第17話 聖女様は左の頬を殴られたら右手の棍棒で殴り返します

 強欲な商人はより一層調子を上げて騒ぎ立てる。

「聖女様、まあ聞いて下さい! おたくの強欲な神官どもの非道ぶりを!」

 クソオヤジの後ろでウォーレスが凄い傷ついた顔をしている。おそらく教団で一番金にがめついココより俗物に見られて、彼のナイーブな心がショックを受けたんだろう。顔に出すとはいい度胸だ。

 この騒ぎが治まったら、ウォーレスは後でプチ殺すとココは心に書き留めた。


 ココが内心そんな事を考えているとも知らず、オッサンはどれほど教団の拝金主義な対応に心を痛めたかをけたたましくしゃべりまくる。

 ココが爆発するのではないかとひやひやしているウォーレスが、何とかオヤジを抑える糸口を探そうとしているけど……呼び込みで鍛えたベルクマン氏の大声は、ベテラン司祭に口を挟む隙も与えない。演説のプロ相手に大したものだ。

 そして笑顔の裏でじりじり不快指数が上がっていくココ。

「だいたい教会というのは迷える衆生を導くのが使命なのでは無かったですかな? いわばこちらはおたくらの事情に付き合ってわけです。むしろミサに来いというなら日当を出してくれてもいいぐらいですぞ!」


 もうどちらの意見が正しいとかレベルでさえ無い。“わがまま”とか“勘違い”なんて言葉もおこがましい。

 成金男のあまりに勝手な言い草に、ココの登場で一回発散した周囲の敵意もどんどんヒートアップしている。

 今ここには、王都庶民の指導者インテリ層が集まっている。権力に必ずしも好意的ではないけれど、この商人ベルクマンのように矜持が無いのもまた憎んでいる。

 体面がある当事者ウォーレスたちよりも、下手すれば傍観者の彼らの方が暴発しかねない。このままだと……群集心理でリンチが起きそうだ。

(うえー……これ、私が裁かないと収まらない流れだよな)

 いかにも拝聴していますと言う顔でココも黙って聞いているけど、勝手な言い分の奔流でそろそろ我慢の防波堤が決壊しそう。これも仕事だから頑張って顔を作っているけど……ココちゃん正直言えば、本当は気が長い方じゃないのだ。

 ナタリアの横まで来たウォーレスも、目の前でイライラするココに気が気でない。ココが爆発する前に口を挟もうと隙を窺ってはいるけれど、波風立てずに連れ出す方法が思いつかない。


 そうこうしているうちに、オヤジのクレームはとうとうフィナーレを迎えた。

「と言うわけでして! 聖女様、この哀れな私めにしつこく絡んで来る金の亡者どもを何とかしてくださいませ! それが指導者たる聖女様の務めでございましょう!」

 自分を棚に上げて言い切った男は、さらに余計な一言を付け加えた。

「ご年少の身で難しいかもしれませんが、役職にあぐらをかくからには丁稚の躾ぐらいやっていただきませんとな!」

 

 一瞬、その場に殺気が充満した。


 人々はそれを、聖女にまで当てこする男への自分たちの怒りだと思ったようだけど……ナタリアとウォーレスはハッキリと感じ取った。その殺気は横の少女から漏れたことを。

 無言でお互いの袖を引き合う二人。ナタリアとウォーレスの認識は一致した。

(キレたココが地を出してバカを殴り倒す前に、この場から引き離さないと!)

 だけど二人が行動に移す前に、自称“哀れな私”がさらに余計なことを言い出した。


「ゴートランド教は歴史もある代わりに膿も溜まっているようですな。聖女様におかれましては、是非ともまずお膝元の浄化に専心していただきたいところです。そうすればこの私も、快く信仰することもやぶさかではありませんぞ」


 あれほど憎悪で沸き立つほどだった現場が静まり返る。

 誰もが、今聞いた言葉が信じられない。

 コイツ、これだけの騒ぎを起こしておいて……今日の喜捨を踏み倒すだけじゃなくて、いけしゃあしゃあと通うつもりだと!?


