4-15.割れた頭、女子高生を倒す

 ミィの相手で、しばらく収まっていたシアンの好奇心だったが、最近ぶり返してきている。『遊べ遊べ』と、またうるさく言うようになってしまった。


 遊び終わっても10分もしたら、


「まこと~、きて~!」 と、声がかかるのだ。

 

 何しろシアンは寝ない。厳密には記憶の整理などのバッチ処理が夜間に走るため、30分くらい横にはなるんだが、その程度だ。疲れ知らずで、常に全力で遊びを要求してくるのは本当に疲れる。


 退屈させるのも本意ではないので、ネット情報へのアクセスを許す様にした。

 もちろん、子供に有害なページへのアクセスは禁止して、無難なコンテンツに絞ってる。

 シアンがボーっとして見える時は、ネットサーフィンをしているようだ。


 部屋のモニターに今シアンがどのページを見ているのかを表示させてみると、写真を次々と追っているようだった。動物やキャラクターや人物や乗り物など、無難な物を凄い速さで次々と鑑賞している。


 そのうちにWikipediaなど、情報サイトを漁り始めた。

 読む速度は異常に速く、一つのページに1秒くらいしか滞在していない。そして読み終わる前に複数のリンク先ページにどんどん飛んでいる。

 後でログを見てみたら、同時並行で数十コンテンツを読んでいるようで、もはや人間の目には追えないレベルである。知識が豊富になるというのは歓迎すべきではあるが、それにも限度がある。思考が発達する前に、知識ばかり過剰に持ってしまって本当に大丈夫だろうか?

 

 俺はみんなを集めて相談する。

 俺の懸念には、マーカス達も同意しつつも、では、代わりに好奇心旺盛なシアンに何を与えたら良いのかが分からない。

 

 皆が悩む中、由香ちゃんがおずおずと言う、

「そろそろ……外出とかどうですか?」

「うーん、普通の赤ちゃんと違うから、変な人に目をつけられたら、嫌なんだよね……」

「でも街での体験も学習には必要でしょ?」

「いやまぁ、おっしゃる通り……」


 とりあえず、試しに一回やってみる事になったが、とても嫌な予感がする。人体実験の証拠を、大衆の目にさらして持ち歩くという事になるのだ、心穏やかでない。バレたら逮捕だというのに……。


 俺は逡巡しゅんじゅんしたが覚悟を決め、抱っこひもで胸の所にシアンを固定すると、街に繰り出した。

 

 シアンにとっては、生まれて初めての外出。由香ちゃんもついてきてくれるので、3人でお出かけである。

 初めて見る外の景色に、シアンは凄い興奮気味だ。

 頬に当たる風、眩しい太陽、走り過ぎる自動車たち、カラフルな看板のお店、すれ違う人、全てに驚き、興奮し、


「う~!」 と、目をキラキラさせながら、あちこちを指さしている。


 その嬉しそうな様子に、思わずほっこりとしてしまう。

 確かにネットの動画を見ただけでは、風も眩しさも匂いも全然わからなかっただろう。今、シアンは初めて世界を理解したのだ。美しきこの地球を、五感でしっかりと味わっているのだ。


 こんな事なら、もっと早く外出させればよかった。

 俺は微笑む由香ちゃんと目を合わせ、ニッコリと笑った。



        ◇


 

 地下鉄を乗り継いでショッピングモールに着いた。

 モールの中は吹き抜けになっていて、たくさんの店舗がずらっと並んでいる。


 アパレルやカフェ、活気ある店内を覗き込んでは


「う~!」


 他の子供連れとすれ違っては


「う~!」


 とても楽しそうである。

 

 まずはベビー用品店に行き、服を見繕う。

 折角の機会なので、何着か買っておきたい所だ。

 

 恐竜の着ぐるみみたいなパジャマや、かぶるとクマになるお包みなど、いろんな商品に目が移るが、ここは実用重視で行きたい。


 と、思ってるそばから由香ちゃんは


「きゃ~! かわいぃ~!」 と、要らないものを次々手に取っている。


「いやいや由香ちゃん、洗う事考えて実用重視で行こうよ」

「え~~! 折角かわいいのに~~!」

 本来の目的を忘れて、すっかりショッピングを楽しむ由香ちゃん。


「いやいや!」


 由香ちゃんは、握りずしのエビを模した服を持ってきて、シアンにあてがう。

「ほら、シアン寿司になったよ!」

「えみ! きゃっ! きゃっ!」


 シアンは上機嫌である。


「いやいや、エビを誰が洗うのよ!」

「誠さんノリ悪いわよ!」

「いやいやいやいや」

 バレたら逮捕だというのに、ノリとはどういう事だろうか。


 店員がするすると近づいて、声をかけてくる。

「お父さま、こちらは洗濯も簡単ですよ!」


 ヤバい事になった。何とかやり過ごさないと……。


「お母さま、こちらはこういうのもありますよ!」

 ノリノリの店員に由香ちゃんも困惑を隠さない。

 

