第83話 聖女様は王手をかけます
それは戦闘などと言えるものではなかった。
「ひぎゃあ!」
みぞおちに物干し竿を食らった騎士が宙を舞う。うっかりココの正面に遮蔽物も無く立ったら、たちどころに光る棒の先端に腹を突かれる。槍のように突き刺さらないので、死ぬことはないが……だからこそ内臓を打たれた痛みに悶絶しながら、いつまでも転がり回らなくてはならない。ココの伸縮自在な“物干し竿”はほとんど飛び道具だ。
伸ばしたついでにココが竿を横殴りに振った。音を立ててスイングされた物干し竿は、そちらの方向にいた五人をまとめて刈り取って壁に叩きつける。
叩きのめされた者たちの呻きと嗚咽が次第に大きくなる中、幸いにもまだ無傷の者たちは顔から血の気が引いていた。
あり得ない。
こんな攻撃はどんな流派の槍術にもない。
当たり前だ。部屋の反対側まで瞬時に伸び縮みするような槍など無いのだから。
何があり得ないって、そんな常識外れの長さにしても聖女は重みを感じていないようなのだ。
棒の端を掴んで水平に持てば、槍だろうが釣り竿だろうが普通は腕に負担がかかる。左右の長さが偏れば偏るほど、つり合いが取れない分を腕力で無理矢理支えないとならないからだ。
ところがこの聖女は、鍛え上げた大男でも保持できないような長さまで“物干し竿”を伸ばしておいて、軽々自由に横へ振って見せる。振るだけでなく、今見た通り身構える五人の騎士をひっかけたまま棒を振り切ったのだ。
オーガもかくやという膂力を発揮しておきながら、年齢のわりに小柄な少女は疲れた様子も見せない。
まさに化け物と言うしかなかった。
ほぼ傍観者になっている王太子は聖女の後ろで、騎士が跳ね飛ばされるのを感嘆の声を上げながら見ていた。
「なあココ、一度に五人もよく薙いだな。腕、大丈夫なのか?」
セシルは一旦“物干し竿”を短くしたココへ、室内で“生き残っている”者たちが一番疑問に思っていることをストレートに質問した。
皆が注目する中、聞かれた聖女様は……。
「あ、これ? 聖心力で顕現した武器はなんか私が使いやすい重さになるみたいでさ。威力はバカみたいに強いんだけど、私は布団叩きを振った程度にしか感じないんだよね」
ヘラッと笑う、その屈託ない笑みには……明らかに誇張も謙遜もない。
「……そんなの反則だーっ!?」
「おまえらが言うな」
思わず叫んだ騎士たちに、セシルから冷静にツッコミが入った。
たった二人の素人に翻弄され、ラグロス公爵と配下の者たちはプライドが崩壊寸前だった。
もちろん、優勢な兵力を持つ側が負けることもある。それは戦争の専門家である彼らが一番知るところだ。
だが今日のコレは無い。
いくらなんでも負けを認められない。
達人どころか全くの素人が振り回す“物干し竿”に、数十人の騎士団員が剣の届く距離まで近づけずにいる。しかも既に半数ほどが身動きできないほどにまで痛めつけられ、床に転がっていた。
こんな相手に、こんな武器に、こんな腕前に。
一方的に叩きのめされては、騎士団の立場が無い。
血のにじむような鍛錬も、研鑽の歴史に積み上げられた剣の技術も、それら全てがバカみたいに思える今の状況に……“これでいい筈がない”というかぼそい執念で、騎士たちは折れそうな気力を叱咤しながら抵抗し続けていた。
そんな彼らに聖女様がコメント。
「なんだ、どいつもこいつもこの程度で攻め込めないとはなってないな。おまえらもしかして、書類仕事ばかりで現場出てないのか?」
そして、トドメの一言。
「わかんないなら実戦的な棒振りのしかた、私が稽古をつけてやろうか?」
「おいセシル。何故かこいつら『稽古つけてやろうか』と言ったら、急にやる気を見せ始めたぞ? そんなに地道な訓練が嫌いな連中ばっかりで、この国の騎士団大丈夫か?」
「まあ色々思うところがあるんだろう。それよりココ、やつら一斉に突っ込んでくるつもりだが……大丈夫か?」
「うむ」
ココは口々に「囲い込め!」だの「損害を気にするな! とにかく一太刀浴びせられる距離まで詰めろ!」だのと叫びあっている騎士たちを眺めた。
「人数はともかく、全方位からっていうのは困るな。さすがに一振りでは片付けられない」
「戦力として期待するなよ?」
「そのセリフは私に言わせて欲しかったな……だが、まあ」
ココは廊下の方に視線をやった。すでに多数の人が走る振動が床に響いてきている。
「ちょうど来てくれたようだ」
ノックもなしに警備の騎士が飛び込んできた。
かなり焦っていて、部屋の主に入室の許可を取るのも忘れている。
「ご注進! 緊急事態です!」
「何事か!?」
公爵が問い返すが、彼に対する返答は報告者のさらに後ろからやってきた。
開きっぱなしの扉から大挙して、武装兵がなだれ込んでくる。第一陣の後ろからさらに多数の兵を引き連れ、ウォーレスが顔を出した。
「間に合ってくれたか……」
なじみの顔を見て、セシルがホッと息をついた。
「ちょっと遅かったですかね……」
室内の惨状を見て、ウォーレスは思わず目を覆った。
◆
時刻を遡ること、三時間ほど前。
「なんですと!?」
