第170話 勇者は龍に挑みます
魔王討伐軍はついに魔王城まで到達した。そのことは感慨深いが、今は呑気に思い出にふけっている時ではない。
この先に待っている暗黒龍。
そしていまだ復活していないという話だが、実際にはどんな状態なのか分からない魔王。
楽観視はしないほうが良い。
討伐軍が倒さねばならない敵は、あまりに強大なのだ。
洞穴を見つめるセシルは腰の聖剣を確かめると乾いた唇を舌で湿らせ、同じく無言で周りを固める幕僚たちに笑いかけた。
「いつまでも眺めていても仕方ない。それでは行くぞ! 俺に続け!」
そう言って踏み出しかけた“勇者”の肩を、すぐ後ろに立っていた“聖女”が掴んだ。
「待て」
「なんだ、ココ?」
「なんだじゃないだろ」
聖女様、いささかキレ気味にジト目で勇者を睨んでいる。
「セシル、おまえ弱っちいんだからさ……いいかげん自分の立場ってものを覚えろよ。まともに剣で打ち合いもできないおまえが先頭に立って、万一のことがあったらどうする?」
周囲の側近たちが頷いている。そこ、全員の共通認識。
「何の為に軍団を率いてやってきたんだ。
「はい……」
王子様は首根っこを掴んで先頭をはずされる。
代わりに将軍の一人が、付き従う部隊へ先発隊の投入を命じた。
「なあ、ナバロ……こんなに威厳の無い勇者って、俺が初めてかな?」
「勇者自体が史上二人目ですから、もしかしたら……あ、でも、記録に残っていないだけで初代様も情けなかったかもしれませんよ?」
「あんまり慰めにならない話題だな、ははは……」
「ギャ、ギャッ、ギャギャッ! (バカか、おまえは。都合が悪いことは後世に書き残さない。記録を残す時の鉄則だろ? 王子のクセに何を学んできたんだ?)」
「コイツが何を言っているか分からないが、俺相当にバカにされたことを言われている気がするな……」
「ギャッ! ギャッ! (何を言ってるのかわからなければ、承知だけしてくれればいいよ。ケツ貸して?)」
「それは断る」
伝わる時は伝わるニュアンス。
◆
それほど深く潜るまでも無く、洞穴内に密かに浸透した斥候兵から伝令が戻ってきた。
「この先の広くなった所に、確かに龍と思われる物体が丸くなっております」
「思われる?」
龍なんて生物を見間違えるとも思えないが、連絡係は不思議な言い方をした。
「あのー、何と言いますか……とにかく見ればわかります」
兵士の歯切れの悪い言い方に首を傾げつつ、セシル達は選抜した突入部隊を率いて前進した。
そしてできるだけ音を立てずに進んだその先で……。
「なるほど……ハッキリ断言しがたいな」
セシルも思わず頷いた。
うずくまっている巨体は確かに伝承に見るドラゴンの姿をしていた。
その魔物は首が長く胴体が極太で、全体にトカゲに似た姿をしている。背中には蝙蝠に似た大きな翼を持ち、全身が石炭のような黒く光る鱗に覆われていた。
前肢が細く短く、後脚が太く筋肉が盛り上がっている。通常は二足歩行で移動するようだ。
いかにも昔話に出てくるドラゴン。
そう言うしかない姿をしているのだけど、偵察に出た斥候兵が言葉を濁したのは……その大きさが、あまりに非常識だったからだ。
一緒に岩陰から覗いていたココが、呆れた声で呟いた。
「あいつ、
デカい。
とにかく、デカい。
今覗き込んでいる洞窟自体がとんでもない広さがあり、ザイオンの街が丸ごとすっぽり入りそうなのだけど……その果てしない広さの空間が手狭に見えるぐらい、そのドラゴンは巨大なのだ。
「馬鹿言え、さすがにそこまでの大きさじゃない。うちの王宮は特別だからな。ザイオンの街よりも広いぐらいなんだぞ?」
「じゃあ、
「……の礼拝堂くらいありそうだな」
千人が座れる、見上げるような聖堂と同等の大きさ……これを“生物”かと疑った兵士の気持ちもよくわかる。
しばらく観察していたセシルたちは、一旦岩陰に退いて頭を寄せあった。
「どうします?」
ナバロの問いに、王子様は岩に阻まれて直接見えない龍を振り返った。
「どうすると言われても、アイツを倒さない事には前に進めない。幸いここは洞窟の中だ。ヤツは巨体で自由が利かないし、今はまだ寝ていて我々に気が付いていない」
セシルの見解に居並ぶ者たちが頷いた。
あんな通常兵器が役に立つと思えない魔物が、宙を舞って空から攻撃してくるなど悪夢以外の何物でもない。少しでも制限がかかる今、あらゆる手を使って攻撃するに越したことは無い。
「では?」
「ああ」
セシルは確認してきたナバロに、はっきりと肯定した。
「攻撃を開始する。準備してきた策を全部使うぞ、タイミングを合わせろ!」
◆
魔王軍最後の将であり、魔王城の守護者であるライドンは日課の昼寝……巨体を持て余し、他にやれることが無いのだが……から不意に目が覚めた。
『……これは、どうしたわけだ?』
