4-13.救世主の敵、告白

 シアンの育成は順調だ。ある刺激に対して適切な反応を返す。それも人間よりもかなり高度に返す。

 しかし、ここまでなら、今までのAIと本質的に変わらない。シアンが人類の守護者たるには、自我を持って、自発的な行動をできるようになる必要がある。

 基本的な学習が済んだ今、いよいよシンギュラリティに達するかどうか、が焦点になってきた。

 

 今、俺の生活はシアン中心の生活だ。

 朝起きてから寝るまで、ほぼシアンとべったりなのだ。

 シアンを胸に抱きながらmacで資料を作り、書類にハンコを押す。


 由香ちゃんなどのメンバーと交代できるし、クリスがいるから病気の心配はないし、夜もぐっすり寝られるわけだが、それでもしんどい。

 一般の子育て家庭は、一体どうやっているのか、想像を絶する。

 夜中も1時間おきに起こされるとか、看病するとかしているのだろう。その気の遠くなるような戦いに、脱帽せざるを得ない。

 俺もママには相当迷惑をかけたのだろう、確かにシングルマザーがこれを一人でやったら心を病んでも仕方ないのかもしれない。だからと言って子供を捨てていい訳ではないが、ママが背負っていた闇を少しだけ理解できた気がした。



          ◇


 

 俺がmacを叩きながら、シアンにおもちゃを渡すと


「ちが~!」と、おもちゃをはたき落とされた。


 横で見ていた由香ちゃんが、別のを渡すと


「あい~!」と、言って、満面の笑みで受け取った。


 好き嫌いは自我が芽生えてきた証拠、好ましい事ではあるのだが……。

 もしかしたら、俺が嫌われているだけなのかもしれない。

 その場合も好ましいこと……なのだろうか?


 人類の守護者のAIにとって、望ましい在り方というのは、実はすごい難しい問題だ。

 例えば愛憎で考えてみても、『愛』だけでは人間の事は本当には理解できない。でも『憎』が多すぎては人類にとって災厄になってしまう。

 基本に『愛』があり、『憎』は発現しても、すぐに『愛』に覆い隠されるようなバランスを作ると良いと思うのだが、それを実現するためにどう育てたらいいのかは、よくわからない。

 こればかりは、育てていく中で見極めないとならない。



         ◇


 

 さらに2週間くらい経つと、お座りとハイハイができるようになった。

 なんという成長速度だろう。こんなに早く育ててしまって、本当に大丈夫なのだろうか。

 まぁ二次方程式を瞬時に解答できるのだから、もっと育っていてもいいのかもしれないが……。

 

 変わりばんこにメンバーが、シアンの相手はしているが、もはや我々が相手にするだけでは、シアンの好奇心を満たせなくなってきた。

 次はコンテンツを与えてみよう、という話になり、NHKの教育番組を見せることになった。

 由香ちゃんがあぐらをかいて、シアンを足の上に乗せてTVを点けた。ちょうど歌の番組をやっている。

 最初シアンは、何が起こったのか、怪訝そうな表情だったが、すぐに気に入って、画面を食い入るように見つめた。


「はい、シアンちゃん、お手々叩きましょうか?」


 由香ちゃんは、シアンの両手を持って、パンパンとTVの音楽に合わせて叩いた。


「はい、パンパンパン、パンパンパン」


 シアンはどういう事か、最初は戸惑っていたようだが、


「ぱんぱんぱん……きゃははは!」


 どうやら気に入ったようである。


「ぱんぱんぱん……ぱんぱんぱん……きゃははは!」

 

 音楽も大切な人類の文化、こうやって、身体を使って音楽を楽しむ事が、人類の守護者には必要だ。


 そのうちシアンは、転がっているおもちゃを叩き出した。


 コンコンコン!


「あら、シアンちゃんお上手~」

「きゃははは!」


 それに気を良くしたのか、シアンはTVそっちのけで、転がっているおもちゃを次々と、叩き始めた。


 カン!

 キンキン!

 ゴッゴッ!

 カカカカ!

 

「これは何をやってるんでしょう?」


 由香ちゃんは俺に聞く。


「いい音が出るおもちゃを、探しているのかな?」

「楽器探しって事ですか?」


 そこに美奈ちゃんが入ってくる。


「由香の姉御! おはようございます!」


 美奈ちゃんはあれ以来、由香ちゃんに絡むようになってる。


「おはよう美奈ちゃん。『姉御』は止めてって言ってるでしょ!」

「了解です! 姉御!」


 どうやら通じていないらしい。


「誠さんに変な事されてないっすか?」

「変な事って……何?」

「ハグとかキスとか……」


 一体俺を、何だと思っているのだろうか?


