B.秀才小学生と浪人生

「あの」

「なーに、どしたのなっちゃん」

「そこ 私の ベッド」


 誰にも言ったことがないのですが、私はこの従姉妹のお姉ちゃんが大好きです。どのへんがどう好きなのかとかは私にもよくわかりません。......気づいたら好きだった、というか。

 わかんないな。この人は特別美人なわけでもなく、何をするにもテキトーで、私にはだる絡みばかりです。そのくせ要領はいいから、お父さんやお母さんにはすごく気に入られてます。たぶん、私よりも。

 それは、嫌だなって思ってます。本当にどうしてこの人が好きなんだろう。「夏希なつきちゃんもそのうちすてきな彼氏ができて、いつかはケッコンするんだよ」って、塾の先生も言ってたし。

 私の頭がバグってて、そのせいでよくわからない感情ノイズが出てくるのかな。たくさん勉強してるつもりだけど、国語とか算数とかじゃこの気持ちが何なのかはわかりそうにないです。


咲希さきねえのお部屋はあっちでしょ」

「え〜、ウチはなっちゃんのベッドで寝たいなー」

「20歳なのに小学5年生に甘えないでよ!」

「なっちゃん、ウチの人生にはこう......パステルカラーの癒しというものが必要不可欠なのだヨ」


 この人は数ヶ月後にこっちで3回目の大学受験に挑戦すると言って、私の家に突然現れました。お父さんとお母さんはもうそれを知ってたみたいで、普通に受け入れちゃったけど。

 うぅー。私は、無理です。本当は私が咲希ねえにいろんなことお話したいのに、一緒にいるとこの人のペースに乗せられっぱなしで。久々に会えて嬉しいって気持ちよりも、もどかしくてイライラししちゃう気持ちの方が大きいです。



 私よりも上手にお父さんお母さんとお話できるあの人が羨ましい。

 私よりも上手にあの人とお話できるお父さんお母さんが羨ましい。

 女の子はかわいくなって、男の子はかっこよくなって、お互い結ばれるものなんだって私でもわかるけど......何をしてもあの人のノイズが頭から離れてくれなくて。

 そんなことばっかり考えて、まともにお話もできない自分が嫌です。咲希ねえが来てから、成績もだんだん低くなってる気がします。

 今日はそのことでお父さんにもお母さんにも怒られました。でも咲希ねえのせいだなんて言えるわけないし、私はぽろぽろ泣きました。

 お母さんは黙って泣いてる私を見てもっと怒ったけれど、咲希ねえのことを言ってそれをノイズって言われる方が怖かったから、私は最後まで何も言えませんでした。


「なっちゃん、泣いてる?」


 部屋に飛び込んだら、案の定この人がいて。私が一番言われたくないことを言うのですごく腹が立ちます。私は顔の赤さを悟られないようにベッドにうつ伏せになって黙っていることにしました。


「......」


 今はこの静けさが一番嬉しいです。お母さんの声は大きいから。でもお布団を被るのがめんどくさいな。少し肌寒い感じがします。



 あ。寝ちゃってた。電気は──お母さんが消したのかな?──もう消えてて真っ暗です。今、何時だろう。明日の宿題......やり忘れちゃった。宿題のために起き上がろうとしたら、右手がしびれててちょっと痛くて、それに気づきました。


「んゃ......なっちゃん起きたぁ?」

「......」


 咲希ねえが私の上に被さってました。ちょっとあったかいなとか思ったけど、この人が乗っかってたせいで手がしびれてて全然わかりません。そんなことするよりお布団かけてくれればいいのに......。


「泣いてるみたいだったから心配でさー、ウチのビビッドカラーの癒しが」

「意味わかんない」

「あーんもー、ウチをベッドに置いてかないで〜」


 咲希ねえを振り払ってベッドから立ち上がりましたが、すぐに後ろから抱きつかれました。そのときの咲希ねえはふかふかのお布団みたいにあったかかったです。お昼のドラマで見た、喧嘩して別れそうな女の人を引き留めようとする男の人みたいな抱きつき方だったけど。