なんだか気分が悪い。
暗黒龍のライドンは基本的に、生理的な快・不快を覚えることはほとんどない。
こういってはなんだが、魔物でも最上位種と言っていい存在なので生物的な欲求をほとんど感じないのだ。何らかの問題が起こって不愉快になることはあっても、体調が悪くてムカムカしてくることなどほとんど無い。
決して図体がデカいから感覚が鈍いわけではない……と
それがなぜか、今に限って気持ちが悪い。
『何かがあったか?』
思わず事故に遭った他者との精神的な同調を疑ってしまうほど、珍しい体調不良にライドンは疑問を覚え……ややあって、その原因らしいものに気が付いた。
『クックック……なるほど』
洞窟の中に多数の気配。
しかし、出かけて行った魔物たちとは根本的に違う気配が充満している。
『タイタンめ、あれだけの軍勢を率いて行って敗れたか』
魔王城に人間が多数立ち入っているということは、そう言うことだろう。
『この悪寒は、我が領域に不埒な人間どもが立ち入った不快感か』
なるほど、それならこの気持ち悪さも理解できる。
状況は理解した。
万に近い魔物も、
もはや魔王を守る者はライドン一人。
だが……。
『嬉しいぞ、
魔王軍のピンチに、むしろライドンは歓喜した。
あれほどの戦力差がありながら、人間が本当に魔王城まで攻め寄せて来れるとは思わなかった。
そして、それほどの力をもってしてもライドンは討ち取ることはできない。
人間にどれほどの武器、どれほどの魔法があろうと……ドラゴンの圧倒的な体格に加えて、魔神の加護により不死となったライドンには効かないのだから。
つまりこれは、攻め寄せてきた人間をライドンが退治してまわるだけの暇つぶしのゲームに過ぎないのだ。
ずっと寝ていて退屈しきっていた。
出番ができたことを喜び、すっかり機嫌が良くなったライドンは後脚で立ち上がって咆哮し……クラッと来て、そのまま柱状に残った鍾乳石を崩しながら横倒しになった。
『……ぬおっ?』
◆
ドラゴンを監視していた兵が後ろで作業をしている部隊に向かって叫んだ。
「龍が起きた! 効いているぞ、そのまま続けろ!」
「おおっ!」
嬉しい報告に、扇風機を回している兵士たちが歓喜の声を上げる。戦闘とは思えない地味な作業をしていた兵士たちの間の雰囲気が、一気にパッと良くなった。
敵についてある程度の情報を
そこでザイオン攻防戦が片が付いた段階で、ココとシャムロックを含めた上層部の会議で対策を話し合う。
そして採用されたのが、またもやココの力を使った……。
それぞれ十人程度の兵士が、クランクを掴んで必死にシャムロックが設計した巨大扇風機を回す。有り合わせの資材でやっつけで作った数十台の扇風機が全力で回り、その前で同じくバカでかい霧吹きを持った兵が噴霧と補給を繰り返していた。
彼らが作った聖水の霧は扇風機の風に乗って洞穴の奥に向かって吹き散らされ、どんどん暗黒龍の寝ている辺りへと飛んでいく。何も知らずに熟睡していたドラゴンは、当然無警戒にそれを吸い込み……。
これがセシルの思いついた暗黒龍対策。
“ココが作った聖水で、ドラゴンを体内から弱らせる”作戦である。
霧吹き担当の兵は慎重に立ち位置を定め、自分たちの作った聖水の霧をかぶらないようにしていた。
ココの作る聖水自体は(たぶん)人間には無害なのだけど、セシルは少しでも効果を高めようと、そこにひと手間加えていた。
ココが聖水を作る時の水を、井戸水ではなく
しかも安眠効果を高めるハーブ入り。
ライドンが立ち眩みを起こした原因。
それは人間が魔王城を犯したことによる精神的な不快感などではなく、魔の者に有害な聖心力と酒の混合物を大量吸引したことによる悪酔いであった。
つまりこれは、れっきとした生理現象。
彼がそれを理解するまで、もう少し時間がかかる。
「よーし、どんどん行けえ!」
はしゃいでいるシャムロックと反対に、良識人のナバロがなんだかなあ……という顔をしている。
「なんというか……勇者の最終決戦って言葉の響きと対極にありますね」
大量の兵士を動員して
ちょっと現実的なうえにあくどすぎて、勇者の伝説とは方向性が違う気がする。
「おいおい、おまえがそんなことでどうする」
言われたセシルは、いつも通りのイイ笑顔。
「ココに訳してもらったんだが、さっきゴブさんはいい事を言ってたぞ」
「なんです?」
「“歴史は勝者が作るもの”だそうだ。俺たちの未来は勝ってこそだぞ、ナバロ」
「あのゴブリン、ホント何者なんでしょうね……」
おおむね作戦通りの推移に、セシルたちは手ごたえを感じていたが。
しかし彼らにも一つ、思いがけない計算違いがあった……。
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