第28話 聖女様は愚か者に目を付けました

 テレジアは修道院へ到着してしまった今現在も、憤懣やるかたない思いでいっぱいだった。

(あーやだやだ。こんな所で一番多感で大事なチヤホヤされる時期を過ごせだなんて、お父様もどうかしてるわ!)

 なぜ王宮勤めの都合がつかなくなったのか、そこには気が回らないテレジアだった。回るような娘なら、彼女は第一希望にそのまま行けた事だろう。




 マルグレード女子修道院は良家の子女ばかりが来るところと聞いていたけど、やっぱり飾り気も何も無くてテレジアの趣味に合わなかった。

 華やかな自分に似合わない、女だけで一日中聖句を唱えているような陰気でつまらない生活。今から気が滅入る。

 そう思いつつ腹立ちまぎれに靴音を立てて案内係の後ろについて行くと、前から修道女が二人やってきた。

 修道女は足音もなく歩くので、それを見ただけでも気持ち悪い。の仲間になって一年二年と過ごすのかと思うと、テレジアはそれだけで憂鬱になる。

「あら?」

 嫌悪感を感じながらすれ違う修道女たちを見ていた令嬢は、うち一人が知り合いなのに気が付いた。

「あなた、トロワグロ家の……」

 父が付き合いがある伯爵家の次女のはず……名前を覚えていないけど。

 幸い向こうもすぐに気が付いたようだった。

「これはサルボワ家のテレジア様。今日からこちらへ?」

「ええ、父の意向で。本当は宮中を希望していたのだけど」

 不満を隠さない令嬢に小さく笑った向こうは、すぐに横の同輩に腕をつつかれた。急いでいるらしく話をしている暇がないらしい。

「申し訳ございません、ちゃんとしたご挨拶はまた自由時間にでも」

「そうですの……」

 テレジアより用事を優先するのが気にくわないが、こちらもまだ荷物も置いていない。許してやることにした。

 ただ、彼女は去り際に気になることを忠告してきた。

「テレジア様、これだけは先に一つだけ」

「あら、なにかしら?」

「マルグレードは特別な世界です。ここでは外の常識は通用しません。特に三つのルールは絶対ですので……くれぐれも! お気を付けを」

「はあ……」

 と、言われても。

 修道院のルールはどんなのがあったかしらと考えるテレジアへ、先に入っていた彼女は予想の斜め上を行く三つを教えてくれた。

マルグレードの作法ローカルマナー修道院長シスター・ベロニカ聖女様ココ・スパイス。この三つは絶対ですので。決して犯してはなりません」

「えっ……?」

 最初のはまあわかる。でも、後ろ二つは人間であってルールでは無いのでは?

 それを言ったら、彼女どころかこの場にいる他二人も真顔になった。

「そんなことではやっていけませんわ! 後ろ二つが問題なのです!」

「そうそう。最短でここを出たかったら、逆らっては……いや、関わってはいけません!」

「修道院のマナーは覚えればいいのです。院長様刑務所長聖女様牢名主はどこでスイッチが入るか判らない、表と裏のまさに“自分が法律”なんです。気に触ったらどんな目に遭うか判りません!」

 そして三人、口を揃えて。

「いいですね? 忠告はしましたよ?」

 不気味な予言をテレジアに残し、それぞれの仕事へと別れていった。 



   ◆



 部屋に荷物を置き、修道院長に挨拶をして着替えを済ませるところまでは特に何もなかった。さっき皆が恐れていた修道院長シスター・ベロニカとやらも、家のメイド頭みたいな渋い顔をした普通の中年女に過ぎない。挨拶に頷くだけで、ありきたりな心構えを簡単に説いた以外は脅し文句があるわけでもない。

(なによ……別に何か怖いことがあるわけでもないじゃない)

 多少は身構えていただけに、テレジアは拍子抜けした。これなら心配なのは退屈だけだ。


 そんなテレジア改めシスター・テレジアの初仕事は、自分と入れ違いにマルグレード女子修道院ここを出ていく娘の見送りだった。見送りといっても今初めて顔を見る娘だ。その娘の指導係の修道女の後ろで、ただ突っ立っているだけの賑やかし要員に過ぎない。

「御世話になりました」

「すぐに結婚の準備に入るんでしょう? 身体に気を付けてね」

 別れを惜しむ先輩たちのうるわしい師弟愛? をしらけながら見ていたテレジア。出ていく娘が連絡通路から出ていくのを見送り、解散と言われて馬鹿らしいと思いながら部屋に戻りかけた……その時。


「イィヤッフーゥゥ! 外よ⁉ 外に出られたのよ⁉ おんめでとお私ぃぃいい! いらっしゃい素敵な明日ぁ!」


 おもわず振り返ったテレジアの視界よりも外。連絡通路の向こうから、今出ていった娘のものに間違いない雄叫びがまだ続いている。

 同じく振り返った指導係が苦笑している。

「あの子も粗忽が治らないわねえ……大聖堂まで出ても迎えの馬車に乗るまでは、油断しちゃいけないのに」

 当たり前みたいに恐ろしいことを口走ったベテラン修道女は、あっけにとられたテレジアを見て微笑んだ。

「あなたは今日が初日だったわね。大丈夫よ」

 笑みが深くなる。

監獄マルグレードだって、住んでみれば楽しい我が家よ?」



   ◆



(なんなの? 修道院ここがなんだって言うのよ⁉)

