保険がかかり過ぎている

「違うんです...」


僕は後ずさりする。相手の車の傷に見覚えはない。僕の車にも傷はない。しかし確かに僕が駐車をするときに「ガン」という音を聞いた。そして烈火のごとく怒った中年の男性が車を降りてきた。


どうやら相手は僕の言い分など聞いてくれなそうだ。顔を真っ赤にしながら、中年男性がまくし立てる。


「てめぇ以外に誰がいるんだよ!どうすんだ!新車だぞ!」

「いや、だって僕の車には傷がないし」

「ふざけんな!ぶん殴られてぇのか!修理代払えよ」

「えぇ、そんな無茶苦茶な。警察呼びましょう、警察」

「おうよ!呼べよ、馬鹿野郎が」


数分で警察が来た。男を諭し、実況見分をした。終始、男は怒って警察にまで突っかかっていた。そして結局、僕が車をぶつけたらしいことが判明した。警察も男の対応が面倒臭かったんじゃないかと思う。だって僕の車にぶつけた跡はないのだ。「えぇ、傷はないんですよ!」僕は言ったが「そういうこともある」と窘められた。


男はしてやったりな顔で「高級車の新車だぞ。修理代と代車の金、あと精神的な苦痛を味合わせたから、その医療代も請求するからな」と言って100万円近い額を僕に請求してきた。平社員で質素に生活する僕からすると法外が値段だ。


しかし保険に入っていたので助かった。

連絡したら対処してもらえた。良かった。


そのあと僕は車で待ち合わせのキャンプ場へ行く。

仲間たちはすでに集まっていた。


「おそいぞー」


「ごめんごめん、途中でちょっとトラブっちゃって」

「よっし、全員、集まったし、じゃあ撮影はじめますか!」


そう、僕はアマチュアで映画制作を行なっている。大学時代からの友人たち総勢10名でちょっとしたサスペンス映画を作っては、上映会をやって楽しんでいる。アマチュア映画で賞もとったことがある。とてもやりがいがある。


もちろん映画の撮影は楽しいことばかりではなく、時には重大な事故と出くわしたりもする。サスペンス映画で危険なシーンを撮ることもあるから、こないだ、仲間のひとりが崖から飛び降りるシーンで大きな怪我をしてしまい、映画サークルを相手取って訴訟を起こしたこともあった。


映画は完成間近だったのに、監督役の友人が数千万円単位の支払いを請求され、もう駄目かと思ったが、だけどもこれは保険で賄えた。運がいい。助かった。


今回はアマチュア映画コンペの最高峰とも言われる「白峰国際映画コンクール」に出すつもりでいるから、メンバーの力の入り方も違う。


そのせいだろう。

キャンプ場の湖畔で遺体を見つけるシーンでトラブルは起きた。


「よし、じゃあ遺体役のかたー!ちょっと冷たいですけど、こちらに浮かんでくださいー」


「うひーつめてー!」


血糊をつけた友人が大袈裟にふるまう。あたりから笑いが起こる。


「じゃあ遺体を見つける由美子さん役はこちらで」

「はーい」


「よし!じゃあいきましょう!スタンバイ!」


あたりが静かに緊張する。

この瞬間はいつだって不安で、そして不思議と心地よい。




3・2、そして、カチン。




「いやぁー!」




「カット!ごめんね、なかなか良かった!良かったんだけど、やっぱり、こう死体なんてものを見つけるわけじゃない?」

「ちょっとワザとらしかったですかね?」

「演技的にはバッチリ!でも今回はね、リアリティを出していきたいから」

「そっか。なるほど。...ちょっと何回かリテイクしちゃうかもですけど、挑戦させてもらっていいですか?」


女優さんが真剣に提案する。すごくいい。彼女は駆け出しで、こんな無名の団体に快く参加してくれているけど、近いうちにとても遠い存在の名女優になってしまうんだろうな。そういうオーラと、そして情熱がある。


「オーケー!いきましょう!スタンバイ!」




3・2、カチン。




「いやぁー!」




「カット!うん、だいぶ良くなってきた!もう一回、いこう!」

「はい!」

「スタンバイ!」




3・2、カチン。




「いやぁー!」




「カット!もっと叫ぶ前の息を吸うときの感じ?それ出していこう」

「なるほど。もう一回お願いします!」

「スタンバイ!」



リテイクは三十回にも及んだ。



カット!お願いします!スタンバイ!カチン!


