B.きっと泣いてなんかない

「なっちゃ〜ん漫画貸して」

「いいよ......って、もう読んでるじゃん」

「あひゃひゃ、おもしろーい」


 それ、ギャグじゃなくてがっつり恋愛モノの漫画なんだけどな......。

 私を夜に家から連れ出したあの日以降、この人が私の部屋に陣取る回数は劇的に上がっているような気がします。


「なっちゃんはさ、こういうのしたい?」


 私に見せるように開かれたページには主人公と男の子のキスシーン。

 こういう無神経なことを言って、私をからかってきます。本音は、それは......してみたい。この奔放な女の人に。


「ほほ〜最近の子はませてるね〜うりうり」

「そっ、そんなんじゃないもん」

「本当かにゃ〜?」


 咲希ねえは正面から私のほっぺを両手でぐにーっと引っ張ります。形は全然違うけど、私はこの顔を向かい合わせた状態にドキッとしてしまいました。


「......ウチで練習してみる?」

「──ふえっ」


 全く想像していなかった言葉に、私の心はスクランブルエッグみたいにかき乱されてしまいました。

 どうしよう。 したい。練習でもなんでもいい、どんな建前でもいいから、咲希ねえの柔らかそうな唇に触れてみたい......。

 でも、もしそれでバレてしまったら? 誰かに否定されるならいいけれど、もしこの人の口から「ウチとなっちゃんは結ばれない」と言われてしまったら? 私はそれを受け止める自信がありません。


「なっちゃん? 今絶対本番の相手のこと考えてるでしょ」


 ず、図星です。私は間違いなく咲希ねえとの本番を考えてしまっていたのですから。


「ねえねえ、どんな子? どんな子〜?」


 私が言葉を発さずにいるうちに、咲希ねえの中での確信はどんどん強くなってしまっているようでした。すなわち「私には気になる男の子がいる」という確信に。


「......えっと、あんまり勉強できなくて」

「のわっ、マジか。むしろ最初に浮かぶイメージがそれなの......どんだけ残念なやつなんだ!」


 ......。口が裂けても「あなたです」なんて言えなくなってしまいました。


「あとはあとは?」

「せ、背が高くて......」

「なっちゃんちっこいもんな」


 咲希ねえはちょっと憐れみとかを含んでそうな眼差しで私の頭をぽんぽんしてきました。

 割と腹が立ったのでぽかぽか叩き返しました。


「あと、笑うと......ちょっとかわいい」

「なんと......カワイイ系か、ウチの再現範囲超えちゃうな」


 あくまで「私の好きな人」の代わりに徹しようとする咲希ねえに、私の中で少しずつ怒りが湧いてくるのを感じました。

 ここで言えてしまったら、どれほど楽なんだろう。「あなたが好きです」10文字にも満たないはずなのにそれはひどく遠く、私の手は咲希ねえに届きそうもありません。


「......咲希ねえは最初からかわいいもん」

「え? なに?」


 この人は......。私が小声だったのも悪いかもしれないけど。それでも私の中の決定的なナニカは崩れてしまいました。


「もういい、咲希ねえなんか知らない」

「え、ええ〜! ちょっと難聴だっただけじゃん!」


 私は咲希ねえの側に背を向けてベッドに横になって、そのまま全身にお布団を被りました。


「な、なっちゃーん」


 お布団の上からゆさゆさと咲希ねえが揺さぶってきます。どんな形でも、こうして咲希ねえが私を求めてくれるのは嬉しいです。


「......」


 咲希ねえの動きが止まりました。どうしたんだろう? ただここでお布団を出てしまうのは、思いっきり拗ねたのにちょっと恥ずかしい気がします。


「......」


 すごく、気になります。ひとりで勉強してるときですらいつもだいたい口が音を発してる咲希ねえが、こんなに静かなのはあり得ないです。


「......」


 私のわがままさに嫌気が差して部屋を出て行っちゃってたらどうしよう。流石に怖くなってきました。


「......」


 お布団を脱出するべきか悩みます。どちらにしろ咲希ねえにばかにされそうな気もするし......。

 でも、いつまでもこうしているわけにもいかないと思います。もう15分くらい経ってるような気もするし、自然な動きだと信じて......。

 私はお布団を振り払って再び現世に帰ってきました。咲希ねえは──


「......うっ、うう」


 部屋の隅で......泣いてる?

 私の背筋を冷たいものが支配しました。咲希ねえを泣かせて、放置してたとしたら。私が咲希ねえの立場ならそんなことする相手のこと好きになったりはしないと思います。どうしよう。

 とにかくお布団から出た以上、私には行動する義務があります。私はできるだけ派手な音を立てないようにして咲希ねえの方へ歩くことにしました。


「さ、咲希ねえ?」

「なっちゃん......ばかにしてごめん」

「え?」

「この漫画すごく泣ける」

「......」


 あまりに大人しいと思ったら......漫画読んでたんだ。安心したのと同時にさっきと同じ怒りが再燃するのを私は知覚しました。

 私ばっかりあたふたして......ばかみたいだ。


「よし、登場人物のことは頭に叩き込んだよ! 今回はこの男の子をなっちゃんの理想像と仮定して......練習してみよっか?」

「......いらない」

「にゃんでさ〜?!」

「再現とか、理想とか、いらないもん」


 できるだけ恨めしい感じで言ってみたけど、この人に私の伝えたい言外の意味が正確に届いた例はすごく少ないです。

 でも直接的な言い方で伝えるのは私が恥ずかしいし、なにより今回は言ってしまったらどうなるかわからないから。......理解できない咲希ねえの方が悪いんだ。


「そんなっ......なっちゃんは肉体だけの関係がいいって言うの......っ!?」


 やっぱりこの人馬鹿なのかもしれない。


「......いいよ、咲希ねえは咲希ねえで」

「なっちゃん?」

「咲希ねえが役に入り込んだらブレーキ効かなそうだもん」


 咲希ねえがこういうことをやるときは本気でふざけてきます。付き合ってるこっちが疲れてしまうのは昔からの経験で知ってるので、やめてほしかったのは本当です。


「じゃあこのまま、する? キス」

「............する」


 咲希ねえはすごくニヤニヤしていて、本当は全部見透かされてるんじゃないかって思います。そうだったらいいのに。咲希ねえが私の気持ちを否定しないだけで、私の胸につかえたナニカは綺麗に取れてしまうはずなのに。

 やっぱりまだ、面と向かって聞ける感じはしません。


「目、瞑って」

「うん」


 咲希ねえの指が私の首筋を経由して後頭部を押さえると、それだけで咲希ねえに包まれているような錯覚に囚われてしまいます。


「なっちゃん」

「......?」

「ごめんね、ウチがいいって言うまで目開けないで」


 私が同意するかしないかのタイミングで、私の口は塞がれてしまいました。

 咲希ねえの唇は、今まで想像していたのよりずっと柔らかくて、ずっと優しくて、ほんのり甘い感じでした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます