名付けたい。

 では、競争と勝ち合いの違いを、述べることにしよう。



【競争】


・自分こそが一番になろう、という行為。

・他人に負けると、悔しい。劣等感を引き起こす。

・場合によっては相手への敵意、嫌悪感を生み、エスカレートすると殺意にまで及ぶことがある。

・相手の素晴らしさを認める度量に欠ける。優れているのは自分だけでなければならない。

・トップにいながら、常に、他者に負けて追い落とされるのではないか、という不安と恐怖におびえる。



【勝ち合い】


・考えることは、たたベストを尽くすことだけ。自分の能力を生かして、人に喜んでもらいたい、という動機。

・その結果、自分が一番になるのか。他者がリードするのかという違いでしかない。

・勝ったら、自分のしていることは役に立っているのだ、という励みになり、いっそう腕を磨く。

・負けても、じゃあ自分はここに力を入れればいいんだな、という認識の材料になるだけ。

・勝ってもおごらず、敗者を見下さず。負けても腐らず、勝者の素晴らしさを讃え次を目指す。

・ベストを尽くしたその結果の比較により優劣が判断されても、それにおびえることはない。



 今までは、勝負というと自分が勝つことに執着し、「自分が勝つ=他者は敗れ、去ってゆく。落ち目になる」という、無意識の公式があった。

 他人を蹴落として、自分が勝ち上がっていく、という図式だ。

 もちろん、全てがそうではないが、総じてこれが多かったのが過去の歴史だ。

 その意識は、『自他共に栄える』という概念からは程遠いものだった。



●これからの時代は、競争(文字通り競って争う)ではない。

 私も勝って、あなたも勝つ、という勝ち合いの世の中になっていく。



 確かに、一時だけを切り取ったら、どちからかの優劣が明らかになるだろう。

 しかし、それは今現在の一瞬のことであって、未来もそうとは限らない。

 その勝敗の結果を参考に、双方ともさらに喜びを動機として向上していく。

 技術や才能をもった者が皆この『勝ち合い』を始めたならば——

 この世界は、桁外れの大きな恩恵を受けることになるだろう。



 私は、喜びを動機としてこの書を書いている。

 書くことが、楽しくてやっている。

 私が、このような評価システムがありPVなども分かる小説投稿サイトに作品をアップしている理由は、自分の書いたものがどれくらいの人の目に触れ、どういう反響があるのかを知るためである。

 自分の向上のために、己を知る。

 上がいることに刺激を受け、原動力としてさらに自分の表現を極める。

 だから、私はその上がり下がりに一喜一憂しない。

 読まれなくてもカリカリしないし、上がっても別に鼻高々にはならない。

 ランキング上位に「ちょっと体調崩して休めよ!」「ネタ切れになれよ!」とか思わない。(笑)

 共に最高の表現を目指して、皆さんに喜んでいただきましょうね! 思うのはそれだけ。自分を出し切って満足した後で、他者が比較して付ける優劣の価値判断は、参考にすることはあってもそれに囚われはしない。



 ゆえに、私はほこ×たてという番組で繰り広げられる一流対一流の熱い勝負の中に、『勝ち合い』の萌芽を見るのである。

 勝ち負けは、一時の現象。本来、どちらも素晴らしい。そのことを、勝者も敗者も認め合う。

 これからきっと、そのような素敵な時代になる。

 自分の方が、相手より優れることを目指すのではなく。自分が勝つために相手に何か悪いことがあればいい、なんて思いになるのではなく。

 自他共にベストを尽くし、共に伸びていきましょう! という清々しい世界。

 競い争う、という競争の時代はもう終わり。

 自他共に栄える、という概念をベースにした、『勝ち合い』の時代に突入していくのだ。



 では、本日のまとめ。



①すべてではないが、今まで多くなされてきたのは、競い争う『競争』であった。

②そこには他者を蹴落とし自分が……という意識があり、全体の発展と利益、という観点は薄かった。

③しかし、新時代においては、『勝ち合い』が競争に取って代わる。

④相手を蹴落とす意識ではなく、自他共に栄え、切磋琢磨して実力を伸ばしていこう、という発想である。

⑤そこには競争意識に見られる必死さはなく、ただ喜びからのびのびと情熱を傾けるのみ。

⑥その結果を参考にはするが、決して勝って鬼の首を取ったように喜んだりしない。負けて腐らない。

⑦なぜなら、勝ち合いは「永遠に」続くからである。一時の勝敗など本当に一時のことでしかない。

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