 しかも女神の代理人である聖女に向かって、“やぶさかでもない”などと上から目線で……。不敬どころじゃないベルクマンの発言に、王都でも中流以上を自認する教養人たちが一人残らず間の抜けた顔で唖然としている。

 そんな中で、最初に我に返って口を開いたのはココだった。

「お話は承りました」

 聖女は困ったような笑みを浮かべ、首を傾げた。

「今、私の一存ではなんともお返事しがたい点もございます。取り急ぎ私からは教皇猊下にお伝えしておきますので、今日のところはお引き取りいただけませんか? 教団の者の至らぬところにつきましては、猊下とも相談しまして諸々改善していきたいと思います」


 自分じゃ判断できないから教皇に投げる。今日のお代はいいから帰れ。

 

 その場にいた者は、聖女の言葉をだいたいそういう意味に受け取った。

 無理もない。在任期間は長いがまだ成人前の女の子だ。場を収めるのにそれ以上気のきいたことを言えというのは無理だろう。

 乱闘にまでなりそうな空気だったけど、ココの言葉で群衆は消化不良ながらも解散する雰囲気になり始めた。傲慢オヤジは喜捨不要を勝ち取ってもまだ絡みたそうだったが……あまりに騒ぎが長引いて警備の騎士まで駆けつけてきたのを見て、これで引き上げる気になったようだ。

「いやいや聖女様はさすがに下々と違って話が判りますな! 今後とも末永くお付き合いをお願いしますよ」

 胸を張って仰々しく帽子を脱いだ礼をするベルクマン氏に、こちらも踵を返そうとしたココがそっと頭を下げた。そして、こちらも一言。

「どうか、貴方に女神の加護のあらんことを……しかしながら女神の恩寵は限りなき物なれど、分け与えられるのはあなたの信仰心に応じたものになることでしょう。幸多き人生をお祈りしております」

 ちょっと気になる言い方をした聖女の言葉。

 しかしベルクマンが口を開く前に、聖女の姿は司祭と騎士に阻まれて見えなくなった。



  ◆



 声をかけるタイミングを計るナタリアとウォーレスを従えたまま、ココは無言でずんずん進む。ココの向かった先は修道院ではなく、教皇の執務室。

 ノックもせずにいきなり扉を蹴破った先では、ミサも無事終わって教皇ジジイがまったりしようとワイングラスを傾けているところだった。

「…………なんじゃ?」

 間抜けなツラを晒す老人の手からグラスを奪い取り、ソファにどっかり深く沈んで足をローテーブルの上に投げ出したココ。

「ナッツ! ジジイに説明してやれ!」

「はいっ!」

「ウォーレス、ちょっと来い!」

「はい!」

 わけが判らない教皇にナタリアが今の一件を説明し始めるのを横目に、ココは教皇の側近を呼び寄せた。

「あの男、近くの野次馬の話だと西大通りで商売をしているベルクマンと言う男だそうだ。知ってるか?」

「今までうちの信徒ではなかったので、街の噂程度にしか……」

 つながりが無くても、噂だけでも押さえている切れ者ウォーレス。

「どんな噂だ」

「安売りで評判の店なんですが、これが“安かろう 悪かろう”の見本みたいな品揃えだそうで。それでも見た目だけ良い商品が多く、知らない人間には人気の店のようです。当然、後から揉める事も多いようですが』

「そんなの普通だろ? それだけか?」

 目利きのできない人間が悪い。これは都市民の間では一般的な考えだ。

「さらにやり方が強引だそうです。苦情が入れば言いがかりをつけられたと脅し返し、近隣とも町会のルールを守らないので白い目で見られていると」

「ふうん」

 ココはグラスの中のワインをぐるぐる回しながらちょっと考えた。

「おまえの部下をさっきの徴収係につけて、確かに本人か確認させて来い」

「判りました」

「それから、今から手紙を書くから至急セシルに届けろ」

「セシル……王太子殿下ですか?」

「うん」

 大聖堂で見せた天使の困り顔に代わり。

 ココは美少女が絶対見せちゃいけない笑顔で犬歯を剥き出しにした。

「聖職者ってのは舐められたらやっていけない商売だぞ、ウォーレス。喧嘩を売っていただいたんだ、できるだけ高く買ってやろうじゃないか」

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