第116話 もう一人のトリス 2

 一方、クローンのトリスの方はかなり荒れていた。


「止めろーっ! 離せーっ!」


「わははは。気性の荒いトリスも可愛いなぁ。もっふもっふもっふもっふもっふ♪」


「はーなーせーっ!」


「もふもふ~」


 じたばたと暴れるクローンのちびトリス。


 そしてそんなちびトリスに抱きつき頬ずりして、尻尾をもっふもっふしまくるレヴィ。


 やりたい放題だった。


 そして実に幸せそうだった。


 顔がだらしなく緩んでいる。


 本気で涙目になっているちびトリス。


「あー……なんか、これがあの『星暴風スターウィンド』かと思うと、いろいろと幻滅だな……」


 そしてそんな様子を眺めていたシデンは呆れ混じりに呟く。


 レヴィの正体についてはリーゼロックPMCとのやりとりで気付いた。


 彼らが当たり前のようにレヴィを『星暴風スターウィンド』と呼んでいるのに対し、レヴィも嫌々ながら応じていた。


 そして何よりも、ハロルド達との模擬戦を見学するにあたって、それは確信となった。


 レヴィは間違いなくあのレヴィアース・マルグレイトであり、『星暴風スターウィンド』と呼ばれた天才操縦者なのだ。


 エステリ出身のシデンとはそれなりの因縁もあるし、何度か宇宙で戦闘をこなしたこともある。


 といっても、一方的に蹴散らされるのに対して命からがら免れただけだが。


 そして同じ戦闘機操縦者として、敵でありながらも敬意を払っていた。


 ……筈なのだが、現状を目の当たりにすると、そんな敬意もどこかに吹っ飛んでしまう。


 それどころか、幻滅してしまう。


「あんた、そういう性格だったのか?」


「ん~? まあ、俺は元々こういう感じだったと思うけど?」


「……そうか」


 納得したくはないが、本人がそう言うなら納得するしかないのだろう。


 深々とため息をつくシデン。


 正確にはマーシャとトリスという亜人に出会い、もふもふの素晴らしさを体感してから駄目人間になった感じだが、本人にその自覚は無い。


 それどころか、あの頃よりも充実した人生を送っているので、自分は幸せだと確信しているぐらいだ。


 マーシャともふもふ出来て、トリスとももふもふ出来て、更にちびトリスをももふもふ出来るのだ。


 天国が大軍で押し寄せてきたようなもので、レヴィとしては人生絶好調だと叫び出したいぐらいにハッピーだった。


 過去の自分などとっくに忘れている。


 それどころか、過去の自分すらも書き換えてしまっている。


 自分は元からこうだったと本気で思い込んでいるのかもしれない。


「おっさん。いい加減離せよっ!」


「おっさんじゃない。レヴィお兄さんだ。ほら、呼んでごらん♪」


「ジジイ」


「ぐはっ!」


 おっさんを通り越してジジイ呼ばわりに大ダメージを受けるレヴィ。


 その隙に抜け出すちびトリス。


 ようやくもふもふ地獄から抜け出して、レヴィから距離を取る。


 代わりにシデンの傍に寄った。


「お? どうした?」


 ちびトリスに近付かれて少し照れるシデン。


 オリジナルの性格を知っているだけに、同じ顔をしているこの少年に対してどう接していいのか分からないらしい。


「おっさんはあのジジイに対する盾だ。しばらく後ろにいさせて」


「………………」


 盾扱いされていた。


 よほどレヴィを警戒しているらしい。


「こらーっ! ジジイ呼ばわりはせめて訂正しろーっ!」


 そしてジジイ呼ばわりされたレヴィが喚く。


 金色の瞳に涙をにじませている。


 ちょっぴり哀れな表情だった。


「やだ。俺から見たらどっちもジジイだ」


「………………」


 シデンの方はレヴィと違い涙目にはならなかった。


 代わりにちびトリスを捕まえて、拳を頭に当てる。


「口の悪いお子様だな。ちょっとお仕置きしてやろう」


「え?」


 ちびトリスの小さな頭を大きな拳で挟み込み、そのままぐりぐりと圧力をかけ始めた。


「いだだだだだだーっ!? 痛い痛い痛い痛い痛いーっ!」


 ちびトリスは涙目で叫ぶが、シデンはやめない。


 躾けも兼ねているので、手加減はしても、容赦をするつもりはなかった。


