第27話 聖女様は陰口にも負けません
普段近しいナタリアやアデリアが好意的なので忘れがちだけど、ココの元浮浪児という経歴はやはり冷笑や侮蔑と共に彼女に付いて回っている。
教会は聖女の元の出自まで公表していないので、庶民にはこの情報は隠されている。しかし新聖女の発見時に経緯を伝えられた一部の人間、特に十年一日の如き貴族社会では未だに嘲弄の的となっていた。
それは彼女が聖女となって既に八年経った今でも口から口へ水面下で語られ続け、けっして剥がれないベールのようにココを覆っている……。
「なんて言っても、本人は気にしてないですよねえ」
シスター・アデリアの軽い感想に、一緒に刺繍をしていたシスター・ナタリアとシスター・ドロテアはウンウンと頷いた。
「陰口叩かれている程度なら害は無いって、けっこう鷹揚に構えているのよね」
「そういうとこ~、ココ様大物よね~」
金銭面は凄いシビアなのに、どうでもいいと思ったことは何を言われようと放っておく。すぐ近くにいる三人でも、ココの思考は不思議だった。
「あ、でも」
ナタリアは一つ注意すべきことを思い出した。
「だからと言って、やられた嫌なことを忘れるわけじゃないのよね。記憶力良いから」
「……ココ様的に許せる一線を越えたら、いきなりキレたりするのかなあ」
「ココ様~、そういう所はやっぱり野生の生き物よね~」
三人はまたウンウンと頷いた。
◆
マルグレード女子修道院のほとんどの修道女は非常に若い。全体の実に三分の二くらいは十代後半の少女だ。
彼女たちのほとんどは貴族や富裕層の令嬢で、大人になる前の仕上として修道女見習いの形でマナーの習得に来ている。
社交界デビューか結婚の時が来れば、彼女たちは二、三年で還俗して家へ帰っていく。だからほかの修道院では考えられないけれど、ほぼ毎月の様にメンバーの誰かは入れ替わっていた。
修道院長の執務室に呼ばれたナタリアは、その修道女の入れ替わりについて院長のシスター・ベロニカより説明を受けていた。
「三名が帰って、新しく二名入って来るのですね……シスター・レミアはまだ二年目も半ばでしたよね? 早い還俗ですね」
「許婚に早くしたい事情があったようです。まあ、出ていくほうは別にいいのです」
院長の物言いに、ナタリアも新規の二名のほうを再度見直した。
「……私も最近の宮廷事情が判らないのですが、この二名が何か?」
「上段のサルボワ侯爵家のテレジア嬢は、本来なら王宮の王妃付き女官長の所へ行儀見習いに行くはずだったそうです」
シスター・ベロニカの言葉の裏を、ナタリアは一呼吸のあいだ考えた。
「廷臣に見られてはまずいほど、マナーがなっていないということでしょうか?」
行儀見習いと言っても一から習いに行くわけじゃない。家庭教師からOKが出るレベルの娘が最終試験兼実地訓練に行くのだから、教育未了では怖くて出せない。
「だったら良かったのですが」
打てば響くような院長の即答の返しに、ナタリアは思わず呻きを上げそうになって寸前で踏みとどまった。この院長やココと付き合って六年。衝撃を顔に出さない程度にはナタリアもたくましくなってきた。
それにしても、“年ごろになってもまだ教育が行き届いていない”よりも最悪な条件て……。
考えているナタリアに向けて、シスター・ベロニカが無表情に続ける。
「テレジア嬢は蝶よ花よと可愛がられて育てられたそうで」
「……まさか」
「女官長と顔合わせまではしたのですが……“わきまえない振る舞い多々あり”という理由で預かるのを断る旨、後日侯爵家へ封書が届いたそうです」
「想像を絶するお方ですね」
王妃の女官長に預かってもらうなんて、宮廷へ見習いに出す場合の最高に箔が付くケース。今からでもナタリアが代わって欲しいくらいだ。そこに一回は内定をもらっておきながら、取り消しになるなんて……。
しかもそういうキャンセルは内々に連絡があって、初めから話が無かったように取り繕うもの。公式に文書で断られるなんて、それだけで汚点が付いたと言っても良いのだから普通はあり得ない。
「断りの文言を考えれば、家の爵位をかさに着て、というところでしょうか?」
