Q&Aのコーナー第十五回「セックスってスピリチュアル的にどうなん?」
Q.
男女の性行為、つまりセックスについてのスピリチュアル的な位置づけというか、意義付けを知りたいのです。特に、悟られた(覚醒された)方からの視点では、性行為はどう捉えられているのでしょうか?
A. 好きなように捉えれば? ってことでいいんじゃないでしょうか。
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性の問題。これこそ、人間が最大の呪縛をかけられている部分ではないだろうか。
性、という言い方は、ある意味卑怯かな。きれいすぎ、学術的すぎる。
エッチ。アダルト。ヤリたい。ハメたい。Cまで行く。
オナニー。コスプレ。SM。BLにレズ。
……大丈夫ですか? ご気分悪くなられてませんか?
私には、このへんの言葉などカワイイものだ。どうということもない。
もっと過激な、倒錯した世界もあるのだが、それをいちいちここであげつらって、「ほ~れほれ」「キャアアア」なんていう反応を楽しむのも悪趣味なので、この辺で勘弁しておく。(???)
ここで、私の主張の大前提を提示しておく。
別に私だけではなく、他の教えでも言っていることである。
●私たちの正体に、男女の区別などない。
またまた、世界の始まりから述べることにする。
(この説明のパターンが、定番になってきたなぁ……)
最初に、一元性の世界だけがあった。まさに、神だけがいた。
絶対。永遠。普遍。完璧。静寂……時間もなく、始めも終わりもない。
そんな世界で、神は退屈した。
言い換えれば、もっと何か楽しみたくなった。ワクワクすることをしたくなった。
そこで、もともと一(いち)なる存在である神意識(
例えばの話。まったく何もない真っ白な部屋にあなたが放り込まれたとして、そこで何か笑えるでしょうか? 楽しんでそこで滞在できるでしょうか?
テレビとか、本とか。あるいは話し相手になる他人とか。そういう『対象』がいて初めて、あなたは「楽しむ」「喜ぶ」という行為が可能になるのだ。
ちょっとひねた方は、こう反論するかもしれない。
自分ひとりでも楽しめるよ? 自分の心の想像で楽しんだり、思い出し笑いするかもしれないし。
でも、それだって自分の意識(主体)と魂の中に蓄積されたデータ、心で思い出して楽しむための(対象)という二者間のやりとりで成り立っていることを、見逃している。
そもそも、思い出し笑いや想像で楽しめる人間と違って、唯一でしかない神意識に何の思い出も、楽しむべきデータもないのだから!
神意識がこの三次元ゲームを作った時の、一番根っことなるルール、大原則が「主体と対象」である。
その他にも、化学反応だとか重力だとか、肉体生命の生き死にとか、細々としたものも作った。そのルールの中のひとつにあるのが『生殖』というものである。
「主体と対象」が一番のルールなら、その次に来る重要ルールが「陰陽」である。
この世界は、陰陽の二極で成り立っていることは、皆さんお分かりになると思う。
男と女。
動物の雄と雌。
植物の雄しべと雌しべ。
原子における、陽子と電子。
陰陽、というペアが根本にはない存在はない。
生殖、という話題に話を戻すが——
陰と陽、人間の場合は男性と女性が、ひとつになった時に新たな生命体が生まれる。生殖、などという行為が存在する理由はふたつ。
①輪廻転生のため。
②楽しめる観点(視点 )を増やすため。
①に関して。人間が人生ゲームにおいて楽しみ尽くせなかったり、未練を残して亡くなった場合に、ゲームのコンティニューモードのための救済策として。自分と似ている、また希望するところ(誕生しつつある魂)にひゅっと入る。
②に関して。あなたは人生で、一本だけの映画で満足できますか? 一冊だけの本で満足できますか?
沢山のジャンルの映画を見たいじゃないですか。色んな監督の映画を見たいじゃないですか。
本に関しても、まったく同じ。
神意識は、対象をたったひとつにしないで、無数に分裂させたのである。
それだけ、できるだけ沢山の観点から楽しみ(刺激)を得たかったということ。
えっと、味もそっけもないですか?
