第09話 王子の気持ち 聖女の気持ち

 王子はまだ警戒心剥き出しで睨んで来るココに笑いかけた。

「おまえの受け止め方がどうであれ。これでも俺はちゃんと、私人としてもココに好意を持っているんだからな。顔を見に来るのが政略結婚の地ならしの為だけなんて思われるのは心外だぞ」

 距離を取ろうとするココの頭の上に、王子は包みをポンと載せる。

「なんだこれは。私はこれでも人前に出なくちゃならない聖職者だぞ。宝飾品ならいらん」

 胡散臭そうに臭いを嗅ぐココに、セシルはわざとらしく目を見張る。

「おまえなら金目の物は何でも欲しがるかと思っていたが」

「限度がある。王子由来の物なんか、引き取る質屋が無くて換金できない」

「俺に限らず男にもらった物を質に流すな」



   ◆



 王子が帰ると、ココは改めてナタリアに茶をリクエストした。

「あー……疲れたぁ」

 ティーテーブルに上半身を預けて、脱力しながら長々息を吐くココ。

「お疲れさまでした。なんていうか……お互い含むところがありまくりで凄かったですね……」

 ココも疲れたけど、巻き込まれたナタリアもげっそりしている。

 政治なんかと無関係に育ってきたナタリアも、貴族令嬢であるからには政略結婚のドロドロした内情は知っている。けれどそれは自分のあずかり知らぬところで、親たちが勝手にやり取りするものと思っていた。当事者同士が腹の探り合いをしているのは、見ているだけで精神的に……クる。

 椅子の背もたれにだらしなくもたれかかったココが呻いた。

「くそう、年季明けがあるから聖女も我慢してやってられるけど……ヤツの嫁なんかになったら死ぬまで籠の鳥だ。絶対に逃げてやるぞ」

「見ていると気持ちは判ります……『王子と聖女の結婚なんて素敵!』とか思ってた頃の自分が無邪気過ぎてバカみたいですね」

 ナタリアの乙女卒業宣言を聞いて、ココが不意に跳ね起きた。

「そうだナッツ。今、男いないんだろ? おまえちょっと王子に色仕掛けしてみない? アイツ実は巨乳が好みらしいぞ」

「私に面倒なゴタゴタを押し付ける気ですね!? 勘弁して下さい!」



   ◆



 ナタリアが退出した後、ココは就寝時間を待たずにベッドへ仰向けに寝転んだ。

「……クソ王子め」

 正直な話をすれば、ココもセシル自身は嫌いじゃない。

 ヤツは腹は黒いが話は判るし、頭の回転が速いからしゃべっていて小気味良くさえある。

 しかしながら庶民の暮らしに親しんでいるココは好き勝手に生きたいと思っているし、セシルは何より王子であることを優先しなくちゃならない立場だ。政治の道具としてこの先何十年もヤツに扱き使われるのは遠慮したい。

 初めから、ココとヤツの歩いている道は違うのだ。


 寝返りをうったココは、さっき放り投げた小箱が顔の近くにあったので手に取った。

「……なんか、食い物だって言ってたな」

 アクセサリーなら突っ返すと言ったココに、

「喰えば無くなる物だ。後腐れが無くていいだろう」

 とセシルは答えた。それならただの土産だ。だからココは受け取った。

 起き上がって開けてみる。中には親指の先ほどの茶色い塊が十個ほど入っていた。かすかに果物と別種の甘い匂いがする。

「なんだこりゃ? 泥団子……な訳ないよな」

 同封の短いメモを見ると、南方諸国の珍しいお菓子のようだ。

「えーと、ショコラ……このまま食えるのか?」

 恐る恐る口に入れてみると……。

「……へえ」

 ほろ苦く、甘い。

 ココは一粒丁寧に舐め溶かし、しばし余韻に浸った。

「たまにはアイツも良いものを持ってくるじゃないか」

 これは珍しくて美味しい。少なくともココは見るのも聞くのも初めてだ。

 こげ茶色一色の粒を見ているうちに、ふとココは良いことを思いついた。

 

 そうだ、ナッツたちにも分けてやろう!


