対称性ホワイトノイズ

影山とらこ

プロローグ

A.先輩不良と後輩風紀委員

 自分から他人が離れていく感覚に、いつから鈍感になったんだろう。家で、電車で、学校で。私の周りには綺麗な空白スペースが構成される。誰も私を見ず、誰も私に関わろうとしない。


 小学校時代から「あいつはやばいやつだから」そういう風評がつきまとって高校生になって尚強固に機能しているのだ。面倒なことに巻き込まれるくらいなら、と私がそういう人たちと対話する努力をしないのも相まって、入学半年で学校での私の居場所はなくなった。



 私は人を避ける。

 人が私を避けるのと同じように。

 誰も登校しないような時間を選んで教室まで辿り着き、誰もいない教室で静かな時間と自由を感じる。

 毎日この時間だけは、私はこの世界で誰よりも自由で、無理がなく、健康なんだ。

 意図も意味もなく教卓に座る。昨晩のうちに芯まで冷えきった鉄の冷たさが、完全非武装のふくらはぎを襲っていた。


「......ちべたっ」


 意味はない、それでもこの心地良さは格別だ。冷えて澄んだ空気が私を内側から満たしてくれる。人間の熱やそれが生み出す蒸れた世界とは程遠い、清浄で孤独で、どこよりも平穏な世界だ。



 小学生にとって色違いのナニカというのは、絶好の好奇心のはけ口だったと思う。周囲と髪色が違う私もまた例外ではなかった。


「すごーい、きれー!」

「かわいいー!」

「さわらせてー」


 最初は私も嬉しかったが、この状況は終わりを見せなかった。何ヶ月経っても別のクラス、別の学年の人間が入れ替わり立ち替わり現れては私に様々な反応を見せて帰っていく。私はその度に同じ言葉を浴び続けた。


「どうしてそんな金色なの?」


 違う人間が来るたびに私は説明をした。もちろんそんな説明義務など私には本来ないはずなのだけど。

 私がいい加減疲弊していた頃、公開授業ってやつ。それがあった。うちの両親は話をしてもまるで乗り気でなかったので、実際に小学校を訪れてくれたのは祖父だった。彼は西洋人として言葉や立ち位置に難儀しながらも最期までこの国に居残り続けた頑固者だ。私は祖父のその姿勢に誇りを持っていたし、自分の髪がその祖父からのものだと思えばこそ「みんなと同じがよかった」と言わずにいられたのだと思っている。



 私は吼えていた。教室だ。小学校の。

「あの子あたまがへんだよ」

 She is crazy.って意味にとれるとかとれないとかは関係なく。

 授業を見に来ていた親の1人が連れていた小さい子が、私を見て──私を見て、そう言い放ったのだ。その無邪気さは声量として反映フィードバックされ、教室中が静まりかえったのを覚えている。

 その子に悪意があるとかないとかは関係なかった。その親の「しまった」というあからさまな顔、これまで有象無象との間で繰り返された質問の端々が与えてきた細かな傷、そして慣れない学校中を彷徨い続けてやっと私の教室に辿り着いた祖父にそれを聞かせてしまったこと。私の理性は臨界状態となって、普段の私からは信じられないような暴れ方をしたらしい。

 私は主任教師に呼び出され、私の蛮行は両親へ電話で大いに脚色して教師から語られ、祖父と一緒の帰り道は無数の後ろ指を意識せざるを得なかった。



 私は泣いていた。

 自分のことを言われたからではなく、ただただ祖父を傷つけてしまったのではないかという悔しさで泣いていた。

 彼はきっと「そんなことない」と言ってくれたはずなのだろうけど、当時の私はそれを聞く勇気すらなく、今となっては確認する手段もない。

 カーディガンの袖で涙を拭うと、上手く染み込まない水滴がそのまま繊維に絡まっていた。誰もいないことを再確認して、教卓の上で膝を抱える。

 私は強くなったんだ。

 誰も寄せ付けない、誰にもおじいちゃんを罵倒させない、そういう高校生になったんだ。

 当時長かった髪はあの日から短く整えた。

 私はもう誰にも負けない。

 時計を一瞥して至福の時間の終わりを感じ取った。そろそろ登校者が増えてくる時間帯だ。この教室に人間が入ってくるのもまもなくだろう。

 私はそっと教卓から飛び降りた。



 !という音は本来、スライド式の教室のドアが発していいような音ではないと思う。少なくとも私の常識の中では。


「そこのあなた!」


 ドアが開いた先からこちらを指差す人間一名。シンプルなおさげと黒縁丸眼鏡に真一文字に結ばれた口が強烈な個性を主張する人間だ。


「でっ......?!」


 私は突然自分が声をかけられたという事実を理解できずに不自然な音声を出力してしまった。そもそも他人に声を掛けられること自体が数日以来なのだ。店員以外の人物となれば数ヶ月規模になるだろう。

 そもそも何を思って私に接触し、声をかけたのか。まとまらない思考が二人の間に沈黙を生成する。それを破ったのは眼鏡だ。


「靴下は学校指定の物を着用してください」

「それにスカートが短すぎます」

「カーディガンもこの色は許可されてません」

「爪の不自然な光沢も校則違反です」

「それから────」


 こいつは私の胴体から目を離し、上へ上へと目線を動かしてきた。それは狙撃に使われるレーザーポインターのように、私の頭部を冷たく射抜いている感じがした。


「なんだよ」


 私の心臓は珍しく音を立てて拍動していた。

 ここまで何を言われても頭に響いてこなかった。教師にすら存在に触れられない私にそんな風紀の話をするのは無意味だから。でもこいつは今、髪色おじいちゃんの話をするんじゃないか。私の血流は酸素を抱えたヘモグロビンを伴って、頭に昇り始めていた。


「その髪は、地毛ですか?」

「え」


 私の頭の中で過去の記憶と共に蠢いていた怒りが、と足場を失ってしまった。


「あ、いや......そうだけど」

「そうですか、素敵ですね」


 眼鏡の台詞に私は怒りなどという単純な感情機構を失い、もっと別の何者かが私の中に生じている。そして私はこれを自力では名付けられない。


「なんだそれ、く......口説いてんのかよ」


 辛うじて沈黙の生成を免れようとした結果がこれだ。

 自分の思考が錆びついているのを確信せざるを得なかった。どんなニューロン接続がこの結論を導いたんだろうか。

 口説くわけないだろ。女同士だぞ。


「まさか、そんなわけないじゃないですか」


 当たり前だ。


「とにかく、今日は仕方ないですけど早く服装をどうにかしてください。私の風紀委員としての沽券に関わりますので」


 なんだそりゃ。学校の活動なんて私の与り知らぬことだというのに。とりあえずこの場はテキトーにやり過ごして、明日から関わらないようにするのがベストな判断だろう。どうやら逃げの一手については、私の脳は全く正常に動作するようだった。


西脇にしわき 明日香あすか、1年D組です。名前とクラスは?」

「2年A組......東中沢ひがしなかざわ 里奈りな


 私の言葉を聞くや否や「把握しました、ではまた」と言うと西脇は脱兎の如き歩行速度でその場から退散してしまった。今は後輩だったということに気を取られて普通に名乗ってしまった自分をとても呪いたい。



 昼休み、賑わう教室から屋上に退散してきた私は冷たい空気を緩和する陽射しに、少しだけ自分の髪を透かしてみた。


「素敵......か」


 脳内に潜む雑音ノイズに、私はまだ気づいていない。

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