セックスなんて、意義付けとしたらそんなものです。
輪廻してくるひとのための受け皿です。
それが大事なんで、同じするなら気持ちよかったらなおよいねぇ、ってんで刺激的なんでしょう。そこを言うなら、あとは楽しむためです。
それだけです。
どうぞ、お好きなだけハァハァしてください。
ただ、やっかいなのは『罪悪感』という代物である。
これが、話をたいへんややこしくしている。
この世界で、性のことは他の事ほど大っぴらには扱われない。どちらかというと、こっそりモードというか、隠れて扱われるたぐいのものである。
宗教や倫理・道徳のせいで、折角楽しいものなのに、何だかその根底に罪悪感を植えつけられてしまった。
今でこそ、時代の変化かそんなこともなくなってきてるが、昔本屋のエロ本コーナーで立ち読みするのにも勇気がいった。
ましてや、それを(たまに若いお姉さんがいる)レジへ持っていくのも大変だ。
中高生の男子諸君は、部屋の中にエッチなビデオや本を巧妙に隠す。
なぜ隠すのか? 恥ずかしいからだ。その根底には、罪悪感があるからだ。
何か、良くないことをしている、っていう——。
聖書の創世記の話を、また引き合いに出す。
最初、アダムとエバは裸でもお互いにはずかしくなかったし、気にもしなかったらしい。
でも、善悪を知る木の実を食べてしまったとたんに、お互いが裸だ!と分かった。
えらいこっちゃ!ということで二人は、オチンチンとオ●●●を葉っぱで隠した。
神様は一言。
『お前が裸であることを誰が告げたのか?』
つまり。
裸であることは、本来恥ずかしいことでもなんでもない。
セックスも、そうだ。むしろ大奨励。どんどんやったらよろしい。バコバコハメたらよろしい。
なのに、色々世間から吹き込まれてしまったのだ。
いけないこと。恥ずかしいこと。人に見られてはならない。見せてもならない。
●セックス自体に、善悪はない。中立である。
それに勝手に価値判断を下すのは、人間の勝手な知恵だけである。
こんなことを言うと、こう言う人も出てきそうである。
セックスは、良いものです。それによって男女が清い愛で結ばれ、素敵な家庭ができるのです。だから、男女の性は正しく扱いさえすればよいのです。決して、間違った、おかしな方向へ行きさえしなければよいのです。
さぁ皆さん。これが、この世界でも 「模範」「良い」とされる考え方である。
だが、この考え方には救いがない。
じゃあ、間違った方向、って何さ?
おかしな方向、って何さ?
同性愛は、いけないのか?
女の子に制服着せてエッチするのも、「ズレている」のか?
SMもだめか?
電話の会話で興奮するのもダメか?
本とかビデオでオナニーするのもダメか?
ただ、何の道具もつかわずに、単純に裸で、男と女というペアですること、という絶対的な善があるのか?
それからズレるものは、「どこがいけないのか、よ~く考えましょうね!」なんて言われなければならないのだろうか?
本気で、結婚を前提に責任取る勢いでないと、その性関係は「素敵じゃない」ということか?
私は言おう。
この宇宙は、自由である。
爆弾発言をすれば、何でもあり、ということだ。
ここでまた、この世間の道理をわきまえたかしこい人が怒ってくる。
何でもアリ、なんてとんでもない!
この世界では、一定の決まりごとや規制があるから、成り立っているんざますの!
こういうことをしたら犯罪ですよ! という罰則があるから、抑止力になっているんですの。だから、何でもアリだなんてあなた、この世界を余計ひどくするおつもりですか?
●いいえ。世の中をひどくしているのは、そっちのほうの考え方です。
私は逆に、性の問題から罪悪感を取り除く根本的な解決に向かっているのです。
これも以前の記事でも書いたことだが。
いくら自由だといっても、逃げられないプログラムの縛りもある、と言った。
地球人ゲームプレイヤーが「地球ゲ-ム」というゲームソフトをあえて選んだからには、こうすれば高得点とかクリアとか、奨励されるプレイのコツや「必勝法」なんてのもある。
ただ自由にしていたのでは、その価値も激減してしまう。
●自分も他者も、共に幸せになろうね!という共生共栄の方向性
確かに、一元性の世界の観点から見たら、いい悪いはない。
どんなひどい状況だろうが、悲しく苦しい状況だろうが、まったく同価値に受け取っている。
ただ、今ここで、あなた自身がよりこの世界でのゲームを快適に楽しむための必勝法として、そのことがあるということはお伝えしておく。
コスプレしようが、SMしようが、同性愛だろうが——
両者合意の上で、それが喜びにつながるのであれば、まったく問題ない。
ただ、それが痴漢とか、レイプとか、一方的に他者をふみにじるような行為となると、それはそれ相応の負のエネルギーに巻き込まれる結果を生みますよ、ということ。でもそれだって、究極には何の問題でもない。
性の問題で苦しむのは。
●自分を、他者が傷つけることのできる存在だと思い込んでいる。
●自分が、他者を傷つけることができる(支配できる)と思い込んでいる。
この二つの錯覚のせいである。
この世界には、あなたしかいない。
これを一から説明するのは大変なので、初めての方はこの書の過去記事を読んでください。
自分はこの宇宙の創造主で、人間ゲームをしに来ていること。
本当の自分は、
そのことが腑に落ちる(悟りの状態)ようになれば、一切の縛りから解放される。
例えば、自分を今まで苦しめてきた現実に関して、それは自分の人間ゲームを面白くするために、自分のために設定された、ゲーム中の障害物だと分かり、感謝が湧いてくる。そして、それ以上に相手にしなくなる。