「では、こぇひとつください!」

 シアンが勝手に発注する。


「えっ? もうこんなに話せるんですか!?」

 驚き、固まる店員。


 俺は冷や汗かきながら、

「あ、オウム返しみたいなものです。気にしないで下さい」

 と、言ったが、シアンが追い打ちをかける。


「オウムで~す! きゃははは!」


 目を丸くする店員。


「あ、構わなくて大丈夫です、普通のつなぎはどこにありますか?」

 と、言ってその場を濁し、逃げ出した。

 

 結局つなぎを3着、帽子と靴を買った。


 店を出ながら、胸に付けたシアンに言い聞かせる。

「シアン、勝手に他の人に話しかけちゃダメ!」

「だめ! きゃははは!」

「今度やったらメってするよ!」

「メっ! きゃははは!」

 すっかり興奮して全く言う事を聞かない。

 買い物は止めて、近くのカフェで一休みする事にする。

 

 ベビーチェアにシアンを乗せて、パンケーキをつつきながら珈琲を飲む。

「あ~、重かった。結構シアン重いわ」

「おむ~い!」

「そうそう、お前はもう8kgもあるんだ。付けて歩くには重いのだ!」

「はちきろ! はちきろ! きゃっ! きゃっ!」


 どこまで認識しているのだろう?

 少なくともWikipedia読み込んでいるくらいだから、俺の言う事も分かってるはず。

 試しにきいてみる。

「シアン、ここどこか分かってる?」

「よついふどうさん~! うりあげいっちょ~はっせんおく~!」


 店内にシアンの甲高い声が響く。

 確かにここのショッピングモールの母体はそこだが、なぜ叫ぶのか。

 店員のおねぇさんの視線が痛い。


「シアン、ちょっと声が大きすぎるかも」

「おおきすぎ~! きゃはははは~!」


 ちょっと手が付けられない。

 早めに切り上げて、芝生の公園に移動する。



           ◇



 シアンを芝生の広場に放すと、元気にハイハイで緩やかな斜面を登っていく。

 そして今度はごろごろ転がって……


「きゃはははは~!」

 と大喜びである。


 シアンは、せわしなくあちこち移動しながら、最後はよちよち歩きにチャレンジ。


 一歩……二歩……あぁ!

 尻餅をついてしまった。


 俺はベンチに座りながら、隣の由香ちゃんに言った。

「こんなに喜んでくれるなら、もっと早く連れてきてあげればよかったね」

「そうですね、赤ちゃんが嬉しそうにしていると、こっちも嬉しくなりますね!」

 由香ちゃんが、優しい目でシアンを見守りながら言う。


「お~! らぶらぶ~!」

 シアンがこっちを指さしながら言う。


「何言ってんだお前!」

 いきなり冷やかされてつい語気が荒くなる。

 由香ちゃんは赤くなってうつむく。


「らぶらぶ~! きゃはははは~!」

 怒ったのが逆に喜ばせてしまったようだ。AIってこんなだっただろうか? いったいどこで学習してきたのだろう?


 通りすがりの女子高生が、怪訝そうにこっちを見ている。

 俺は焦った。目につくことは避けたい。


「シアン! シーッ!!」

 俺は必死に黙らそうとする。


「らぶらぶ~! きゃはははは~!」

「いう事聞かないと、もう連れてこないぞ!」


 俺が脅すと、急に立ち上がり、真顔になって、


「Yes! Sir!(わかりました!)」 と、言って敬礼したが、バランスを崩して後ろにコケた。


「あっ!」

 コケた拍子で、頭のカバーが外れて転がってしまった。


「きゃははは!」

 本人は気にせず笑ってる。


 シアンは無脳症なので顔しかない。だから頭はただのカバーなのだが、そのカバーが外れて転がった。

 頭がコロコロと斜面を転がって、そばを歩いていた女子高生の足元まで行ってしまう。

 髪の毛がついた、マネキンの頭部みたいなものが、足元に来た女子高生は


「うわぁぁぁ!」

 そして、顔だけで笑うシアンを見て


 キャ――――――――――!


 そう叫ぶと、気を失ってその場に倒れてしまった。

 ヤバい! 俺は真っ青になって駆けだした。

 

 急いで俺はシアンの頭を直し、由香ちゃんは介抱。

 

 由香ちゃんは女子高生の衣服を整えて、苦しくない姿勢にさせて見守った。


「いやー、まずいねこれは……」


 俺は由香ちゃんと目を合わせて、ため息をつく。

 ほどなくして、目を覚ます女子高生。

 

「大丈夫ですかぁ?」

 由香ちゃんが優しく聞く。


 ボーっとしていた女子高生がハッとなって

「あ、赤ちゃんの頭が!!」


「赤ちゃんがどうしたんですかぁ?」

「コロコロって転がって……」


 俺はシアンを抱きかかえて女子高生に見せた。

「赤ちゃんなら大丈夫ですよ」

「いや、でも、コロコロって転がってきたんです!」

「頭転がったら、死んじゃうじゃないですか」

 そう言って、にっこりと笑って見せた。

 

