第72話 レオナルドの頼み・後編

「伯爵家の長男を取りこみましたか?」

「領地で幽閉されるのは忍びないからな。この国に連れてくるための協力者には事欠かなかったぞ」


 むごいことを、と思う。


 王家の姫のわがままを叶えるために、邪魔な人間は無情にも排除するということか。


 おそらく対外的には長男が療養するため次男が跡を継ぐと発表されたのだろうが、姫が大騒ぎをしたというのであれば貴族たちの間でも真相は広く知れ渡っているに違いない。


「侍従にして欲しいのはトマス・メルヴィンだ。知っているだろう?」

「まさか彼が!?」


 驚くセシルに、レオナルドはいたずらが成功した子供のように笑う。


「代々ゴルド王国の外交を担当しているメルヴィン家の長男を引き抜いたのですか?」

「まさか。そんなことをすれば戦争になるじゃないか。私はただ単に、捨てたものを拾っただけだ」


 それにしても信じられない。


 メルヴィン伯爵家の長男であれば、幼い頃からゴルト王国の外交を担うべく教育されているはずだ。

 それをあっさり手放すはずがない。


 となると――。


「王太后に知られたら、暗殺される危険がありますね」

「そこでだ。学園の中であれば王太后の手も届かないが、残念ながら私はもうすぐ卒業だ。だからセシルの従僕としてこの学園に置いてやってほしい」


 確かに学園の中でならば王宮よりも安全だろう。


「それは構いませんが……」

「セシルが護衛たちを一新したのも、実にタイミングが良い。侍従が一人増えたとしても、不審には思われないだろう」


 元々、セシルの護衛騎士には王太后の手のものが紛れこんでいた。


 そこで、レナリアが学園の森の結界の外に出てしまったのを追いかけた時に、レナリアの護衛が瘴気の中を進めたのにも関わらず、セシルの護衛たちは途中までしかついてこれなかったというのを理由にして更迭したのだ。


 今セシルの護衛としてついているのは、身分はそれほどでもないが腕の確かなものばかりだ。


「それよりトマスが手土産に面白い話を聞かせてくれてな」


 言葉を切ったレオナルドは、合図をして新しい紅茶を用意させる。


 紅茶のように温かいものは、冷めないうちに楽しむことができる。

 湯気の立つカップを手にしたレオナルドはその香りを味わうように、紅茶を口にした。


「兄上。もったいぶっていないで、早く続きを」


 レオナルドはセシルに対してはこうして子供っぽい態度を取ることがあった。

 兄弟だから気安いのだろうとは思うのだが、大事なことは早く言って欲しい。


 おそらく、これからの話こそが本題なのだろう。


「今の教皇はな、ゴルトの王族の血を引いているらしい」

「直系ではありませんよね?」


 セシルも王族として近隣の国の王族の名は覚えている。それが特に注意すべき王太后の母国となればなおさらだ。


 だがゴルト王国の直系で教会に入ったものはいない。


「国王の庶子だそうだ。王妃に男児が生まれなければ後継にしようと、密かに側近の子と偽って教会に預けていたらしい。ゴルト王はなかなか子に恵まれなかったからな。それがあの王女の溺愛につながっているのだろうが。だが無事に王太子が生まれたので、そのまま教会の預りになっていたそうだ。着々と教会内で出世しているのを知ったゴルト国王の後押しで、異例の若さで教皇の座に就いたのだとか」


 なるほど。それは確かに知らなかった情報だ。

 だがレオナルドがわざわざ話題を持ち出すからには、それだけではないのだろう。


 セシルは自分と同じタンザナイトの瞳を見つめて先を促した。


「さて。そこで我らが皇太后陛下だ。ゴルト王国の姫を私かセシルの妃にしようという目論見はついえたが、まだまだ諦めてはいないようでな。とんでもないことを考えついた」

「まさかその教皇にも隠し子がいるんですか?」


 教会は特に聖職者の妻帯を禁じてはいないが、教皇だけは神の代弁者としてこの世の一切のしがらみを持ってはいけないと、妻帯を禁じられている。


 だが実際には秘密裏に妻を持っているものが多く、自分の子供は養子として扱っている。


 今の教皇の若い時の子供であればセシルたちと同じか、少し幼いくらいであろう。今から妃教育を始めれば、何とかなる。


「そのほうがまだマシだな」


 忌々しさを隠さないレオナルドに、セシルは意外に思う。


 学園では破天荒な振る舞いをしているが、それは学園の中だけのことだ。

 ここにいる間だけは普通の学生として過ごしたいという思いで、ありのままの自分を隠さずにいるのだ。


 だがこうして深慮策謀を巡らす姿もまた、レオナルドの本質だ。

 セシルはそんな兄がエルトリアの実権を握る日を、待ち遠しく思っている。


「というと?」

「セシルと同じ学年に聖女候補がいるだろう」

「アンジェ・パーカーですね」


 嫌な予感を覚えながら、セシルは頷く。


「教皇の甥の……といっても実際には血のつながりはないが……ロイド・クラフトが、今までに見たことがないほど力の強い光の精霊シャインを守護にしていると教皇に報告して、最初は半信半疑だったのが『泉の奇跡』でこれは本物の聖女かもしれないということになったらしい」


 確かにあのオリエンテーリングの際に、シャインが暴発して大勢が怪我を負ったはずなのに、なぜか全員が癒されていた。


 アンジェは自分が治したのだと言っていたが、果たして本当にそうなのだろうか。


「でもあの娘は、それ以外に一度も回復魔法を発動したことがないと聞きます」

「そうだ。実は私もそれほどの力があるようには思えない。実際、私のウンディーネも断言はしないが、彼女が回復したとは思えないと言っている」


 実際、セシルのウンディーネもそうだ。

 あの時のことは口を濁して言おうとしないが、アンジェがみんなを回復させたのではないと匂わせている。


「だが誰かが回復をしたのは確かだ。奇跡というものは、ただ願っただけで起こるものではない。起こるべく何かがあって初めて、顕現するのだと思う。それは祈りだったり、願いだったり、もしくは精霊の力であったり」


 そこでセシルはハッとした。

 あの場所は精霊が生まれる聖地だ。


 であるならば……。


「もしかしたら、生まれたばかりの精霊たちが助けてくれたのかもしれません」

「その可能性は高いな。もう一度奇跡が起これば話は早いんだが……。とにかく、教会はアンジェ・パーカーに目をつけて、聖女として祭り上げようとしているらしい。あげくに、皇太后と手を組んで、教皇の養子にした上でエルトリアの王妃にしようと企んでいるということだ」


 確かに聖女というだけでもエルトリアの王妃として迎えられないことはないが、教皇の娘という箔付けがあれば反対しづらくなる。


 だが……。


「あの娘が王妃だなどと……考えられません」

「私もそう思う」


 アンジェが本当に聖女としての力を持っていたとしても、その品格も教養も、なにもかもが一国の王妃としてはあり得ない。


「とにかく、勘違いしたアンジェ・パーカーが絡んでくる可能性がある。セシルも気をつけるんだぞ」

「分かりました。教えてくださってありがとうございます」


 セシルは兄に深く感謝しながらも、これからのことを思い憂鬱になった。

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