ゴートランド大聖堂を訪れた王国貴族きっての重鎮、ブルックス侯爵は困惑した顔で聞き直した。
孫の受洗式のために大聖堂を訪れたら、急用だとして延期を要請された。
侯爵は王国貴族の中でも王族に次ぐ格式を持つ、最重要人物だ。今まで人後に回されるような扱いなど受けたことはない。
それなのに、事前にきちんと予約してまで準備していた祭礼をキャンセルされるとは……怒るより前に呆気にとられ、侯爵はオウム返しに聞き返した。
「しかし今日この時間というのは、
「いや、ご足労いただいたのに誠に申し訳ございません」
応接室に詫びに訪れた、教皇付きのウォーレス司祭が丁寧に頭を下げた。彼の後ろに並んだ幹部級の司祭たちも一斉にそれに倣うが、侯爵としてはそんな形ばかりの謝罪よりも理由を説明してほしい。
「実は、表立っては言えない事なのでございますが……」
「もちろん外でしゃべるようなことは致しませぬぞ」
言葉を濁すウォーレスに公爵が約束する。
だからさっさと話せと無言の圧をかける侯爵に、司祭が語ったのは驚くべき事だった。
「公爵殿下が……聖女様に!?」
王国と教会が裏で暗闘と言ってもよいほどの駆け引きをしているのは珍しくもないが、暗殺を企図したというのは一線を越えている。
しかも、それが実行段階にまで至ったのが一度だけではないとの言葉に……政界の古強者である侯爵も言葉を失った。
正直、王弟のラグロス公爵ならありえなくはないと侯爵も思う。
王国宮廷でも最も保守派に位置する公爵は権威主義者でもある。
現聖女の選出にもっとも異論を唱えていた一人であるし、ゴートランド教団を一段下に見ているのも有名な話だ。
だがそれでも、教団が独立勢力である以上は外交儀礼を持って扱わねばならない。現状で王国と教団の仲が悪くないだけに、小さな揉め事程度なら手出しをする前に交渉で解決するべきだ。
それなのに、政争相手のセシル王太子と仲が良いというだけで主権の外にいる教団要人の暗殺まで企てるというのは……。
何を考えているか読めないウォーレス司祭は、ことさら深刻そうな顔を作って見せた。
「そして実は、本日王宮へ招かれておりました聖女様が行方不明になったという連絡が入りまして……」
「なんですとっ!?」
「王太子殿下からは合わせて、『王宮内が王弟殿下の手の者で事実上制圧されている。今から救助に向かうが、自分もどうなるかわからない』とお言葉が添えられておりました」
ウォーレスが悲壮な表情で語る内容に、聞かされた侯爵も言葉を失った。
じつのところ、侯爵にウォーレスが話したことは大幅に脚色されている。
すでにココを通じて事前にセシルとは打ち合わせてあったので、伝書鳩が運んできた通信文には「始まった」としか書いてなかった。“王太子のお言葉”は全くの創作である。
そして侯爵家の参拝がココのパーティ参加の予定と被るのは初めからわかっていた。何かあれば“使える”と思って、ウォーレスはわざと予定を変更しなかった。
“突発事態”はきちんとセッティングしてあったのだ。
「そういう訳でして……王太子殿下の要請に従い、私はこれより王宮へ手勢を率いて事態解決のために参内して参ります」
ウォーレスが決然と言い放った言葉に、侯爵が目を剥いた。
「手勢と言いますと……聖堂騎士団ですか!?」
王国にとってゴートランド大聖堂が“身中にある外国”とすれば、ゴートランド教団から見れば同じ街中にあってもビネージュ王宮は他国の宮殿になる。
王太子の要請があるにしても、これは外国軍が王宮へ乱入するのと変わりはない。通常なら、あり得て良い話ではなかった。
ウォーレスは重々しく頷いた。
「事の重大性は私どもも重々理解しておりますが……我らが聖女様の身に危険が及んでいるだけではなく、王宮が正当な後継者に統制できない勢力によって占拠されようとしております。慣例ではありえない事ではございますが、我々は王太子殿下の要請にのっとり、事態の正常化を王国貴族の皆様と共にはかりたいと考えております。お孫様の受洗式は日を改めて盛大に行わせていただきたいと思っておりますので……本日の所はどうか、急な変更をご容赦くださいませ」
王国政治の一端を長年にわたり担ってきた侯爵は、ウォーレスの言いたいことを正確に理解した。
『教団は次期国王にセシルを支持する。そっちも風見鶏をしていないで、どちらに付くのか今すぐ選べ』
ゴートランド教団は日和見は許さないと言って来た。
となると話は単純、二者択一。
そうですか、
それとも……。
王国政治の
放置すれば王弟の勝利と見ていたが、教団が介入するのでは勝敗はひっくり返る。そしてそれ以前に、わざわざ火種を大きくした
侯爵は立ち上がった。
「事情は承知しました。そのような仕儀ならば延期もやむをえませんな」
そして両手でウォーレスの手を握った。
「現状は我ら王国貴族も事態を憂慮するところです。我らも早急な解決のためにご一緒しましょうぞ」
これはもう、王弟には先がない。
侯爵は一門を上げて王太子にのることに決めた。
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