1話

A.なんでお前はそうなんだ

「では問6(2)だが──東中ざ......いや平川、やってみろ」


 これも、もう慣れたな。私には触れていけないという空気、これはもう十分にクラスの中に蔓延していた。

 なんとかしようとも思わない。余計なことをされるくらいなら透明人間のように過ごす方がマシだ。不透明度100%だった小学校から比較すれば、この状態は悪くない。楽なのだから。



 ホームルームが解散となると、やっと私は自由だ。しかし、帰宅時間をできるだけ遅くしたい私に与えられた自由とはある意味不自由と同じだった。時間を潰すのも簡単ではない。周りの奴らに聞かれることがないように、短くため息をつく。


「里奈先輩! 服装は直って──ああ〜」


 馬鹿だ。私に対する声が響いたことに、教室内は静かに騒然となった。状況に困惑しあちこちを見る奴、顔を見合わせる奴、西脇の方を見やる奴。


「全然直してくれてないじゃないですか!」

「......いいから、来い」

「まだ話は終わってないで......ちょっと!」


 憤慨した様子の西脇を連れて教室から離脱する。人気の一切ない、私がお気に入りにしている屋上前の踊り場で西脇に向き直った。


「西脇お前、私がクラスでどういう扱いか知ってんか?」

「里奈先輩......あーだこーだ言って制服直すの誤魔化そうとしてませんか?」

「あ"ーもう! そもそも私はお前に名前で呼ぶのを許した覚えはないぞ!!」


 ちくしょう。調子狂う。


「もしかして名前で呼ばれるの、怖いですか?」

「......んなわけ」


 昔のことがフラッシュバックする。全方位から私に向けられる目を想像して眩暈がした。


「ふむ......わかりました。名前で呼ぶのはもうやめます」

「な、なんだよ。別に大丈夫だって言ってるだろ」


 西脇が距離を詰めてくる。少し私より低い位置にあったはずの顔が目の前にいる。背伸びしているにも関わらず必死さは微塵も見せない。私はつめたく冷えきった壁に追いやられてしまう。ふわりと漂う彼女の香りが私を襲っている。

 西脇はまるで子供を静かにさせるために諭すかのように人差し指を私の唇前で垂直に立てた。


「顔は、そうは言ってないですね」

「っ?!」

「それじゃあ......先輩? 制服直させていただきますから」


 な、なんだこれ。誰もいない廊下で後輩に迫られてる......みたいじゃん。


「む、無理だ。無理無理! 恥ずいわ!」

「あっ、ちょっと! まだ全然──」


 制服まで届くところだった西脇の手を振り払ってしまった。


「と、とにかくあんまり私には関わるな。まだ1年だろ? 余計なことは首突っ込まないで好きに過ごしたほうがいいって」


 嘘ではない気持ちを言う。私と関わることがこの学校においてプラスに働くとは思えない。

 それにやっぱり、私はひとりの方が性に合ってるらしい。さっきから冷や汗が止まらない。久々に同じくらいの年齢の人間と話して緊張しているのだろう。我ながら情けない。


「お断りします」

「えっ」


 西脇は少し考え込んだあと口を開いた。このときの目を、私は忘れることができないだろう。ひどく真っ直ぐで、淀みも、かと言って無邪気さもない......真剣な瞳。


「確かに、強引にするのでは意味がありませんね。しかもちょっとハラスメントっぽくなってしまいました、ごめんなさい」

「え、ええ? なんだよそれ」

「先輩が自分で制服を直してくれるまで説得し続けるのが正攻法というものです」


 本当に何を言ってるんだ。私に構わない方がいいって言ってるのに。


「......よく頑固者って言われるだろ」

「よく言われるし、自覚もしてます。だから先輩も早く諦めてくださいね」


 これは、どうしたら正解なのだろう。いろいろとわからなくなってきてしまった。だが、少なくとも自分の無音な学校生活は守りたい。


「わかった。でも説得という方法を取るってんなら、こっちはこっちで好きにする。私がちゃんとしてないのは説得の足りないそっちの努力不足ってことでいいな?」

「いいですよ、私にも風紀委員としてのプライドがあります。必ず先輩を説得しますから」

「いよしっ、それなら私も文句はないよ。でもほどほどにしろよ。私と関わって変な目で見られても知らないからな〜」

「変な目、ですか?」


 西脇はきょとんとした顔をしている。やっぱ学年が違うと知らないか、高校は全員同じ地元から来るってわけでもないし自然なことだ。


「それは私と先輩がお付き合いしてるように見えるってことですか?」


 階段から転げ落ちそうになった。


「な、ななななんでそうなる?!」

「えっ、変な目ってそういうことじゃないんですか?」


 西脇は至って普通に言ってくる。......けど、おかしいだろ。ここ共学だし、そんな恋愛に飢えてる奴らばっかりじゃないし......何より私らは、その、女同士だし。


「ち、ちげーよ」

「本当ですかあ?」


 とことん純粋(?)な年下女子を直視できなくなった私の視界に、西脇は無理やり顔をエントリーしてくる。その真っ黒な瞳に吸い込まれてしまいそうだ。


「だっていきなりこんなひっそりした場所に連れてきて、どう見ても告白とかそういう流れじゃないですか〜」

「な、ば......そ、そういうつもりじゃ」

「大事なのは周りにどう見えるかだと思いますよ、先輩? もちろん......相手にも」


 悪戯っぽい笑みだ、こんな顔もできるんだ。朝会ったときはもっと、堅くてくっきりした顔しかできないものかと思ってた。私の中の緊張感が増す。


「まあいいです。契約はできましたし、今後は私が先輩の担当になります。服装を中心に、いろいろ口出しさせていただきますので」

「な、なんだよそのシステム! 聞いてないぞ」

「あら、知らないんですか先輩。今年度の風紀委員の新方策ですよ。尤も、本来は上級生が下級生の担当になるみたいですが」


 やっぱりこいつ腹立つかも。私が疑心暗鬼かつむすっとして悶々としていると、何かを見せられた。見やすいように光度が上げられたスマートフォン、なぜか蛍光灯が外されているここでは目にしみる。

 これは、QRコード?


「これ私のIINEアインです。交換しましょう」

「な、なんでお前と連絡先交換しなきゃいけないんだ」

「先輩、これでもなきゃ逃げちゃいそうですし」

「......てか、西脇はいいのかよ。その、私なんかと」

「? ダメなわけないじゃないですか」


 私が自分を武器にこいつを引き離そうとするとき、こいつは全く動じない。全然聞かないし、効かないのだ。私は観念して、チャットアプリのIDを交換することに決めた。

 しかし、問題がここでひとつ。


「あ、あのさ西脇、交換は明日ってわけにはいかないかな」

「逃げようとしてもダメですよ、どうせ交換するならいつやっても同じです!」

「じゅ、充電、そう! 充電なくなっちゃってさ〜!」


 西脇の視線が猫めいた挙動で私の輪郭を撫でる


「でも通知のランプはしっかり点滅してますよ?」


 ダメだ。こいつを騙せると思った私の方が愚かだったのだということを理解した。


「実はそのアプリ、インストールしてないんだ」

「今時珍しいですね、ならメールでもいいですよ?」

「いや、今ここで入れるよ。だから登録とかいろいろ教えてほしい」


 西脇は仕方ないですねと言って冷たい廊下に座り込んだ。その隣を手のひらでぺちぺちと叩く。私は素直にそれに応じて一緒に座る。冷えた廊下は冷たかったけど、西脇の隣はその体温が直に伝わってくるようにあたたかい感じがした。

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