 テレジアが入ったマルグレード女子修道院はゴートランド教の教皇庁直轄で、王国も認める最上位の修道院……のはず。

 身元確かな人間しか入れないし、ここで何か事件があったなんて噂も聞かない。なのに誰もがあんなことヤバいとこばかり言うなんて……。

 これは僅かな知り合いに事情を聞くしかない。


 夕食も済み、自由時間になったところでテレジアはさっそく最初に出会った令嬢を探すことにした。

 大聖堂の中にすっぽりはまった一区画が修道院だという事は知っていたので、そんなに広くないだろうと思っていたのだけど……意外に広い。そして迷路のように複雑に入り組んでいる。

 実は大聖堂自体が非常時に城として使えるように、広大な領域と多数の施設群を有している。修道院だけでも砦の一つぐらいはすっぽり入る広さがあるのを知らず、テレジアはレイアウトも知らないのにやみくもに探して回った。

 当然、知己は見つからない。

「なんで、こんなに広いんですの⁉」

 テレジアは一向に目的が果たせず、イライラが募る。

 修道院送りになったことから始まって、やたら歩き回らされるし変な噂で脅かされるし。勝手が違うから好きにもできず、挙句に知人を探して迷子になるときた。

 自分のわがままを通して生きてきたテレジアが他人に振り回されている。

「あーもう、ほんっとうに嫌な所ですわね!」

 修道女の格好をしているのにイラついて一人で吼えるテレジア。

 彼女のフラストレーションが溜まりに溜まってあふれかけたこの瞬間……事件が起きた。


 テレジアが胸に煮えたぎるストレスを抱えながら勢いよく角を曲がった途端、反対から来た誰かとぶつかった。

「わっ!」

「きゃっ⁉」

 テレジアもバランスを崩して二、三歩よろけたけど、相手はもっと体格が小さかったので手荷物を落として床にしりもちをついていた。見ればまだ十を越したぐらいの子供……ただし一人前に修道女の法衣は着ている。

(やけに若すぎる修道女ね?)

 テレジアは最初そう思ったが、よくよく見直して気が付いた。

 輝く銀髪に、テレジアでさえ自分より上と認めざるを得ないかわいい顔。そしてこの年頃でこんな所マルグレードにいる娘とくれば、噂に聞く当代の聖女以外にありえない。

(こいつが聖女!?)

 思わず二度見してしまう。


 そう言えば、貧民の出身で礼儀も何もなっていない聖女はこの修道院で暮らしていると噂に聞いていた。

 なるほど、礼儀がなっていない。貴人であるテレジアに

 撥ね飛ばされた事に驚いたのか、ぶつかった相手が初めて見る人間だから驚いているのか、聖女は尻もちをついたまま呆けてテレジアを見ている。その間抜けヅラがまた、テレジアのささくれ立っている神経を逆撫でした。

(あーもう、最悪! この気分が最低の時に、この私に貧民聖女こんなヤツ!)

 物凄く機嫌が悪いところに身分卑しき下々聖女に失礼なことをされ、すでに沸点に達していたテレジアの元々かぼそい忍耐心が切れた。

 テレジアは腹の底から湧き上がる怒りとともに、どんくさい聖女を出る限りの声で怒鳴りつけた。

「なにやってるの、このチビ! 下賤な身で高貴な私にぶつかって来るなんて……身分をわきまえなさい、慮外者が!」

 頭に来たので、この賤民が落とした荷物も踏みにじってやる。

 愚か者を怒鳴りつければ多少は気が晴れるかと思ったけれど、今の境遇への不満を思い起こして不愉快はさらに募るばかり。

 テレジアは思う限りに叱責してやりたかったが、同時に自由時間も短いことを思い出した。

「ああ、こんなのに構っている場合じゃなかったわ……この私の視界に二度と入らないように気を付けなさい、いいわね!?」

 まだ知己は見つかっていない。こんな奴に関わって無駄に時間を費やしていても仕方ない。

 先を急ぐことにして、テレジアは後も振り返らずに歩き出した。



   ◆



 たまたま一部始終を目撃したシスター・アデリアが慌てて現場に駆け付けた時には、すでにシスター・テレジアは去った後だった。

「ココ様、大丈夫? 立てる?」

 まだ座り込んだままのココにアデリアが手を出すと、聖女様は思った以上の力でガシッと握り返してきた。

「アデル……」

「どうしたの? 何処か打った?」

 と聞いた次の瞬間、アデリアは顔を上げたココを見て背筋が凍った。


 笑っている。


 腹の底から湧き上がる怒りを隠し切れない口元を震わせ、洒落にならない猛禽類の目つきで犬歯を剥き出し笑っている。


 アデリアはハッと気が付いた。


 チビ。

 下賤。

 ぶつかってと決めつける責任転嫁。

 生まれをかさに着て威張り散らす。

 視界に入るな、などと一方的に無茶な要求。

 そして……ココが楽しみに収穫してきた食料ベリーを踏みつぶしていった。


 かつてここまでココの癇に障る行為を連発したバカがいただろうか……。

 たった一度のトラブルでココの意外に強い自制心を弾き飛ばす逸材がいたことに、アデリアは驚きを隠せない。

「アデル」

「ひゃいっ!?」

 怒りがそのままくぐもった笑いになって漏れてくる。そんな素敵な笑顔のココが、地の底から漏れてくるような声でアデリアに尋ねて来る。

「今のクソガキは初めて見るツラだな……どこの誰だ?」

「え、えーとですね……」

 近い未来に起こる事を予想し、アデリアは背筋の震えが止まらなくなった。

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