「おっさんまでは許すが、ジジイは許さん。分かったか?」


「わ、分かった。分かったから痛い痛い痛いーっ!!」


「よし」


 涙目で頷くちびトリスを見てようやく解放してやるシデン。


 かなり厳しい躾けだった。


「うう~……」


 涙目で頭を抑えているちびトリス。


 自業自得とはいえ、かなり哀れだった。


「容赦ねえな。可愛い子供相手なんだから、もう少し手加減してやればいいのに」


 涙目になったトリスをよしよしと撫でるレヴィ。


 ついでに逃げ出さないように捕まえてから、再び尻尾をもふりまくる。


「う~……」


 もふもふされるのも嫌なのだが、痛いよりはマシだと判断してレヴィの方で妥協するちびトリスだった。


「ジジイ呼ばわりされて怒らないほど温厚じゃねえよ。元海賊だぞ」


「じゃあ俺が退治してやろう」


「やめろ。マジでやめろ。お前が言うと洒落にならん」


「そんなに怖がらなくてもいいのに」


「一度の砲撃で腕利き戦闘機を複数スクラップにするような化け物相手を怖がるなって言う方が無理だろうが。この常識ブレイカーめ」


「そこまで言うか? ちょっとコツを掴めば他にも出来る奴はいると思うぞ」


「……自覚無いって恐ろしいな」


 自分がどれだけの天才なのかを自覚していないというのはかなり恐ろしい。


 しかし自覚されても腹立たしいので、これで妥協するべきなのかもしれない。


「ふあ……」


「お、どうした? トリス」


「ん……眠い……」


「そうか。また眠くなったのか。よし、俺が膝枕してやろう。安心して眠るといい」


「ベッドがいいんだけど」


「遠慮するな」


「嫌がってるんだけど」


「わははは。トリスは照れ屋さんだな~」


「………………」


 逆らっても無駄だと分かったのだろう。


 レヴィが自分の身体を横たえて膝に頭を乗せてくれるのを黙って受け入れた。


 もふもふは嫌だが、この手は優しい。


 安心して身を委ねられると知っているのだ。


 オリジナルのトリス自身の記憶がどこかに残っているのかもしれない。


「すぅ……すぅ……」


 そしてちびトリスはすぐに眠った。


「寝顔もやっぱり可愛いな~」


「……どうせデレるなら彼女相手にしとけよ」


「もちろんマーシャも可愛い。しかしもふもふは全部可愛い」


「おっさんのもふもふは?」


「………………」


 レヴィはかなり難しい表情で黙り込んだが、やがて意を決して頷いた。


「も、もふもふ限定で、か、可愛い……筈……」


 ちょっぴり涙目だ。


 やせ我慢ともふもふマニアもここまでくればあっぱれだ。


「じゃあばあさんのもふもふは?」


「もちろん敬老の精神でたっぷりもふもふする。優しく尻尾をブラッシングだ」


「……見境無いな」


「ほっとけ。これが俺の生き様だ」


「しょーもない意見を聞かされているだけのように思えるのは俺だけか?」


「お前だけだ」


「今度彼女にも意見を聞いてみたいな」


「……やめてくれ。凹む答えが返ってきそうだ」


「やっぱり分かってるんじゃねえか」


「うるせえな」


 膝の上で眠るちびトリスは目を覚ます様子もなく、すやすやと寝息を立てている。


 かなり深い眠りのようだ。


「やっぱり、ダメージは深刻だな」


 レヴィが痛ましげな表情でちびトリスの頭を撫でる。


 獣耳の部分をそっと撫でて、いたわるように包み込んだ。


「そうだな。セッテ・ラストリンドがどれだけ非道なことをやっていたのかは完全には把握していないが、この子の状態を見ただけで、ある程度は察せられる」


「……なるべく早く治してやりたいんだけどな。ロッティに戻ってから、クラウスさんに相談してみよう。リーゼロックならそれぐらいの伝手はありそうだし」


「クラウス・リーゼロックという伝手自体がとんでもないと思うけどな」


「そうか? 気のいい爺さんだぜ」


「………………」


 ロッティの経済を牛耳り、エミリオン連合軍にも少なくはない影響を与えているリーゼロック・グループの会長と伝手があるというのに、レヴィの方は『気のいい爺さん』呼ばわりだ。