実は、あなた一人しか存在していない。存在しているように見える他人は、眼には見えるが、実は別宇宙に本当の所在地がある。
言わば、その人のビデオレターをリアルタイムで見ているようなものか。
だから、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」はウソ。
何をしても、利益を得るのはあなただけであり、損害を受けるのもあなただけ。
今のは、究極的な意味で言うのであり、この三次元に降りた見方では、もちろんそうではない。
もっと言えば、損害ですら幻想だ。
ああ、言葉で真理を伝えるのは、本当に困難だ。
他人がいて、自分がいる。
そう心から思っている限り、この世界の愛憎ゲームから抜けられない。
復讐ごっこ、批判ごっこ、傷つけ合いごっこから抜けられない。
今日のメッセージは、常識的な人のほとんどに不評かもしれない。
でも、まぁいいや。
下手に「ダメ」と言って縛るから、余計したくなるのだ。
鶴の恩返しとか、そうですよね。
やるなやるな、ダメダメとやられると、余計に燃える。
逆に、ああどうぞどうぞとやられると、興ざめだ。
つまり、下手に規制されると、ホンネで大してしたくないことでも、「とってもしたいこと」に昇格してしまう可能性があるのだ。
逆に、一切の規制がなく自由だと、「本当にしたいことにしか興味が行かなくなる」のだ。自由を与えると、とんでもないことになるのでは? という考えの方。
●人間は、本当の自由を扱いきれない。
(善から悪までを含むすべて、という意味で)
本当の自由を与えられると、人はかえってまごついて、一定の範囲をでないように慎重になる。中途半端な自由こそ、妄想を生み逃げ道を考える天才的知恵を発揮させるのだ。
恐らく、「自由だ~!」と言って殺人をしたりレイプしたりしようとする人は、心がとっても不自由な人だ。心からの喜びでするのではなく、自分の中の恨みや劣等感その他を晴らしたいから、に過ぎない。
そういう人たちに対する最善の対応策は、罰則で脅したり押さえつけたりすることではなく、彼らは彼らでいいのだ、ということを教えてあげて、ゆるしてあげること。相手を自分だ、と思って接してあげること。
そんな関係が築けるなら、あえてそんな中で自暴自棄的な欲望に身を崩す選択はしないだろう。(※もちろん、すべての状況で適応できることではない。サイコパス、つまり愛情の裏返しや恨みが動機などではない、単純に殺人や強姦に興味があるタイプには通用しない)
最後に、覚醒者にとってのエッチの位置づけである。
昔からある「悟りを得た」人のイメージは、ちょっと変える必要がある。
エッチに興味がない。エッチは超越した。
つまり、肉体的欲望は「煩悩」で、そんな欲求を満たそうとするのは「修行が足りん!」というような発想である。
例えば、パラマハンサ・ヨガナンダのグル師匠のそのまたグルのラヒリ・マサハヤなどは、「妻をめとって子をもうけたが、子を生むために必要な分以上の性交渉はもたなかった」 と伝えられている。
あと、一生独身で過ごす覚醒者も少なくない。そんな現実が、「エッチは低俗」という誤ったイメージを世間に与えている。
はっきりいって、どうでもいい。
禁欲ができたから覚醒に近づく、とか一切関係がない。
逆にエッチしたから、やらしいビデオ見たから霊性が下がって、覚醒から遠くなる、とかない。
そういう前提を受け入れるから、そのようになるだけのことである。
『神との対話』シリーズを読むと、ホントにこれでいいのか? というくらい、セックスに関して寛容に、オープンに書かれている。
本来、そういう「朝に朝ごはんを食べる」程度の、どうということのないことなのだろう。それを、人類が「善悪の知識の実」を口にすることで、いらないことまで考え出した結果が、今という時代なのだ。
悟って、確かに性欲を超越するタイプの人もいる。それはそれで、本人がいいのだから問題ない。
ただし、それをもって悟った人間は性欲は超えるか、もしくは著しく減退するもの、なんて決め付けるのは間違いである。私などは、悟って性交渉などまったく興味もなくなった、などという話を聞くと、「おいたわしや」と思ってしまう。
本来は男も女もない世界に、わざわざ性差を作った。
それは楽しむためである。苦しむためではない。
でも、苦しむのもまた選択肢のひとつ。
さすがに苦しめとは言わないが、それも含めて楽しんでください。
※追伸
男性には女性の気持が分からない。その逆もあり。
そういうことを言う人へ。
間違いである。
私もあなたも、この人生が人間の初めてではない。
過去に何万回、いやそれ以上転生して、男も女も(それを超えたものも)経験している。だから、その過去すべての蓄積データがあるがゆえに、引き出すことができる。(もちろん、この世界に生きているので一定の制約があり、自由に引き出すことはできない)
だから、男性でも女性に通じることができる。
女性でも、男性心理を理解することはできる。
もっと言えば、人類はもとはたったひとつの存在、ワンネスから出ている。
もとは同じひとつの存在だったのだ。
分かり合えない方がおかしい。
どちらかというと、分かり合えるしかない関係にある存在が、「分かり合えない」という状況を楽しんでゲームをしている、と言えるかもしれない。
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