第112話 王国の民はお客様を熱烈歓迎します
日没直後の街は活気に満ちている。
仕事を終えて家路をたどる者や、これから混み始める居酒屋へ急ぐ者。様々な立場の人々がバラバラに街路を行きかい、民衆は一日が終わるまでの解放感に浸っている。
そんな中を人混みをかき分けて帰って来た行商人たちは、予定よりだいぶ遅れてやっと泊っている宿屋に帰り着いた。
今日は特に街が混雑している気がする。
宿の主人に帰りが遅くなったことを詫び、快活に挨拶した男たちは……階段を上がり切ると、ガラリと身にまとう雰囲気を変えていた。
身分を偽りビネージュ王国へ入り込んだ某大聖堂の密偵たちは、数時間の仮眠を取るために潜入拠点の宿へ帰ってきた。
『ビネージュ王都は食事に簡単にありつけるのは助かるが、庶民街の秩序の無さはたまらんな』
『仕方がない。むしろこの乱雑さのおかげで潜入が目立たないのだからな』
彼らは昼間は情報収集、夜は大聖堂内の代表団との連絡や他派の監視などに走り回っている。
都市内での潜伏だと一応ベッドに寝られるのは有難い。だが人目の多さに神経をとがらせ、痕跡消去に労力の大半を持って行かれるのはいただけない。
精神的な負担が大なのを考えると、野宿とどちらがマシなのか。ついつい暇があると考えてしまうところではある。
彼らが侵入者対策で扉に仕掛けた目印は、朝出かけたときのままだった。
一団を率いる小頭は、自ら封印を確認して頷いた。
『よし』
それでホッとした彼らは、やっと休憩できる空間へと入り……部屋の中に進んだ途端に、ピタリと止まった。
『全周警戒!』
小頭の短い叫びに全員が一斉に違う方向を向き、周りの気配を感じ取ろうと押し黙る。叫んだ本人だけが、震える手を部屋中央のテーブルの上へと伸ばした。
二、三人が食事をとるのに適した円卓の上に、かごに入った食物が置かれている。
中身はパンや果物、ドライソーセージなど。酒瓶も二本添えられていた。旅館で
……そんな物、頼んでないが。
彼ら全員、食事は毎回違う店で、バラバラの時間帯に、たまたま出先にあった店で食べるように徹底している。
宿は食事なしで泊まり、一階の食堂は利用していない。
これらは毒物を入れられない為の危機回避だ。
彼らの正体がバレていないとは限らない。決まったルーティンで同じ場所で食事をとるのは危険だった。
だから宿の食事なんて、もっとも仕込みやすい物は口にしないのだ。
それが今、注文してもいないのにこうして置かれている。
しかも、部屋の封印はそのままだった。明らかに中に侵入されているのに。
暗い部屋の中、机上の食べ物にメッセージカードが添えられていた。
今すぐ撤退するにしても、その内容だけは確認しておかなければならない。
小頭が震える手で摘まみ上げ、ろうそくの火で照らした紙面には……。
“お仕事ご苦労様です! 聖女”
『ゴートランド派だッ』
そう感知した途端、小頭は急に立っているのがつらいほどの眠気に襲われた。見れば部下たちもみなよろよろしている。
『しまっ……! 安眠の魔法か!?』
そう思った時には、小頭はもう床に膝をついてしまっていた。
◆
すっかり人通りの絶えた街路を、さる大聖堂の密偵チームが疾走していた。
『くそっ……! やけに楽な潜入だと思っていたが、まさかこちらを丸裸にするのに半月もかけているだなんて!』
潜入拠点がおそらくすべて襲撃を受けた。
長期間の監視を気づかれずに行っていることといい、全部のチームを同時に制圧しに来ていることといい……襲撃者の組織力は相当に大きい。おそらく地元ゴートランド派の闇の者たちだろう。
監視対象からの対向攻撃に気をつけていたつもりではあったが、地元の強みを生かしたヤツらの作戦勝ちか……どこで何をし、だれと会ったかをすっかり知られたとみていい。
だが、今は工作の失敗よりも無事に脱出することが先決。
しかし今こうやって逃走をはかっていても、彼らの外側を走る連中を撒ける気がしない。それどころか、どこかへ追い込まれている気配をひしひしと感じていた。
いくつめか分からない角を曲がったところで、彼らは急停止した。
路地の真ん中で男が一人、堂々とこの時間に火を起こしてゴミを焼いていた。
そして彼は深夜なのにいきなり現れた集団に、全く驚いていない。
……この場所が、彼らを追い立てていた連中の設定した終着点ということだ。