 呆れるやら感心するやら、複雑な心境になるシデン。


 しかもしれだけではなく、トリスやマーシャにとっては保護者のような存在であり、家族同然だというのだから更に驚きだ。


 トリスがどこからあれほどの資金と技術力を調達してくるのか、ちょっとした謎だったのだが、リーゼロックとの繋がりを維持していたのならある程度は納得出来た。


 クラウス・リーゼロックも犯罪者になってしまったトリスを未だに支援し続け、保護しようと目論むほどには甘い人物らしい。


 きっとこのちびトリスのこともいいように計らってくれるだろう。



 眠り続けるちびトリスの状態は、見た目以上に深刻だった。


 セッテ・ラストリンドの手によって創られたクローン体としては破格の完成度を誇っているが、あくまでも実験過程の為、無茶をさせることを前提に設計されていたらしく、身体にかなりの負荷を掛けられていた。


 本来ならば戦闘経験を積んでいく内に身につけていく反射神経や運動能力などを、ナノマシンで強制的に覚醒させ、小さな身体の負荷などお構いなしに全能力を発揮させていた。


 それだけではなく、あの奇形戦闘機キュリオスに乗せるにあたって、ちびトリスを『操縦者』ではなく『プロセッサー』呼ばわりしていたことからも分かるようにまともな扱いはしていなかった。


 キュリオスを動かすにあたって、操縦桿を握るのではなく、直接脳に配線を繋いでから、極限まで反応速度を上げていた。


 全方位の対応が可能だったのは、キュリオスが受け取るデータを直接脳に送り込まれていたからだ。


 その情報圧は一流の電脳魔術師サイバーウィズであっても廃人になるほどのものだった。


 人間としては最高峰の電脳魔術師サイバーウィズであるシャンティであっても、一時間と保たないほどの圧力なので、幼いちびトリスがどれだけの負荷を強いられていたかは想像に難くない。


 亜人のクローンとして強化された身体であっても、後遺症が残るほどだった。


 恐らくセッテはあの場でちびトリスを使い潰し、オリジナルのトリスを手に入れることで帳尻を合わせるつもりだったのだろう。


 使い潰されることを理解していてなお、逆らうことの出来なかったちびトリスは、その脳内に小型爆弾を仕掛けられていたらしい。


 逆らえば殺されるという状況では、何の希望も見いだせなかったに違いない。


 幸い、その爆弾は自動機械を用いた手術によって除去することが出来た。


 シルバーブラストには医療技術に精通した人間が一人もいないので、自動機械に高度な医療技術プログラムを仕込んである。


 大抵の病気や怪我ならば問題無く治療出来るし、ネットワークを介して常に新しいデータを受け取っているので、進んでいく技術にも対応している。


 自動機械に命を預けるなどぞっとしない話だとレヴィは思ったが、マーシャ曰く、精神状態や健康状態に左右される人間に任せるよりはずっと安定している、ということらしい。


 そして言われてみれば確かにその通りかと納得するレヴィ。


 人間の精神状態、健康状態、そして恐ろしい気紛れや悪意に左右されない分、自動機械の方が確かに安心出来る。


 それにマーシャが太鼓判を押している機械なのだから、これ以上は疑ったりしなかった。


 しかし爆弾は取り除いても、後遺症は残った。


 脳に強大な負荷を掛けられ続けていたちびトリスは、長い時間活動することが出来ない。


 一日の半分以上は眠っている。


 活動し続けると、すぐに眠くなる。


 だから医務室からはしばらく出られないし、常に健康状態にモニタリングが必要だ。


 ちびトリスはそれが不満なようだが、自分の身体が思うように動かないことも分かっていたので、今は大人しくしていた。


 ここの人たちが自分を護ってくれると、直感で理解しているのだろう。

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