カット!お願いします!スタンバイ!カチン!


カット!お願いします!スタンバイ!カチン!



撮影開始から二時間。

ぶっ通し、三十一回目のリテイク。


「よし!次、完成させよう!もう最高のやつきてるよ」

「はい!お願いします!」

「スタンバイ!」




3・2…。



カウントダウンの途中で道具スタッフがざわついていることに気がついた。「あれ、遺体役の奴、おかしくね?」「さっきから動かないよね?」「え?まさか?」などと声が聞こえる。



カチン。



女優役の彼女が小さく「え死んでる?」と呟く。

直後に「ぎゃぁあー!!!」と絶叫する。



「カット!無茶苦茶いいの撮れた!なにすごいじゃん、今の!」

「監督!違う!本当に、本当に死んでる」


「え?」


一同が騒然となって遺体役の彼のところに駆け寄る。彼は蒼白になり真っ黒いほどに唇を変色させて硬直していた。意識はなかったが、心臓を確認すると、なんとか生きているようだった。


そうだ。彼も役者魂に燃えるメンバーのひとりだった。女優さんの意気込みに応えようと、マイナス2度の湖畔で、水温数度しかない水に浸かり、静かにリテイクに耐え忍んでいたのだ。


「おい!救急車呼べ!」


撮影は中止され、彼を病院へ搬送した。彼は全身凍傷のような状態で、意識混濁しており、しばらくの入院が必要とされた。意識が戻ったとしても最低一ヶ月、余裕をもって二ヶ月は静養した方がいいでしょうと医者は言った。


フリーランスで生活している彼は結婚しており、子どもも二人いる。仕事はキャンセルされ、生活が成り立たない。緊急の連絡を受けて飛んできた彼の妻はベッドサイドで「どうしよう」と涙を流し、そうして彼の保険を確認したところ、案の定、就業不能保険の保証範囲内だった。


良かった。


しかし、彼の妻はそれでは納得しなかった。当然だ。遺体役といっても真冬の湖に二時間近く彼を沈め続けていた僕たちにも責任はある。


「絶対に過失で訴えてやるからね!」彼の妻は叫んだ。


監督役の彼は真摯に頭を下げた。僕も平身低頭、謝罪を続けた。しかし彼の妻は叫び続けた。ある程度のところで「出て行って!」と言われ、僕たちは病室の廊下に出た。廊下に出ると僕は監督役の彼に「どうすんだ」と言った。


「保険がある」監督役の彼は言った。


そのあと僕たちの映画サークルは彼の妻から賠償責任を問われ、一千万円近い賠償金を要求された。裁判でも刑事的な責任こそ免れたものの、過失を問われ負けてしまった。そして保険金で賠償金を支払った。


そのあと順調に撮影は進み、なんとかコンクールの手前までに撮影は終わった。あとは編集を終えて、無事、自分たちの試写を済ませるだけだ。


「やっとここまできたな」

「あぁ、良い作品になると良いな」


意識が戻った遺体役の彼と乾杯をする。女優役の彼女はやっぱり撮影の途中くらいから売れっ子女優としてメディアで取り上げられ始め、クランクアップを終えるとすぐに有名なテレビバラエティのロケ仕事をしにエジプトへ飛んでいった。


「しかし、ここだけの話」


映画のプロデューサー役をやっている友人がビールジョッキを片手に声を潜めてやってきた。


「なんだよ、やめろよ。不穏だな」

「不穏なんだよ」

「え?なになに、映画のことじゃないだろうな」

「残念だが映画だ。女優の彼女、いるだろ?彼女さ、俺らに協力してくれてありがたかったんだけど、どうやら事務所に何も通さず参加してたらしいんだ」

「何?別にいいだろ、プライベートな映画だし」

「売れてなきゃな。でも彼女、売れてきちゃっただろ?昨日、彼女の事務所から電話がかかってきたんだよ。肖像権の話で」

「マジか!?」

「あちらさん、すごいご立腹でさ。これから映画だ、ドラマだって、イメージ良く売り出していくところなのに、おまえらみたいなアマチュアの、しかもサスペンスなんてイメージ悪いものに参加させるなって言ってくるわけよ」

