C.年下声優と年上漫画家

 私は界隈でも話題の有名声優......ではない。今日も事務所が持ってきた無名キャラの担当だ。

 まあ、仕事があるだけ感謝しなきゃいけないんだけど......さ。私の声なんて視聴者的には雑音ノイズに過ぎなくて、私の名前なんて作品の最後に流れる興味のない感じの羅列でしかないんだと思うと、なんだかやるせない。



 このダメダメな気持ちを払拭するために、帰りにちょっとだけ高めのプリンを買った。折角なので同居人の分も。あいつ甘いの好きだからな、どんな顔して食べるか今から楽しみだ。


「ただいま」


 同居人からの返事がない。電気もついていない。部屋は滅茶苦茶に荒らされている。いや、荒らされてるみたいに汚いのはいつものことなんだけど......。


「うわ、怖!」


 そいつはパソコンの前で静かに寝息を立てていた。全身布団に包んで頭だけぴょっこりペンタブの上に置いている。なんだこの幻獣は。

 ナマケモノと断じてしまいたいところだが、こいつは意外としっかりしている。割と名前のある少女漫画誌で連載とってるし、モブキャラばかりの私とは大違いだ。今日も大方、原稿やったまま疲れて寝入ってしまったというところだろう。

 ふわふわした髪を避けるようにして眼鏡を外してあげると、鼻パットの跡がくっきり赤く刻まれてしまっていた。


「あらあら......ん?」


 ひとつ、画面が気にかかった。これ、本当に少女漫画誌の原稿だろうか。なんか......普通の少女漫画にこんな液体の擬音描写は必要ないと思う。


「貴様ァーッ!!!!」

「ひなげし!!」


 私の全体力を懸けた渾身の手刀が、黄泉から変態を現世に再招来した。漫画なら電気のエフェクト入ってると思う。


「あえ〜しーちゃんか〜」

「私のキャラで同人誌描くのやめてって言ってるよね?!」


 そう、こいつは私が担当したキャラクターを使って......その、性的な漫画を描くのが趣味なのだ。仮にも少女漫画家のしていい所業じゃねえよ。


「......すまん」

「すまんじゃなーい! しかもなにさ、今度のは地味子じゃねえか、このキャラ私嫌いって言ったのにー!」


 私の演じたキャラの中でわざわざ嫌いなやつをチョイスするなんて......。いや、そういう問題ではないのだが。とにかく私はこの変態をバッシングできる要素を探していた。


「......あたいは好きだぜ!」

「どこがよ......気弱で全然──」

「昔のしーちゃんみたいでさ」


 な、なんだその言い草は。や、否定はできないんだけど、今更言われるのはちょっと。


「ほ、本物が目の前にいるのに漫画であれこれするってどうなのさ!」

「だってあたしとしーちゃん全然生活リズム違うんだもん」


 確かにここ最近、日中出勤型の私と昼夜逆転型のこいつとの間には隔絶的な世界の差が生じていた。私が一人で寝てる間こいつは仕事に没頭してるなんて普通だった。待て待て上手くはぐらかされているような気がする。


「よっ、欲求不満だからってこんな──」

「そうだね、ごめん」


 ちょっとしゅんとする。こいつのこういう顔に、私は弱い。


「これ消したげるから今日は一緒に寝よーね」


 まあ、それくらいはいいか。消してくれるんだし、私も......ちょっとは一緒にいたいし。ただしこのときのデータはクラウドに上がっててPC上のファイルは囮だった。惨い。



 ひとつの布団の中に二人で包まっていると、いろいろなことがどうでもよくなってくる。こいつの身体は冬眠前の熊みたいに脂肪を適度に蓄えているので触れていて気持ちがいい。


「クロ」

「なに、あちき?」

「クロは彼氏とか作らないの?」

「お前との生活があれば俺は幸せだz──ひそっぷ!!」


 右ストレート+スクリュードライブ。

 でも、その答えが満更でもない私もいる。


「素直じゃないにゃあ〜! しーちゃんだって幸せでしょー?」

「......」

「えっ、マジでか?! これ私だけ? 永遠の孤独じゃないか──ひゃわ」


 ハグ+組みつき+マーシャルアーツ。


「し、白奈しろなさーん。どしちゃったの」

「どうもこうもあるか、ばか」


 ざくろが私以外の人間と仲良くしてる姿を想像できないし、したくない。その温かな肌に顔を埋めながら思った。


「まったく、乙女の扱いには苦労させられるぜ......」

「自分の欲望を歪んだ形で漫画に昇華してるやつが偉そうに言うな」

「ひなぎく......」


 ふざけてる余裕があるのが腹立つ。私は真剣にやきもきしてるのに。


「......本気で言ってる?」

「にゃーにが?」

「その......私といれば、幸せとか」

「うん」

「即答かよ」


 ざくろの真っ黒な目がその水晶の中に私を閉じ込めていた。


「しーちゃんは彼氏ほしい?」

「......別に」

「そうかそうか、良いぞ」


 なにがだよ。


「それにな、私の方がしーちゃんのことよく知ってるし」

「うん」

「この体温も覚えてるし、散財癖があるのも知ってるし、悲しいときどんな顔なのかも知ってる」

「......」

「声だってさ、いっぱい聴いてるよ」


 ちょっと声が震えているんじゃないかと思った頃には、それを裏付ける雨粒が頭に降ってきていた。


「だからさ......私じゃだめかなあ」

「......」


 今度は私の方が組みつき+マーシャルアーツを食らってしまった。肺が圧迫されるくらいぎゅっとされてしまって苦しい。


「じゃあ私のキャラで同人を描くのをやめろ」

「それは無理」

「なんでだよ?!」


 泣いたままその答えはないだろ。誰がどう見てもやめる流れだったよ。



「......涙止まった?」

「とりあえずまあ止まった」

「甘いの食べる?」

「むしろ食べないと言うのだろうか、いや......言うまい」

「反語」


 冷蔵庫からうやうやしくさっきのプリンを取り出す。時計はちょうど1時くらいを指している、まあまあな時刻だ。


「よし、あーんをしろ」

「は?」


 すっかり泣き止んだざくろが突拍子もないことを言い出した。正直なところ、突拍子もないのはいつものことなのだが。


「おらやれー、やらないと泣く」

「今日のクロめんどくさいなー」

「うるせーしーちゃんはわての彼氏役でわたすもしーちゃんの彼氏役なんだよお!」

「......意味わからん」


 この前一緒に買ったスプーンをひとつだけ持ってきた。高級感あふれるプリンはまるで固まるという行為とは無縁のゆるゆるさを発揮していた。もうほとんど液体だよね、こういうの。


「ほら、口開けて」

「大義である──わぶ」


 良い原材料で構成されたゆるゆるな薄肌色の卵菓子のおよそ半分はそれを取り込もうとするざくろの口へ、もう半分はそのゆるゆるさを武器にスプーンから橋下へとエスケープしてしまった。


「あーっ! あての糖分が! なんという所業! なんという野蛮か!」

「うるさい、結構むずいんだよ! 横になってるやつに食べさせるの!」

「じゃあこの犠牲者はどうするんですかー違憲だー責任者出てこーい」


 寝間着の隙間を縫って、鎖骨上部に着地していたそれをスッと指差すざくろ。


「責任とればいいんだよね」

「うん」


 顔を寄せる。舌には高級プリンの控えめな甘さと、ざくろの汗の塩気が広がった。

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