「一緒にさ、逃げ出しちゃおっか」


 私の体中に電気が流されたみたいな感じがしました。そのぴりぴりした痛さを、咲希ねえの体温が包んで不思議な感じです。


「ウチが連れ出してあげるよ」

「無理だよ、そんなの」

「ウチは本気」


 いつもふざけてるこの人の瞳の奥が、わずかにきらめいているような気がして私はどう答えていいのかわからなくなってしまいました。


「まあ確かににゃあ〜、小学生には広い世界なんかより親の方がよっぽど世界だもんね」


 咲希ねえは「おいで」と言って私の手を引っ張り、そのまま外に連れ出しました。家の中は真っ暗で、深夜なんだって私でもわかります。



 こんなに暗くて誰もいないのに、コンビニはお昼と同じみたいに電気がついててなんだか不思議な感じでした。塾の帰り道に見る夜中のコンビニよりもずっと寂しい空気があって、その中に私がいるっていうのもなんだか変な感じです。


「なっちゃんは何がいい?」


 飲み物の棚のところに立ち止まって、少し考えます。視界の端っこにはクラスメイトの間で話題の炭酸飲料があったけど、なんだかそれを選ぶのは子供っぽくてダメな気がしました。


「この、このお茶がいい」

「ん、本当にそれがいいの?」


 嘘になっちゃうけど、と考えが巡っているうちに咲希ねえは自分の分を選んだみたいでした。


「じゃあウチは大人らしいもの選んじゃお〜」


 見たことのあるビールの缶でした。


「なんかそれ、すごくダメ人間っぽい」

「ダメ人間にも人権はあるんだよ、なっちゃん」


 ふふん、という謎の誇らしさに満ち溢れた顔を見て、咲希ねえが来て以来初めて私はこの人の前で笑いました。特別な夜の空気が、私の心を溶かしてくれたみたいです。


「ピザまんなんて......」


 コンビニからの帰り道、咲希ねえの持つビニール袋を見て私は呟きました。


「んにゃ、なっちゃんやだった?チーズとかトマトとかダメな人間?」


 このとき私はこの橙色の蒸れたおまんじゅうを「体に悪そうだな」と思っていました。そういう風な子供らしさのない空気の中で生きてきた私にとっては、それは体に悪く、仮に食べたくても嫌がり無視すべきものでした。

 そして何の疑問もなくそれを食べられる家庭の子も、私の嫌いなものでした。


「たべたこと、ない」

「そっか、じゃあお姉さんがそのイケナイ世界を教えてあげよう」

「ほんとダメ人間」

「こんな夜中に外で遊んでる子も充分ダメ人間予備軍だよ?」


「そっちが無理やり──」と口から飛び出そうになった言葉を差し出されたピザまんが押し留めました。


「ここ、ウチのお気に入りの場所」

「小学校行くときいつも通ってるよ」

「なっちゃんには普通の、どうでもいい場所?」

「うん」


 咲希ねえに幻滅されるかもって思ったけど。


「そっか、でも今日からここはウチと一緒に来た場所のひとつだよ」


 お茶とピザまんは、全然合わなかったけど。咲希ねえがくれたものだと思うと、あり得ないくらいあったかいような気がしました。


「今度は別の飲み物にした方が良さそうだネ」



小宮山こみやまさん、小宮山 夏希さん!」

 ......っは。咲希ねえとお出かけしたせいで、眠くてたまらなくなっちゃいました。

 授業中に寝ちゃうなんて......私も、あの人と同じダメ人間に......。ああ......。

 でも。

 でも今はなら、悪くないような気がしてます。

 まだ家で爆睡してるあの人のせいで、私の気持ちノイズはまだまだ成長中です。

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