第3話:命の重さ

 幌付き荷馬車の車輪がゴトンッと重いモノが動き出す音を鳴らして、ゆっくりとではあるが荷馬車が前に向かって動き出す。不測の事態に陥って、あわやナナ=ビュランの姉と自分の想い人の捜索が中断されかけていたが、なんとか再開されることになる。荷馬車が動き出したことにより、ナナ=ビュランは少しながら胸のつかえが取れた気がするのであった。


「ようやく旅路の再開ね……。お姉ちゃん、ヨンさま、無事でいてねっ!」


「ココさんやヨンさんの安否も心配ッスけど、鎮魂歌レクイエムの宝珠のことも忘れちゃ駄目ッスよ?」


「何を言っているのよ? 鎮魂歌レクイエムの宝珠はついでよ、つ・い・で。法王庁の神具と2人の命。秤に乗せたら、どちらが重いか、わかりきっているじゃないの」


 ナナ=ビュランにとっては2人の命が鎮魂歌レクイエムの宝珠よりはるかに重いのは当然と言えば当然である。シャトゥ=ツナーもそれは重々承知である。しかしながら、この捜索の旅の主目的は鎮魂歌レクイエムの宝珠である。そうではあるが、もし、鎮魂歌レクイエムの宝珠を取り戻せなかったとしても、2人の命が救われるのであれば、それで良しだろうともシャトゥ=ツナーは思ってしまう。


 そもそもとしてだ。シャトゥ=ツナーはナナ=ビュランを護るために、法王庁から指名されたのだ。言ってしまえば、2人の命や法王庁の神具よりも、彼女を護りきれればそれで良いのだ。ナナ=ビュランの命、その姉と想い人の命、そして法王庁の神具の3つをシャトゥ=ツナーの心の秤に乗せれば、一番重いのはナナ=ビュランの命である。


「僕は出来ることなら、ナナ殿だけでなく、シャトゥ殿にも無理をしてほしくないんだみゃー」


 御者ぎょしゃ台からこちらを振り向きもせずにネーコ=オッスゥがそう荷台に座る2人に声をかける。ネーコ=オッスゥは危惧していたのだ。2人は成すことを成し遂げるためならば、自分の命を投げ出してしまいかねないだろうと。


 確かにニンゲンは命を賭してでも、成し遂げなければならないことがある。だが、そのニンゲンが命を落とせば、悲しむ者たちが必ずいる。だからこそ、命を賭すのは構わないが、生き残ることも同時に考えなければならないのだ。ネーコ=オッスゥはそれを彼女らに伝えたいのである。しかし、若者は往々にして、大人の言葉を素直に受け取れないものだ。


「あたしにもしものことがあったら、タイラーが何とかしてくれるはずよ?」


「ウッス。タイラーさん、俺がもしもの時は、ナナを護ってほしいッス」


 ネーコ=オッスゥはやれやれと肩をすくめる他なかった。今は何を言っても無駄だろうと、話題を変えることにするのであった。ネーコ=オッスゥは改めて、捜索の旅に出る前の2人は普段、何をしているのかを聞くことにする。


「あたしとシャトゥが聖堂騎士を目指しているって話はこれまでに何度か言っているじゃないの」


「そういうことじゃないんだみゃー。もっと普段の話を聞きたいんだみゃー。朝起きたら、何をしてとか、朝食には何を食べるとか、そんな普通の話を聞きたいんだみゃー」


 ナナ=ビュランとしては、そんな普段の生活のことを聞きたがるネーコ=オッスゥのほうが不思議でたまらなかった。そんなことを聞いて、ネーコ=オッスゥさんに何の得があるのだろうか? とさえ思ってしまう。だが、問われた以上は答えておくべきだろうと、ナナ=ビュランは口を開く。


「あたしは朝起きたら、まずはお風呂ね。朝風呂って気持ちが良いから」


「さすが年頃の女の子なんだみゃー。でも、朝風呂を堪能しようとしたら、朝早くに起きなきゃ駄目じゃないかみゃー? 僕は朝はギリギリまで寝ていたい派なんだみゃー」


「お、奇遇ッスね、ネーコさん。俺も朝はギリギリまで寝ていたい派ッス。朝風呂なんてとても味わっていられるほどの時間なんて取れないッス」


「シャトゥ、あんたねえ……。寝ぐせぐらいは直してこいって、訓練長に毎日注意されてたじゃないの……」


 ネーコ=オッスゥの話題変えは上手く行き、荷馬車の中の重々しい雰囲気はどこかに飛んで行ってしまっていた。3人は他愛のない話題に華を咲かせることとなる。バンカ・ヤロー砂漠の入り口付近にあるキャンプ場跡地までは寒村から荷馬車で大体5~6時間といったところである。ネーコ=オッスゥが何か話題を振らなければ、重苦しい空気がずっと荷馬車の中を支配していたかもしれない。そう言った点で、ネーコ=オッスゥは社交的とも言えたのである。


「ちなみに僕は娼婦館で月のお給料の半分を飛ばしてしまうんだみゃー」


「ネーコさん、それはちょっとお盛んすぎないッスか?」


「そんなことないんだみゃー。僕の知っている聖堂騎士の副隊長なんて、もっとお金を落としていっているって、聞いたことがあるんだみゃー」


「えっ!? 聖堂騎士の副隊長って、あの隊長よりもいかつい顔をしたあのひとよね……?」


 そもそも聖堂騎士が娼婦館を利用していること自体が寝耳に水のナナ=ビュランとシャトゥ=ツナーである。法王庁は娼館の存在自体を忌避している。そのため、宗教兼学術都市には娼婦館が1件も存在しないのである。そして、聖堂騎士たちには清廉潔白であるように口酸っぱく指導しているのだ。


 それなのに、その聖堂騎士の代表補佐ともいえる副隊長が娼婦館に出入りしていることを疑わしく思う2人である。しかし、ネーコ=オッスゥがその副隊長の名前をずばりと当ててしまったためにナナ=ビュランたちはさらに驚いてしまうのであった。


「あたし、急に心配になってきた……。3カ月前にヨンさまが商業都市:ヘルメルスに1週間ほど出張してたことがあったけど、もしかして、あたしとエッチなことが出来ないから、羽を伸ばしていたんじゃないかって……」


「はははっ、ナナはアホッスね。娼婦相手でも『清い仲でいましょ?』誓約は発動するらしいッス。相手が誰であろうと、誓約を誓いあった相手以外は浮気認定になっちゃうみたいッスよ?」


「そう? 本当にそう? あたし、ヨンさまに浮気されたら、生きていく自信を無くしちゃう……」


 シャトゥ=ツナーがナナ=ビュランの不安をかき消すためにも、事例を言うのであるが、ナナ=ビュランは本当の本当に大丈夫なのかと心配してしまうのである。しかしながら、ナナ=ビュランの心配は当然とも言えよう。ヤオヨロズ=ゴッド教は基本的な教義はあれど、それに付随する制約に関しては割と穴だらけなのだ。その穴を埋めるかのように法王庁が存在しているといっても過言ではないからだ。

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