Q&Aのコーナー第五回「ずっと続く幸せってありますか?」

 Q.


 数年前、一日だけですが、世界のすべてが私で、何もかもが愛しいという気持ちになりました。最近では、一瞬だけ、はっと気づくことがあると、心が安定するような感覚が起こるぐらいですが。この感覚がずっと続けば毎日楽しいし、何も問題は起こらないんじゃないかと思えます。この感覚はなんでしょう。どうして長続きしてくれないのでしょうか?



 A.長続きすれば、きっとしんどいと思います。



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 ひとつ、例え話をしてみましょう。

 ここに、TVタレントになりたいひとりの女性がいるとします。

 彼女は、有名になって人からちやほやされ、自分という個性を生かしてなおかつお金まで稼げる、というその立場に、あこがれをもっておりました。

 ああ、いいなぁ。私も、あんな人生だったらなぁ。

 この夢がかなうのなら、何を犠牲にしたっていい。

 ああなれば、この私はゼッタイ幸せになれる——。

 そう、彼女は確信するのです。



 さて。念願かなって、彼女はなんと売れっ子のタレントになりました。

 名前も(もちろん芸名ですが 広まり、彼女の顔と声を知らぬ者は日本に少なくなりました。

 毎日、ドラマの撮影やバラエティーでひっぱりだこ。

 最初のうちは、彼女も喜び楽しんでいました。

 ああ、これこそが私の求めていた世界なのよ! ついにやったわ!



 でも、次第にどうなっていくかと言いますと。

 睡眠時間が、満足にとれません。

 気力でカバーするのですが、そもそも彼女は「何があっても私には芸しかない」と、覚悟と演じること自体の喜びを求めてこの世界に来たのではありません。動機が弱い分、彼女の忍耐力にも限界がありました。

 プラベートがありません。トイレの個室の中くらしか、心休まりません。それだってどうだか怪しいものです。

 最近は盗撮技術も進み、ストーカーだって甘く見れません。自分の好きにできる時間がへり、ドロドロした業界の上下関係にも疲れ、恋愛もご法度。

 ついに彼女は、こんなはずではなかった、確かに世界に大きな影響は与えられないけど、昔の普通の私のほうが、伸び伸びしていたなぁ。戻りたいなぁ。なんて思うようになります。



 あなたが、途切れることのない心の高揚感や、言い知れぬ安らぎ感と満足感にあこがれる時。

 当たり前のことですが、それはあなが今現在「それを得ていない」ことを示しています。得ていないだけでなく、それが永遠に続くとどうなるかを「知らないし、まったく経験していない」ということです。



 先ほどの、TVタレントにあこがれた女性を思い出してください。

 彼女はきっと、TVタレントにあこがれるようなきっかけがあったんだと思います。高校の文化祭で。あるいは、大学のサークル活動で人前で演技をしたり、パフォーマンスをする機会があった。

 その時に非常に喜ばれ、自分も少なからず幸福感を味わった。

 ああ、こんな感覚がずっと続くといいなぁ。芸能人になったら、これがずっと味わえるんだろうなぁ。

 でも、そのあこがれの時点では、彼女は知らなかったのです。

 その感覚をずっと味わう道が、どんなものかを。

 実際にそれを知ってみた彼女は、疲れ果てたのでした。

 まさか、こんなこととは……

 彼女は、自分が軽いあこがれをもって得てしまった自分の位置が、実は三度のメシよりも何よりも芸、それがあるなら他はどうでもいい、くらいの気合の入った人のためにあることに気付かされるのです。もっとも激しくそれを愛し、求める人にこそ本来の所有権があるのだ、と知るのです。

 あなたも、スポーツをすることがあるでしょう。

 スポーツは、楽しいものです。

 でも、ずっと体を動かし続けることができますか?

 いくら楽しいからといって、休憩もとらず睡眠もとらず、その快感を味わい続けることができますか? どこかで、疲れるのではないでしょうか。



 思い出すべきことがあります。

 この世界は、二元性の世界だということをです。

 正反対の、極と極のものがあって、この世界は成り立っています。

 


 陰と陽。高いと低い。長いと短い。

 早いと遅い。大きいと小さい。東西。南北。

 熱いと冷たい。うれしいと悲しい。楽と辛い。

 強いと弱い。近いと遠い。男と女。

 光と闇。善と悪……



 質問者の方は、「喜びの感覚、つまり満たされた最高のエクスタシーが続けば幸せなのに」ということを言われていました。

 残念ですが、それは幻想です。

 ないものねだりです。

 悪があるから、善があるのです。

 波も、一番低い位置があるから、一番高い位置があるのです。

 絶頂の瞬間があるから、安らかな、凪のような状態があるのです。

 セックスしている間中、絶頂だったらどうします?

 疲れて、次の日会社に行けるかどうか怪しいものです(笑)

 ずっと最高だったら、自分が今最高だということが分かりません。

 それが分かるのは、そうじゃない時があるからですね。

 それとの比較の中でしか、良いとか悪いとか理解できないんです。

 だから、感動するためには、心からの平安、愛の高まりを感じるためには、そうでない反対のものがあって初めて、それを認識できるのです。



 そこまで考えたら、神(超意識)という存在が完全という一元性の世界に留まっていることに我慢がならなかった気持が、分かってきませんか?