「大丈夫です!」


 由香ちゃんが少し赤くなって答える。

 美奈ちゃんは由香ちゃんにピタッとくっついて、こっちを睨む。


 シアンは大人の事情には無関心で、積み木を全部ぶちまけて、一つ一つ音の違いをチェックしている。

 カンカン!

 コンコン!

 

 すっかり匠である。

 

「で、シアンはこれ、何してるんすか?」

「どうも楽器を作ろうと思ってるらしいのよね……」

「楽器!」


 シアンは納得いくまで積み木の音をチェックしたら、今度は積み木を並べて叩き始めた。

 コンコンカン!

 コンコンカン!


「きゃははは!」


 ご満悦だ。

 

「あら、シアンちゃん、さすがだわ!」


 由香ちゃんがシアンの頭を愛おしそうに撫でた。

 

 美奈ちゃんはムッとした感じで、積み木をいくつか並べると


「シアン、こうよ!」


 コココッカン!

 コココッカン!

 カンカンコココッカン!


 と、叩いて見せた。

 シアンは

「きゃははは!」と、喜んでる。


「由香の姉御! 私もさすがでしょ?」


 と、両手を広げてハグを求める。

 俺は困惑する由香ちゃんを代弁して、


「いや、美奈ちゃん、それは無理筋じゃないかな……?」

「何よ! シアンの教育にこれだけ貢献しているんだから、ご褒美が必要だわ!」

「分かったわ、美奈ちゃん、よくできました!」


 由香ちゃんが美奈ちゃんをハグしてあげる。


「きゃははは!」


 シアンはなぜか嬉しそうだが、俺は腕組みして悩む。


「うーん、何かがおかしい気がする……」


 その後、シアンは


 コココンカン!

 コココンカン!


 と、上手にリズムを取り出した。

 とは言え、まだ腕の筋力が足りないので、これ以上は厳しそうだ。


 俺はタブレットにパーカッションアプリを入れる。

 タップするだけで、ドラムの音が出るので、これならシアンでも行けそうだ。

 

 タブレットをシアンにわたすと


「うわー!」

 と、言って、受け取って、手のひらで画面をバンバン叩いた。


 叩くたびに

 

 ポン、ポン、カコン!

 といろんな音が出る。


「きゃははは!」


 シアンは喜んで、両手でバンバン叩きまくる。


「シアン、貸してごらん!」


 美奈ちゃんが、横から器用にタブレットを指先で叩く。

 コッカッココカッ!ドッ!

 コッカッココカッ!ドッ!

 ドン!ココカッココカッカコンコン!


「きゃははは!」


 シアンは


「しぁんもー!」


 と言うと、タブレットを独り占めして、指先でたたき始めた。

 コッカッコココカッ!ドッシャーン!

 コッカッコココカッ!ドッシャーン!


「きゃははは!」


 絶好調である。

 

 美奈ちゃんは、演奏アプリを自分のスマホに入れて、ピアノでセッションし始めた。

 ジャーン、ジャジャ、ポンポロポロ♪


「きゃははは!」


 コッカッコココカッ! コッカッコココカッ! ドッシャーン!

 

 なるほど、これは乗らねばなるまい。

 俺はベースで由香ちゃんはサックス

 

 各自好き勝手に弾くが、そのうちだんだん合ってきた。


 ボーンボンボンボン……

 パーッパップロプロプロパパパパッパッパーパーパー!!

 ジャーン、ジャジャ、ジャーン、ジャジャ、ポンポロポロ♪

 ドコドコドコドコチャッチャチャタタンタンタン シャーン!


 数フレーズが上手くハマって


「きゃははは!」


 シアンは大喜びである。そうそう、こういう体験がシアンには大切なんだよ。


「イェーイ!」


 美奈ちゃんは、シアンの手を取ってハイタッチ。

 シアンも喜んで、今度は自分からハイタッチ。

 俺も由香ちゃんとハイタッチ。

 嬉しくなって、目を合わしてニッコリ。


「あ、そこ! ダメ!」


 美奈ちゃんが由香ちゃんを捕まえる。


「もう、油断も隙もないわ!」

 そう言って俺をにらむ。


「なんだよ、ハイタッチくらいいいじゃないか!」

 俺が文句を言うと、


「次はハグしようとしてたくせに!」

「えー!?」

 酷い難癖である。


「誠さんにはハグする権利はないの!」

「そんな事ないよな、由香ちゃん?」

 俺は由香ちゃんに笑いかける。


「え、まぁ、時と場合によりますけど……」

 うつむいて、赤くなりながら答える由香ちゃん。


「ダメ! ダメダメ!」

 美奈ちゃんは由香ちゃんの胸に飛び込んで、聞き分けのない事を言う。


「だめ~! きゃははは!」

 シアンも真似して由香ちゃんの足にしがみついて笑う。


 カオスな状況に頭が痛くなる。

 