「おそらく」
女官長は確か伯爵夫人。宮中の序列に爵位は重要だけど、役職と交友関係も忘れちゃいけない。直接王妃に進言できる後宮女官のトップに喧嘩を売るなんて、その娘はデビュー後に自分がどういう立場に置かれるか、何にも考えていないに違いない。
そしてナタリアが院長に呼ばれた訳も理解できた。
「その娘がココ様に遭った時に、何かしでかさないかとご心配なのですね?」
王妃女官長を格下の出身と見る高慢な侯爵家令嬢が、“下賤な貧民”の聖女様にどんな態度を取るか……火を見るよりも明らかだ。
そうなった時にできるだけ事を荒立てないよう、聖女様にも自重してくれるよう釘を刺せと。
とはいえ、お付きが長いナタリアにもできることに限りがある。
おそらく二年は同じ施設の中で過ごすのだから、ココとそのテレジア嬢が遭遇しない方が不自然だ。そして喧嘩を売ってくるのが向こうである以上、ココに我慢させるのもすぐに限界が来る。
なんと言ってもココはココだ。教皇に遠慮をしないココが新入り修道女に気を使うはずがない。
「ココ様もそういう点は割とおおらかですけど、でも限度はあると思われますが……」
ナタリアが暗に荷が重いと告げると、修道院長は特に感慨も無さそうに頷いた。
「それはいいのです。いえ、むしろ……」
彼女は窓の外を眺め、独り言のようにうそぶいた。
「修道院の生活について要点だけは押さえておられる聖女様が、新参へ御鞭撻下さるのを期待させていただきましょう」
このオバサン今、サラッと“毒を以て毒を制す”と言いやがりましたよ?
これを聞いて自分は今、どういう顔をしているんだろう?
ナタリアはこの部屋に鏡が無いのを非常に不安に思った。
シスター・ベロニカが椅子を回してナタリアを正面から見た。
「とは言いましても、聖女様もまだお若い。指導に熱が入り過ぎないよう、あなたが付いて見ていて下さい。私からもよくよくお願いしますね」
意訳すると。
但し問題にならない程度で済むよう、おまえが見張っておけ。
自分に手間かけさせんなよ?
(一番難しい注文じゃないっ!?)
心の中で絶叫したナタリア。
気の合わない暴れ馬を二頭も繋いだ暴走馬車を操り、所定の場所にピタリと停めてみせろって……。それをナタリアに要求する方がどうかしている。
でも結局ナタリアの口から出たのは、
「承知致しました」
の一言だった。
……間に挟まって胃を痛める人間はいつだって、空気を読める常識人と決まっているのだ。
とぼとぼとナタリアが下がろうとした時、院長がふと壁にかかっている女神像に視線を上げた。
「無いとは思うのですが……聖女様がテレジア嬢、いえ、シスター・テレジアに遠慮をして衝突に至らないという可能性もあるのでしょうかね」
あっ。オバサマ、逆パターンの制御法も考えているみたい。
それについては、ナタリアは自信をもって言える。
「本人ではないので確実なことは申せませんが……」
そう言ってナタリアは、ニゴリと疲れた笑みを見せた。
「ココ様はいつだってココ様です」
◆
ゴートランド大聖堂に到着した新人は、まず大聖堂や教皇庁への挨拶回りを終えてから修道院へやってくる。テレジア・サルボワがやっとマルグレード女子修道院へ足を踏み入れたのは、馬車を降りてから二時間ほど経った頃だった。
「まったく、この私が辛気臭い修道院暮らしだなんて……」
彼女は既に機嫌が悪かった。
挨拶回りで軽く疲れたのもあるけれど、そもそも勉強先が華やかな宮廷ではなくて修道院へ変更になったのが気にいらないのだ。
連絡通路で大聖堂の司祭からマルグレードの修道女へ案内係が代わったが、相変わらず手荷物も持ってくれない。そもそもテレジアが持てる程度の私物しか持ち込みが許されないところがすでに気にくわない。
簡単に言えば、修道院での行儀見習いは全てが気にくわなかった。
テレジアは連絡通路の先を胡乱な目つきで眺めて鼻を鳴らし、仕方なく……本当に仕方なく、しぶしぶ案内係の後ろについて歩きだした。
……
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