待っていた男は、部下たちに囲まれる中でも戦意を見せている外国人どもへ……よその組織の密偵たちへ、独り言を聞かせるみたいに一人ぼやいた。
「こっちもあんまり大事にしたくないから、このまんまお国へ帰ってくれないかねえ……俺らも一族まとめて皆殺しになってもおかしくないところを、あの聖女様に助けられているんでね。見逃すわけにはいかねえんだよ」
そこまで言って、初めて彼は追い込まれた連中に目を向けた。
「一応言っておくが。秘密を守るために自殺しようなんて、バカなことは考えないほうが身の為だ。聖女様はそう言ったのを無理矢理叩き起こすのが得意だからな……嘘じゃないぞ? なにしろ」
ビネージュ王国情報部・工作部門の頭目は、思い出すのもしんどそうに息を吐いた。
「俺が身をもって体験しているからな」
◆
この晩襲撃を受けたのは密偵たちだけではなかった。
ブレマートン派のマリブ司教は積みあがる一方のチップにほくそ笑んだ。
(やはりゴートランド大聖堂への出張中は、ビネージュ王都で遊ぶに限るのう)
ブレマートン大聖堂のある自由商業都市エバーレーンは大聖堂を領主とし、商人ギルドの連合が支配している商人たちの為の街だ。
政治的なしがらみや貴族の専横が無い分、商人たちが好き勝手出来る。それは歓楽街も恩恵を受ける訳で……。
“悪徳都市”の別名も持つエバーレーンの賭博場で鍛えたマリブ司教にとって、規模こそ大きくてもまるで甘いビネージュの賭博のレベルならカモと一緒だ。ゴートランドへの出張は良い小遣い稼ぎだった。
見事なテクニックであっという間に山を築いた新顔のオッサンに、テーブルの差配をしていたディーラーは目を丸くした。
「凄いですねお客さん! 絶好調ですね!」
「ははっ、まあなあ」
マリブは運などで勝負しない。おべっか半分、驚き半分のディーラーに謙遜して返したけど、正直ちょっとレベルが低くてぬるい駆け引きだ。
「ここらでもっとドカンと勝負をしてみたいんじゃが……どうもレートが低いのう」
「ああ! 王都じゃお上の方針で、高レート禁止なんですよ」
そう言って頭を掻いたディーラーが、周りをさりげなく見まわしてから声を潜めた。
(実は、お客さんみたいに物足りないっておっしゃる方も多くてですね)
(ほう?)
ディーラーの視線の先には、さりげなく従業員が通せんぼしているカーテンが下げられた入口がある。
公許の無い闇賭博場……。
マリブはさりげなく高額のチップをディーラーに握らせた。
(本当は一見さんは通せないんですけど、特別ですよ)
(うむ!)
ぬるい環境でチマチマ安全に稼ぐのもいいが、やはりギャンブラーとしてはデカい勝負を張ってみたい。
(ビネージュのレベルでは、たかが知れておるしのう)
案内の従業員について行きながら、割りの良い小遣い稼ぎにマリブは内心歓喜していた。
二時間後。
「そんな……そんなバカな……」
意外な苦戦に熱くなって、気がつけばマリブの負けはチップどころか身ぐるみ剥がれても足りないレベルに跳ね上がっていた。
「お客さーん……ちゃんと出せる範囲で賭けてくれないと困るんですよねえ。旅行者だと家に取りに行くわけにもいかねえしなあ」
いつの間にか出てきたならず者たちに囲まれ、マリブはもう生きた心地がしない。
もはや負け分を取り戻すどころじゃない。
このままでは、明日の朝日も拝めないかも……。
自分がどこかに売り飛ばされそうな流れに……マリブは蒼白になって神に祈っていた。
◆
王都の歓楽街のディープな部分では、今ちょっとした外国人ブームになっていた。
「おう、おまえのところはどうよ?」
「へへっ、すっかりご機嫌で散財してるぜ」
店の用心棒を務めるならず者たちが上機嫌で情報を交換し合う。
通例ならお上から“適当に接待して帰せ”と言われていた“大聖堂のお客さん”を、なぜか今日に限って“怪我をさせなければ身ぐるみ剥いでも良い”と許可が出たのだ。
どうせ何年かに一回しか来ないような頻度の客だ。
そのくせヤバい店ばかりに入りたがる自称“通な”バカどもを、銅貨一枚残さずにむしってやってもお咎め無し。
王都暗黒街の海千山千の怪しい商売人たちはお上の黙認を得て、何も知らずに今夜もやって来た“お得意さん”を次々と
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