「いや……まぁ……そうなんですけど……」

「何か今ストレスを抱えていませんか?」

 俺がさり気なく誘導する。


「ストレス? あぁ……志望校を決めないといけないんです……」

「あー、受験、大変ですねぇ。それで何か錯覚を見たのかもしれませんね」

 錯覚という事にしないと……


「ちなみにどういう大学が候補なんですか? お手伝いできることもあるかも」


 由香ちゃんが、なるべく別の話題に引っ張ろうとする。


「MARCHなんですが……応京とかも……」

「あ、私、応京ですよ」


 由香ちゃんがにっこりとする。

 

「え!? 応京生ですか!?」


 憧れのまなざしで、由香ちゃんを見る女子高生。


「そう、文学部。あなたは理系? 文系?」


 ちょっと自慢気な由香ちゃん。


「私は数学苦手なので……文系です」

「文学部なら数学いらないから大丈夫よ」


 シアンが横から口をはさむ

「しゃかぃ、えぃご、しょーろんぶん!」

 目を丸くする女子高生

 

「シアンはいいの!」

 俺はシアンを抱きあげて、これ以上余計な事を言わせないように、距離を取る。


 由香ちゃんは引きつった笑顔で

「ちょ、ちょうど彼と入試の話をしていた所だったんで、横から聞いて覚えていたんですね……」

「赤ちゃんって……こんなに話すんですか?」

「こ、この子は早熟みたいですね」

 冷や汗が浮かぶ由香ちゃん。


「失礼ですがお母さま……ですか?」

「いや、この子は親戚の……」

 由香ちゃんがそう言いかけると……


「ママー! ママー!」

 シアンが設定をぶち壊して叫ぶので、由香ちゃんの額に怒りの色が浮かぶ。


「わ、私が産んだ子ではないんですが、ママとして育てているんです」

「ママー! ママー!」


「ちょっと! 大人しくしなさい!」

 俺が言い聞かすが、聞かない……。


「ママー! ママー!」

 仕方ないので一旦由香ちゃんに戻す。

 由香ちゃんはシアンを抱っこして、必死に冷静さを保ちながら頭をなでた。


「言う事聞かなくて困るんですが……可愛いんです」

「じんこうしきゅう で うまれたの!」


 またシアンが余計なことを言い出した。


 女子高生が怪訝そうな顔で言う。

「人工子宮……?」

「し、親戚の不妊治療でできた子なんです」


 由香ちゃんの必死のフォロー。


「そのまえ は マウス だったの!」


 そう言って、両手で掴んだ餌を食べるしぐさをして、左右をキョロキョロ警戒する真似をした。


「うまいうまい! 前世がネズミだったのね!」

 女子高生にはなぜかウケている。


「にじほうていしき おぼえて たたかったの!」

「二次方程式?」

 怪訝な顔をする女子高生


「ママがもんだい みないで かったの!」

 女子高生が混乱する。


「くりす がね! ぱーって きせき やったの!」

 ここまで言うともはや安心の妄言である。

 

「クリス? あー、キリストが奇跡起こして前世のマウスの時代に二次方程式おぼえてママと戦ったのか? 凄いな君は!」


 女子高生は楽しそうに、シアンの言葉を整理する。


「きゃははは!」


 全部実話だがどれ一つとして実話には思えない。すごいな。ここまで突き抜けていれば、子供のたわごとで済ませられそうだ。

 

「あー、そろそろ我々は行かないとなので……」

 俺はそう言って、シアンを抱っこひもでお腹に付けた。


「受験、頑張ってくださいね! 応京いい所ですよ!」

 由香ちゃんも励まして荷物を整理する。


「はい、シアン、バイバイして」

「ばいばーい!」

 こうして無事女子高生と別れた。

 

「シアン、他の人と話しちゃダメだよ、怪しまれたら連れてかれちゃうぞ!」

「Yes! Sir! (わかりました!)」

 と言って敬礼して、


「きゃははは!」

 と笑った。


 絶対理解してないなこいつ。

 確かに外出は、人間社会を理解させるうえで重要なのは分かった。でも、相当に危険だという事も思い知らされた。今日の事だって、目撃者が女子高生一人だったから良かったようなものの、俺みたいなエンジニアだったら、一目ですべてを見抜かれてしまっていただろう。割れた頭の中にトランスミッターを見つけたら、何をやってるかなんて一目瞭然である。

 もっと安全なやり方はないだろうか……。

 帰りのタクシーの中で、俺は腕組みをして眉間にしわを寄せながら、思い悩む。

 レンタカー借りるか……。でも車から見るだけでは学習にならないし……。

 うーん……。


 ……。


「誠さん、着きましたよ!」

 由香ちゃんが俺の肩を叩きながら起こす。どうやら眠ってしまっていたようだ。


「疲れているんですね、無理しないでくださいね!」

 そう言って優しい笑顔を見せた。


 俺は寝起きのボーっとした頭で、その笑顔を見つめる。


『いい娘だなぁ……』

 胸の中に温かいものが、ゆっくりと満ちていくのを感じていた。

 美奈ちゃんだったら、きっと『しっかりしなさいよ!』とか怒ってきたに違いない。


 お出かけは次も由香ちゃんがいいな、とぼんやり考えていた。

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