第8話:生還

詠唱コード入力。『光射す向こうへヴィッザ・ルミェ』……」


 シャトゥ=ツナーがそう呟くと同時に、彼そのものである光の球体が溢れんばかりの7色の光を発する。まるで虹のような輝きが四方八方に広がり、闇を切り裂いていく。


 その虹色の奔流は外から見ていたヨン=ウェンリー、マスク・ド・タイラー、ネーコ=オッスゥにも視認できた。彼らは高さ2ミャートルほどもある黒い繭と化してしまった2人を見守っていたのである。その黒い繭を突き破るように虹色の光が飛び出し、その繭はまるで卵にヒビが入るようなピキピキィ! と言う音を鳴らす。


 そして、次の瞬間、繭の中から外へとシャトゥ=ツナーの雄叫びが響き渡る。


「『光射す向こうへヴィッザ・ルミェ』発動ッス! 俺たちはこんなところでくたばる気はないッス!!」


 溢れんばかりの光と共に、黒い繭は内側から弾け飛び、その中からまばゆい光体が現れる。そして、光は徐々に収縮していき、若い2人の男女に変わり果てるのであった。


 女性のほうは、衣服を一切身に着けておらず、ぐったりと腹ばいに地面に倒れ伏せていた。


 ヨン=ウェンリーは急いで、自分が羽織っていた白色の外套マントを外し、彼女に被せる。自分が愛する女性の裸体を他の男連中に見せるのは嫌だという感情が働いたのはもちろんだが、それよりも、こちら側に戻ってきたナナ=ビュランを何かで優しく包み込み、護ってやりたいという思いのほうが強かったと言えよう。


 そして、ヨン=ウェンリーは続けて、彼女が右手に握る闇の告解コンフェッション・テネーヴァを取り上げようとした。しかし、その彼女は右手の指が食い込まんとばかりに長剣ロング・ソードの柄を握っていた。これにはヨン=ウェンリーも唸る他なかった。


 他方、ナナ=ビュランと共に黒い繭から出てきた男:シャトゥ=ツナーは、眼や鼻、耳、そして口から血を流しながら、茫然とした顔つきで、力無くへたりと地面に正座状態で座り込んでいた。彼は赦しの光ルミェ・パードゥンの力を使ったことで、またもや反動を喰らい、血反吐を吐くことになったのだ。


「しっかりするんだみゃー! あの黒い繭の中で何があったんだみゃー!?」


「わからないッス……。ただ、なんとなく赦しの光ルミェ・パードゥンの力を使わないと、ナナがこの世界からいなくなっちゃうような気がしたんッス。だから、俺、自分がどうなってもかまわないと思って、持てる力の全てを赦しの光ルミェ・パードゥンに注ぎこんだんッス……」


 眼の焦点が合わぬままに、ネーコ=オッスゥに返答するシャトゥ=ツナーであった。シャトゥ=ツナーは自分が何をしたのかよくわかっていなかった。ただ、ナナ=ビュランを助けなければならなかったとしか記憶が無い状態である。それゆえ、ネーコ=オッスゥが色々と聞き出そうとするのだが、シャトゥ=ツナーはわからないとしか返答しようがなかったのである。


「うーむ……。あまり良い状態ではなさそうだ……。しょうがない、ここはひとつアレを飲ませるかっ!」


「そうだみゃー。虎の精液を混ぜ合わせた薬液を飲ませるのが妥当だみゃー」


「ふふっ。甘いな、ネーコくんは。ここは紅き竜レッド・ドラゴンの尻尾を切り刻んで粉末状にしたモノを混ぜた特別な滋養強壮剤を飲ませることが妥当だっ! それ、ネーコくん、彼をしっかり押さえておくんだっ!」


 マスク・ド・タイラーはそう言うなり、黒いパンツの中に両手を突っ込み、もぞもぞと何かを探り出すように両手を動かす。そして、彼の右手がパンツの中から引きだされると同時に、彼の右手の中にはガラスの小瓶が収まっていたのである。


 マスク・ド・タイラーが、その小瓶の蓋を開けるなり、なんとも言えぬ卵の腐ったような匂いがあたりに充満する。それは硫黄に近い匂いであるが、眼や鼻に突き刺さる刺激が硫黄よりも遥かに強いモノであった。


「うえっ! おえっ! げほっ!」


 そのとてつもない刺激臭は眠りこけていたナナ=ビュランを覚醒させるには十分であった。ナナ=ビュランは眼や鼻に突き刺す賞味期限が1年ほど過ぎ去ってしまったかのような卵の腐臭に嘔吐感を覚えて、口から胃液を吐き出してしまうのであった。ヨン=ウェンリーはそんな彼女の鼻と口を押えるために、どこからともなく白くてキレイなハンカチを取り出し、彼女に手渡すのであった。


「ちょっと! ひとが気持ちよく寝ていたところに、なんてひどい匂いがするモノを持ち出してるのよっ!」


「ハーハハッ! おはよう、ナナくん! 怒るのは構わないが、へそまで丸見えになってしまっているぞ?」


 ナナ=ビュランがマスク・ド・タイラーにそう言われ、一瞬、何を言われているのかわからないと言った表情になる。そして、自分の身体を見るや否や、顔から火が出そうなほどに頬を真っ赤に染めて、自分の身体にかけられていた白い外套マントを自分の身体に巻き付ける。


「なんで、丸裸にされているの!? あたしの服はどこなのよっ!?」


「それを僕らに聞かれても困るんだみゃー。というか、何があったか知りたいのは僕らの方なんだみゃー」


 紅き竜レッド・ドラゴンの尻尾を粉末状にして混ぜ合わせた薬液をマスク・ド・タイラーに無理やり飲まされて、口から泡を吹きながら昏倒してしまったシャトゥ=ツナーを介抱しながら、ネーコ=オッスゥはナナ=ビュランに返答するのであった。


 ナナ=ビュランが大丈夫そうなところを確認したヨン=ウェンリーは、ナナ=ビュランから身を離す。そして、いつもの慈愛の籠った顔つきでナナ=ビュランにこう告げる。


「ナナ……。私を信じていてほしい。きみにとって、一番良い方向に進むように、私がなんとかしてみせる……」


「ヨンさま? それってどういう意味?」


 ナナ=ビュランがヨン=ウェンリーにそう聞くが、彼は彼女に背を見せて、自分の身体の1ミャートル先の何も無い空間に縦に長い紫色の渦を創り出す。そして、彼はその渦の中に歩いて入っていこうとする。


「ヨンさま、答えてっ!」


「すまない……、答えられないんだ。だが、ナナのお姉さんであるココさんは、ナナがラッシャー神殿に辿り着くまで、私が必ず守り抜いてみせる……」


 ヨン=ウェンリーはそこまで言うと、身体全体を紫色の渦の中に全て入れてしまう。そして、数十秒後には、その紫色の渦は消え失せてしまうのであった。


 残されたナナ=ビュランたちは、結局、ヨン=ウェンリーが自分たちの前に現れた理由を明かされぬまま、彼はどこかへと消え去ってしまったのである。


「ヨンさまの身にいったい何があったの? 誰か教えてよ……」

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