 ココには実家が無い。そしてもう、外での暮らしより修道院での寝起きの方が長くなった。今さら親からの手紙なんか羨ましくもないが……親しい修道女たちが家からの救援物資しおくりを分けてくれるたびに、内心返す物が無いのを心苦しく思っていた。

 ココはケチな分、貸し借りにはシビアだ。向こうは気にしていなくても、与えられる一方というのは非常に良くない。

 見た事も無い外国産のお菓子。王子から下賜されたっていうのも、上流階級の人間にはポイントが高いだろう。

「ナッツにドロシーにアデル。院長はぁ……賄賂が効かなそうだから止めとこう。一人何粒あるかな?」

 四人で分けて食べよう。

 ウキウキしながらショコラチョコレートの数を数えようと箱を掻き廻したココの指に、一番底に入っていた何かの金属部品が当たった。

「なんだ?」

 親指と人差し指を押し込んで、摘まみ出してみる。

「……あの野郎」

 出て来たのは銀色に鈍く光る金属のリング……指輪だ。

 偽金を掴まされないよう、コインをよく見ているココの鑑定眼は地金を純銀と判定した。シンプルなデザインで金と違って派手ではないし、黒ずむ性質を考えると素人目には年代物に見えやすい。ご丁寧に石座マウントは貴石を嵌め込むのではなくて、女神像を刻印した厚めのメダルにしてある。

「なるほど、由緒ある聖具に見えるようにってか……つくづくいらない事には気が回るヤツだな」

 これなら、何かの拍子に見られても聖女の持ち物らしく見える一品だ。堂々付けていれば、信徒もまさか男からもらった求愛のアクセサリーだとは思うまい。


 王子に一杯食わされたココは、指輪を布団の上に放り投げるとうつ伏せに倒れた。

「……くそう、見てくれだけの腹黒王子のくせに!」

 政争の為、国内統治の為に割り切った関係を望んでいると言えばいいのに。

 聖女の肩書がついていれば誰でもいいんだとハッキリ言えばいいのに。

「あの顔で期待を持たせるような事を言いやがって……」


 正直な話をすれば、ココもセシル王子を嫌いではないのだ。

 自分でも認められないけど、あの信用できない爽やかイケメンヅラも恋人みたいにベタベタして来る気安げな態度も嫌いじゃないのだ。

 ……それも計算だと白状されたら心に大打撃を被るから、初めから信じたくないのだ。


 真っ赤になったままの顔をあげて、のろのろ指輪を摘まみ直す。

 薬指は恥ずかしすぎるので、中指に嵌めてみた。ぴったり嵌まる。

「そう言えば、アイツ前回来た時やたらと私の指を触っていたな」

 輪のサイズは偶然じゃないだろう。ココの性格から、絶対薬指合わせだと嵌めないと確信していたに違いない。

「ホントに気が回るヤツだな!」


 ……たまになら、嵌めてやってもいいか。


 ココは広げた手指に輝くリングを見ながら、ぼんやりとそう思った。



   ◆



「もうそろそろココは見つけたかな」

 セシルは王宮の窓から遠くにそびえる大聖堂の尖塔を眺め、楽しげに呟いた。

 実際に製作を手配したお付きの騎士ナバロが聞き咎め、眉をしかめる。

「殿下。せっかく顔だけは良いのですから、もうちょっと正面から口説いたらどうですかね?」

「無理を言うな、ナバロ。アイツは野良猫だぞ? かわいがろうと手を伸ばすとするりと逃げてしまう」

 セシルは顎を摘まんで考え、もう一言付け加えた。

「堂々としているように見えて臆病なのだな」

 王子の考察を聞き、騎士ナバロは大げさにため息をついた。

「臆病なのはあちらさんだけですかねえ」

「……何が言いたい」

「いえ、別に。いつまでも冗談めかしていると、いざという時に信用されなくなるんじゃないかと思っただけでして」 

「ほう……さすが、相手もいない歴二十五年の大ベテランは言葉の重みが違うな」

「お褒め頂き、感謝の極み」

 ギスギスした主従の会話はそこで終わり、側近の退出した部屋で……セシルは立ち上がった拍子にソファから転げ落ちたクッションを蹴り飛ばすと、ふてくされたようにソファに沈み込んだ。

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