 先日、筆者へのコメントで「完全な世界で退屈しない自信があります!」というお方がいらっしゃいましたが——



●完全なることのどういうことかを知らないから、そう言えるだけです。



 先ほどの話の、本当に芸能人になる前の、あこがれをもった女性と同じ。

 もし、本当に完全なる一元性を体験してしまったら、いつかまたこんな宇宙次元を開いて、ゲームをしたくなっちゃいますよ、多分。

 だから、この宇宙は面白いのですね。



 スピリチュアルの多くの分野で、共通に言われていることは——

 悟るのが良いことだ、ということです。

 そして、二元性の世界を卒業するのが良いことだ、ということ。

 ACIM(奇跡のコース)をベースとした『神の使者』という本には、私たちが皆覚醒したら、この宇宙は消滅する、とあります。

 皆、一元のもとに戻りひとつになり、メデタシメデタシというわけです。



 私は、それはちょっとどうかな、と思います。

 私は、ACIMは素晴らしいと思っていますし、決して否定しません。

 でも、皆がこの世を卒業して、この二元性の宇宙が消えてしまうのが良いことなのだ、という決め付けはどうか、と思います。

 いいじゃありませんか。この世界が続いても。

 何か問題あります? 楽しいでしょ?

 この世界がなくなって完全なる静寂の世界に行けば、退屈ですよ?

 不幸がない代わりに、幸せもない。

 悲しみがない代わりに、喜びもない。

 何も起きないので、何のドラマも起きない。

 起伏のない、フラットな世界。そこに、ただ完全として「在る」だけ。 



 結論。

 絶頂や最高の幸福感がずっと続かないことに感謝しなさいよ、ということです。

 そうじゃない時が、最高の時を支え、引き立てているのです。

 男が皆、ジャニーズタレントみたいだったら、どうします?

 女が皆、佐々木希とか坂道グループのメンバーみたいだったら、どうします?

 どこで、喜びを得るのでしょう。

 どこが、楽しいのでしょう。

 この二元性の世界で生きる以上、反対のものとバランス良く共存しなければいけないのです。



 幼稚園での約束事みたいなものです。

『良い子は、これを守りましょう!』

 すべての物事の価値は中立なので、どうでも自由なのですが。

 この世間で言われる「良い人生」と呼ばれるものを生きたければ、反対のものがあることを認め、愛してください。

 認めた上で、自分はこっちが楽しいからこっちを選ぶ、というふうに生きてみてください。

 質問者は言います。「この感覚がずっと続けば毎日楽しいし、何も問題は起こらないんじゃないかと思えます」と。

 ……・問題ありまくりです!



 例えばですが、悟った人と言うのは始終ニコニコしてて、絶対に怒らなくて、いつでも愛に満ちたすっごく優しい状態で、決して声を荒げたりすることもなく、いつも完璧である——

 そんなイメージがあったら、捨ててください。

 悟っても、怒ります。

 イエス・キリストは実際に怒ってます。

 悟っても、しんどい時はあります。人と話したくない時もあります。

 何かに対して、くだらない、などと価値判断することもあります。

 エッチも好きです。(かなりの確率で)

 それだったらフツーの人とどう違うの? と言われそうですが。



 結局、悟ると言うのは「普通一般の人と一見同じ振る舞いをしながらも、同じような思考や感情を抱きながらも、そのことを別の次元から冷静に見ている自分を意識できている状態」のこと。

「演じている」自覚を忘れないで、保ち続けている人の状態。

 だから、悟ったら行動がすごくなるとか、有名人になるとか尊敬されるとか、捨ててください。そんな悟った人のイメージ。

 


 だって、すべての人が最高の価値をもつ「神」なんですから。

 悟った人がすぐれているなんて、笑える理屈です。

 皆素晴らしいんだから、優劣のつけようがないのです。

 テレビゲームがうまいからって、その人すごいですか?

 この世界でうまくやる、って言っても、それはテレビゲームがうまい、というだけの話です。シャレじゃないですが、そもそもこの世こそがテレビゲームのようなものですから!

 悟った悟らない、なんてその程度のものです。

 目くじらたてることはありません。

 自然のままでいいのです。

 魂のおもむくままでいいのです。

 喜びだけを求めていけばいいのです。

 低俗も高尚もありません。

 まったく自由。

 それが、この世界の醍醐味です。

 これが良い、皆目指しましょうというのは、どんなに聞こえが良くても立派でも、暴力であり押し付けです。

 


 マクドナルドなどのファーストフードで、店員がスマイルでこう言います。

『新発売の何とか何とかもオススメですが、いかがでしょうか~?』

 こう答えたくなりませんか?

「いらん! 欲しかったら、はじめから自分で言う!」

 皆を同じ方向にまとめようとする教え、これしか幸せになる方法はない、という教えは、かくのごとしです。

 あなたの魂が求めていたら、賛同したらいいです。

 そうでなかったら、やめましょう。

 正しい、正しくないはこの宇宙にありません。

 あなたは、恐れから人に言われたことに従うべきではありません。

 それでは、人生の主人のイスに他人を座らせることになります。

 


 ずっと続く幸福感というのは、矛盾しているのです。

 幸福というのは、そうでない状態があって存在できるのです。

 でないと、幸福なのだという自覚すら持てませんから。

 ただ、逆のものを認め受け入れ、感謝することで。そしてあえて自分は喜びを動機として幸せを選ぶ、と宇宙に宣言することで、限りなく幸福の比重(比率)を多くすることは可能です。

 てか、どんな状態だってあなたは本来完璧なのです。

 


 あなたがこの宇宙での旅路を、どうかありったけの幸福感と共に歩めますように。

 あなたと本来はひとつであるこの私は、そう祈っています。



 賢者テラ 

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