第5話:涙堪えて

「なるほど……。理由はわかりました。神具には自らその刃を修復するという機能が備わっています。多少、強引に扱ったところでぽっきりと折れることはないでしょう」


 シルクス=イート卿はそう言うと、改めて、2人に闇の告解コンフェッション・テネーヴァ赦しの光ルミェ・パードゥンを渡すのであった。銀色の紋様が彫られた真っ黒な鞘に収まった闇の告解コンフェッション・テネーヴァを受け取ったのはナナ=ビュラン。そして金色の紋様が彫られた真っ白な鞘に収まった赦しの光ルミェ・パードゥンを受け取ったのはシャトゥ=ツナーであった。


 シルクス=イート卿はこれを面白いと感じる。ナナ=ビュランは白い鞘の方を選ぶとばかり思っていたからだ。ナナ=ビュランは無意識に黒い鞘を選んだのだろうが、彼女の直観が何かを囁いたたのであろうという見解を持つシルクス=イート卿である。


 必要なモノを全て渡し終えたシルクス=イート卿は、彼女らに神のご加護がありますようにと、紋切り型の宣言をする。その宣言を受けた2人はシルクス=イート卿に頭を下げて、法王庁の中央部にある礼拝堂から退出していくのであった……。


 その後、ナナ=ビュランはシャトゥ=ツナーを伴い、自宅に寄るのであった。司祭長チーフ・プリーストの仕事から一時的に外された自分の父親に顔を見せに行くことになる。アルセーヌ=ビュランは2人の姿を見るや否や、苦渋の表情を顔に浮かべる。それもそうだろう。若き2人に困難を押し付けておきながら、法王庁としては満足な支援を彼女らにおこなっていないのだから。


「ナナ。シルクス卿との面会は終わったのかね? 何か旅路に役に立ちそうなモノはもらえたのかい?」


「ええ、パパ。金貨100枚と、あと、神具である長剣ロング・ソードを2本、貸してもらえたわ。これでなんとかしてみせるから、パパはあんまり自分を責めないでね?」


 ナナ=ビュランはなんとなくであるが、父親がどういった感情を抱いているのかを、その苦渋に満ちる表情から感じ取る。それゆえ、気丈に振る舞うことで、父親が過剰に心配しないように配慮はするのだが、ナナ=ビュランが威勢を張れば張るほど、アルセーヌ=ビュランの顔は曇っていくばかりであった。


「ナナ。つらかったら、神託を放り投げて、逃げ出してかまわないからな? そうなった時は私が、お前の罪を全て被ってやるから……」


「何言ってるのよ! あたしに全部任せておいてっ! そんなことより、あたしまで居なくなっちゃうんだから、パパが不摂生になっちゃうことのほうが心配よっ! ちゃんと、1日3食、きっちり食べてね?」


 法王庁が賊に襲撃されて、鎮魂歌レクイエムの宝珠が奪われたわけだが、それをきっかけに、アルセーヌ=ビュランの食欲は段々と減ってきていたのである。そして、先日、娘のココ=ビュランが魔物モンスターに攫われてからは、1日1食分くらいしか、口に入れなくなってしまったのであった。この1カ月余りで、アルセーヌ=ビュランの頬はげっそりとこけ落ちていた。度重なる心痛が病魔のようにアルセーヌ=ビュランの身体すらも蝕み始めていた。


「あたしが全部、元通りにしてみせる……。だから、パパには倒れてほしくない……。あたしとお姉ちゃんが家に戻ってきた時には、パパには笑顔で迎えてほしいの……」


 ナナ=ビュランの眼尻には涙が溜まっていた。それがこぼれ落ちぬようにと必死に耐えながら、父親に出立のあいさつをしていたのである。その娘の表情にアルセーヌ=ビュランはもらい泣きしそうになる。アルセーヌ=ビュランは上着の右の袖で眼尻に溜まり始めていた涙を強引に拭き取り、笑顔を無理やり作り出す。


「行ってらっしゃい、ナナ。パパのことは心配するな」


「うん……。行ってきます、パパ」


 ナナ=ビュランは父親に抱き着き、両腕に力を込める。数秒、そうした後、両腕から力を抜き、父親から身体を離す。そして、くるっと回れ右をし、両足に力を入れて、しっかりとした足取りで自宅から出発していくのであった。


(ナナは私に心配させまいと、気丈に振る舞ってくれたのだ……。私も私が出来ることをせねばならないな……)


 娘の後ろ姿に感銘を受けたアルセーヌ=ビュランは、またしても眼尻に涙が溜まってくるのを感じる。しかし、その涙が零れ落ちぬように、アルセーヌ=ビュランは必至に堪えて、彼女を見送るのであった。


 ナナ=ビュランたちは自宅を出てから、もう一度、法王庁に出向き、東棟地区や訓練場で親しい者たちに挨拶回りをする。そして、それが終わると、法王庁前の広場を抜けて、出入り口の大きな鉄条門の前までやってくる。この鉄条門をくぐれば、ナナ=ビュランの捜索隊としての旅路が始まるのだ。


 ナナ=ビュランは大きく息を吸い、ふうううとゆっくりその意気を吐き出す。そして、両手でパンパンと両の頬を強めに叩く。


「ナナ……。そんなに強く叩くと、ほっぺたがぱっつんぱっつんになっちまうッスよ?」


「うっさいわね! 誰が、元々、ほっぺたがぱっつんぱっつんなのよ! 失礼なことを言うと、シルクスさまからいただいた闇の告解コンフェッション・テネーヴァの試し斬りをあんたの身体でやっちゃうわよ!?」


「おっと、それは勘弁ッス! ナナが剣を抜いたら、俺っちも正当防衛で赦しの光ルミェ・パードゥンを抜かなきゃならなくなるッス! 俺っちは女性を斬る趣味・性癖は持ち合わせていないッス!」


 シャトゥ=ツナーは相変わらず飄々とした態度で、軽口を叩く。しかしながら、その軽口が今のナナ=ビュランにとってはありがたい気がした。歩を進めれば進めるほど、足全体が重く感じていたのだ。そして、鉄条門の前に来た時は、足全体が鉛のように硬く、重くなってしまい、最初の一歩を踏み出せる力がどうしても出なかったのだ。


 しかしながら、シャトゥ=ツナーの軽口を受けて、足の重さは少しばかり軽くなったのである。


 ナナ=ビュランはふふっと口から漏らし、少しだけ微笑んだあと、シャトゥ=ツナーの方に顔を向け、コクリと首を縦に振る。シャトゥ=ツナーは珍しく真剣な顔つきでナナ=ビュランに対して会釈をする。


 そして、2人同時に、右足を前に出して、開け放たれた鉄条門から外に1歩を踏み出す。


 今、この瞬間、ナナ=ビュランにとっての運命の歯車が回り始めたのであった。ナナ=ビュランはカチリという小さな音を頭の中で感じることとなる。ナナ=ビュランは空耳よねと思い、あまり気にしないようにまた一歩、歩を進めていくのであった。

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