「えぇー!そんな無茶苦茶な」

「いや俺だってそう言ったよ。でも餅は餅屋だよ。わかんない法律の用語並べてさ、広告営業の邪魔してるとか言って。映画を表に出したら訴訟するって言ってんだよ」

「おいおい...」


仲間うちに不穏な空気が漂い始めたとき、ウェブ担当の友人が気まずそうに口を開いた。


「あのー...。もうネットにあげちゃってるんだけど...」


「え?」

「へ?」

「はい?」


僕たちは慌ててスマホを見てみた。たしかに動画サイトの僕たちのアカウントに、途中まで映画の内容がアップされている。しかも見たこともない閲覧数がついて、コメント欄には「えぇー女優の〇〇、こんなところにいる!」「サスペンス映画でデビューとかイメージ違いすぎる」「ちょっと引く」など、無数のコメントがついている。


「いや、今回のコンクールって既出作品オーケーでしょ?認知度あげようと、今日の朝から編集が終わった途中まで出してみてたのよ。そしたらさぁ!すごいね、売れっ子女優って!十万規模で閲覧とか、信じられないよね!」


「おい!すぐ取り下げろって!これバレたらヤバイだろ!」

「えーでも出しちゃったし、こんなに見てもらえてるんだよ?」

「そういう問題じゃない!」


プロデューサー役の友人の携帯に事務所から着信が入る。慌てて友人は電話に出て、外に飛び出していく。


結局、事務所からはカンカンに怒られて、訴訟も起こされ、五億円もの損害賠償を請求され、ニュースでも報道されたが、保険の範疇なので問題にならなかった。


いよいよ白峰国際映画コンクールの当日だ。


なんと僕たちの映画は国際アマチュア映画部門で最優秀賞に輝いた。総評は「現実を見させられているかのような真に迫る役者演技によって死のリアリティをあるべき形で追求させた稀有な作品であることと同時に、アマチュアらしからぬふんだんな撮影設備を用意する投資的判断の鋭さ」といった内容だった。


たしかに僕たちはこの映画のために撮影費用を一億二千万円使った。そのほとんどを映画製作事業をおこなっている友人たちに後払いで用立てしてもらっていた。最初は一千万円の予算のはずだったのだが、良いものを作ろうと本気で考えれば、費用が上がってしまうことを止める理由などなかった。


おかげで年末が近づく今、請求書が山のように発行されてきている。現金はない。コンクールの賞金は百五十万円と金の竪琴だった。賞金は最初の請求で使い果たしてしまった。


「どうしようか」と悩んだが、ここでも保険が役に立った。監督役の彼が映画制作費のやり繰りを難にして憔悴し、病気になって亡くなってしまったのだ。


彼は家族のためにとかなり高額の生命保険に入っていた。彼が亡くなったあと、保険会社から二億円の保険金が降りた。遺書には「生命保険で友人の会社にまず映画の借金を返してください。それでも余りあると思います」と書かれていた。


家族は彼のいう通りに借金を返した。

映画制作費はすべてそれで賄われた。


監督役の友人がいなくなり、僕たちのサークルはアマチュア最高峰のコンクール最優秀という有終の美を飾りつつも、彼の葬儀とともに解散した。


残ったのは金の竪琴だけだった。


映画サークル仲間の誰もがその竪琴を欲しがった。自分が一番映画の核心にいたと、みんな口々に主張した。もちろん事務局長だった僕も主張した。だって撮影の手配や資金繰りの企画などは僕が行ったのだから。当然だと思った。僕のアドバイスした保険のおかげでこの映画サークルは何度も危機を乗り超えているんだから。


「よし、現金で解決するか」


僕は思った。

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