第2章:神託の巫女
第1話:ヨンの怒り
ナナ=ビュランにとって、いや、法王庁全体にとって、寝耳に水とはまさにこのことだったであろう。巫女は神託室から飛び出し、行く先々で神託の内容を大声で触れ回っていたのであった。
聖堂騎士団が彼女の身柄を確保し、改めて詳しく話を聞こうとするのだが、聞き取りの最中、彼女の眼は焦点が合わずに、一見すれば、まるで気が触れたニンゲンのようにも思えてしょうがないのであった。
しかしながら、巫女の口から繰り返して発せられる言葉には、『
巫女へ聞き取り調査を行っていた面々の中に、運が良いのか悪いのか、ナナ=ビュランの恋人であるヨン=ウェンリーが混ざっていたのであった。ヨン=ウェンリーは巫女の口から『ナナ=ビュラン』とはっきり告げられて、激しく動揺してしまう。
何故、神は自分の愛する恋人を危険極まる任務に就けと命じるのか? 何故、ヨン=ウェンリーと名指ししなかったのか!? と神自身に問い詰めたい気分であった。しかし、巫女と神の通心は一方通行だと言われている。巫女はただ、神の意思を受信するための器だと法王庁ではそう考えられている。
それゆえ、ヨン=ウェンリーが恨めしく、巫女:ヤスハ=アスミを睨みつけても意味はなかったのであった。
その後、聖堂騎士の面々は、ナナ=ビュランと面識のあるヨン=ウェンリーを伴い、彼女の家へ向かおうとしていたのであった。ヨン=ウェンリーは途中で、同僚たちを撒いて、自分だけ先にナナ=ビュランと接触を果たし、彼女をどこかへ匿おうとしていた。
それもそうだろう。巫女が示した
バンカ・ヤロー砂漠。そこは理由がわからぬが、草木がまったく育つことの無い、不毛の砂地であった。バンカ・ヤロー砂漠にはオアシスが存在することはするが、そこは砂漠に住む
バンカ・ヤロー砂漠がどのような経緯でそこに存在するかは、宗教兼学術都市:アルテナに住む研究者の誰もが、ちゃんとした答えを持っていなかった。それでもだ、地理学的にバンカ・ヤロー砂漠がゼラウス国の北西に広がっていることは不自然極まりないと、学者連中は口をそろえて言うのであった。
ポメラニア帝国の南の領土:土の国:モンドラは雨季と乾季がはっきりと分かれている土地であり、畜産や綿花の栽培に適した土地である。その土の国:モンドラからさらに南下したところにあるのがゼラウス国なのだ。
ゼラウス国自体はステップ地帯ではあるが、土の国:モンドラよりも降水量が多いのだ。いくら乾燥した空気が土の国:モンドラとバンカ・ヤロー砂漠の間にあるダンガーン山脈にて物理的に隔たれていたとしても、おかしなことだらけなのであると。
学者連中が言うには、ゼラウス国がステップ地帯なのは、バンカ・ヤロー砂漠が存在するせいだと、のたまっているのである。ゼラウス国の国民たちはこの学者連中の言うことを鵜呑みにはしなかった。というよりは、『卵が先か? 鶏が先か?』を議論しているだけの不毛な主張だと思っているのである。
もっと悪く言えば、結果が変わるわけでもないことをああでもないこうでもないと屁理屈を並べ立てて、国や法王庁から研究費をくすねている連中だと思われいてる。しかしながら、それでも、地理学並びに気候学は、国にとって、大事な学術分野であることは確かである。学者とは大げさにモノを言いたがる連中なのは致し方ない部分もあろうということで見逃されていると言って良いだろう。
さて、話を戻そう。巫女:ヤスハ=アスミが指名したナナ=ビュランという娘を無事、確保できた聖堂騎士団は、彼女を法王庁の中央部へと案内するのであった。彼らの目的は、彼女を巫女と接触させて、巫女がどんな反応を示すかを試すと言ったモノであった。
ヨン=ウェンリーは、もちろん、この騎士団の企みに関して、同意しているわけではない。再三に渡り、騎士団長にヨン=ウェンリーが抗議を申し入れるのだが、抗議されている騎士団長としても、このまま、何もしないで放っておいて良いモノかと逡巡してしまうのであった。
騎士団長のみならず、法王庁全体の問題として、巫女が受けた神託は、最優先事項として扱わなければならない。だが、それと同じく、優先して事を運ばなければならない事態も差し迫っていたのだ。
ゼラウス国内に散らばる枢機卿たち全員が、本日午後に、法王庁に集合する予定であった。それゆえ、巫女の件を出来る限り、迅速に処理しなければなからなかったのである。騎士団長は若手のホープであるヨン=ウェンリーの抗議を受けながらも、強引に事を運ぶ決定を下すのであった。
ヨン=ウェンリーはこの決定を大いに不服と感じるが、騎士団長から直々に『組織の一員として、成さねばならぬことを間違えるな』と言われて、手のひらに爪が食い込みそうになるほど、両手を握りしめ、歯がみすることになる。
今にも腰に佩いた
「ヨンさま……。あたしのために怒ってくれて、ありがとうね? でも、あたしはヨンさまの立場が悪くなるのは望んでいないよ?」
ヨン=ウェンリーの怒りが込められた抗議の声は、控室で待たされていたナナ=ビュランの耳にも届いていたのだった。普段は慈愛に満ちた声を発するヨン=ウェンリーなのだが、誰かに抗議を続けるヨン=ウェンリーの声には、慈愛なんてモノはほぼほぼ感じなかったナナ=ビュランであった。
そこにあるのはただ『怒り』であった。ナナ=ビュランはヨン=ウェンリーが怒声を揚げるたびに、まるで自分自身が叱られているかのように、ビクンビクンとウサ耳と身体が小さく震えあがってしまったのであった。
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