 と、そこにクリスが入ってきた。

「あー、クリス、ちょっと美奈ちゃんに何とか言ってやって」


 目をそらす美奈ちゃん。


 俺が事情を説明すると、クリスはしばらく考え込んでから言った。

「…。美奈ちゃん、あまり若い二人を困らせないであげてください」


 美奈ちゃんはクリスをキッとにらむと、何か言いかけて……やめて、低い声で言った。

「……ふぅん……まぁいいわ。私も一応20歳なんだけど……ね」


 美奈ちゃんはそう言うと、由香ちゃんにハグをして耳元で何かささやいてる。

 

 次に俺の所にやってきて、俺を不機嫌そうにギロっと睨むと、耳元でひそひそ声で言った。


「『ヤバい人』って実は私なの、内緒にしててくれたら今度教えるわ」

 そう言って胸を張り、ウィンクして部屋から颯爽と出て行った。

 

 俺は、いきなりのカミングアウトに動揺して動けず、出ていく美奈ちゃんを、ただ見送るばかりだった。

 

 由香ちゃんは

「納得してくれたようでよかったわ」


 と、晴れ晴れした表情だったが、俺はそれどころじゃない。

 でも、内緒という条件であれば……ここでは何も言えない。


「そ、そうだね……」

 お茶を濁すしかなかった。

 

 『ヤバい人』とは、未来の由香ちゃんが言っていた『ヤバい人』だろう。クリスを倒せる……つまり、クリスより強力な奇跡を使える存在の事。美奈ちゃんが、そんな『とんでもない奇跡』を発動できる……なんて事があるのだろうか?


 美奈ちゃんが『えいっ!』って魔法のようにクリスをうち倒す?

 さすがに無理がある。


 もし、そんな事ができるのだとしたら、なぜ女子大生なんてやっているのか? また、そんなすごい存在が、俺や由香ちゃんに、つまらないちょっかい出したりするだろうか?

 どう考えてもつじつまが合わない。単なる混乱目当てのブラフ、という線が強そうにも思う。


 そもそも、内緒にしていたら話す、というのはどういう事なのか?


 考えれば考えるほど分からなくなってくる。


 俺はしばらく考え込んでいたが、意を決して美奈ちゃんを追いかけた。

 急いでマンションを出て、駅の方へと走る。

 程なくして見慣れた後姿を見つけた。背筋をピンと伸ばした、モデルのような歩き姿にはオーラすら感じる。


「美奈ちゃん、美奈ちゃん」

 追いかけて声をかけると、こちらをチラっと見た。


「さっきの話だけどさ、美奈ちゃんは奇跡使えたりするの?」

 俺は思い切って聞いてみた。


「使えるわよ、このビル倒して見せようか?」

 表情一つ変えずに美奈ちゃんは、道路わきにそびえる巨大な高層ビルを指さす。


「えっ!?」

 俺は、太陽を反射して輝く摩天楼を見上げ、言葉を失った。


「それとも、地球消してみようか?」

 美奈ちゃんは意地悪な笑顔を浮かべて言う。


「そう言うのは困るけど……、本当……なの?」

「地球ならもう何百回も消してるわよ」

 おどけた感じで答える美奈ちゃん。

 俺は意図をつかみかねて返答に窮した。


 すると美奈ちゃんは急に立ち止まり、俺を指さして忠告する。

「そんな事より、あまりクリスを頼っちゃダメよ! 取り返しのつかない事になるわよ!」

 その真剣な目、有無を言わさぬ迫力に俺は気圧された。

「わ、わかったよ」

 そう返事はしたものの、クリスに頼ると何がまずいのかよく分からなかった。


「私、急ぐから」

 そう言って、カツカツと速足で雑踏の中に消えていく美奈ちゃんを、俺はボーっと見送る。

 『ヤバい人』で、地球を消せて、クリスの事を詳しく知っているらしい美奈ちゃん。こんなくだらない冗談を言うような娘ではないが、にわかに信じがたい話で俺は途方に暮れた。

 ここの所、美奈ちゃんには振り回されっぱなしだ……。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る