第60話 トリスの決意、そして……

 旗艦アイリスがロッティへ戻ったのは、それから二日後のことだった。


 推進機関を撃たれたので、その修繕作業にかかりきりだったのだ。


 その間、マーシャとトリス、そして他の隊員達は居住区画でのんびりと過ごしていた。


 運行に必要なメンバーは交代で艦橋に残っていたが、その他の人間は特にやることもなかったのである。


 暇を持て余していたが、これで給料が発生するのだから儲けものだという意識らしい。


 敵を取り逃がしたのは痛恨だが、それに関しては今後も調べていけばいいと割り切っている。


 そしてトリスの方はほぼマーシャに付きっきりだった。


「マーシャ。食事を持ってきたよ」


 マーシャの待つ部屋に二人分の食事を持ったトリスが入ってくる。


 トレイに乗った食事は出来立てで、かなり美味しそうだった。


 メニューは焼きたてパンとスープ、そしてフレッシュジュースだ。


 片手で一トレイずつ持っているので、落としたら大惨事になるが、トリスはうまくバランスを取っていた。


 落としそうだという不安定さは見受けられない。


「ありがとう。でも、自分で取りに行けるぞ」


「駄目だよ。まだ肩の傷は治ってないんだぞ」


「それはそうだけど。でもトレイぐらい片手で持てる」


「駄目だ」


「……トリスは過保護だ」


 あまり過保護にされるとむくれてしまうマーシャだった。


 過保護は嫌いではない。


 しかしそれは大人にされる場合だ。


 大人が過保護になる場合は自分をそれだけ可愛がってくれているし、子供は大人に護られるものだという意識があるからだ。


 しかしマーシャにとってのトリスはあくまでも対等な仲間なので、ここまで過保護にされるのは面白くないと感じてしまうのだ。


「ごめん。でも、無理したら治るのが遅くなるかもしれないし、それは嫌なんだ。僕がつけた傷だから」


「気にしなくていいのに」


「無理だよ」


「まあ、トリスはそういうタイプだよな」


「うん」


 マーシャの前に食事のトレイを置くと、自分もその隣に座る。


「でも、もうほとんど痛まないぞ。むしろ痒いぐらいだ」


「……掻いちゃ駄目だからね」


「駄目かな? むずむずするんだけど」


「絶対駄目」


「む~……」


 痒いのに掻けないというのは、それなりにストレスが溜まるようで、マーシャは少しだけむくれた。


 しかし早く治ってくれるに越したことはないので、大人しく従うことにした。


 マーシャの怪我が治らない限り、トリスは過保護をやめようとしないだろう。


 それは困るのだ。


 早くいつもの調子を取り戻して欲しい。


「トリス」


「何?」


「シチューの肉、ちょっと分けてくれ」


「いいよ」


 トリスは素直に従ってくれる。


 自分のシチューに入っていた肉を三切れほどマーシャのところに移す。


 彼も肉食獣なので肉は恋しい筈なのだが、マーシャのおねだりには弱い。


 そしてこれが自分とマーシャの違いなのだろうと思っている。


 自分はマーシャほどあけすけになれない。


 欲しいものを欲しいと素直に言えない。


 だけど自分とマーシャは違う存在なのだから、無理に変わろうとする必要は無いのだろうと自分を納得させている。



 全部食べ終わると、今度は片付けまでトリスがやってくれる。


 至れり尽くせりだったが、ここまでされると少し居心地が悪い。


「ちょっとは自分で動きたいんだけど」


「駄目だよ」


「ちょっとは自分で動いた方がリハビリになると思うんだけど」


「駄目だよ」


「………………」


 てこでも動かない態度だった。


 完治するまではマーシャをとことん過保護にするつもりらしい。


 マーシャはやれやれとため息を吐いた。


 何を言っても無駄ならば従うしかない。


 心配をかけていることも事実だし、その件に関してトリスが負い目を感じているのも確かなのだから。


 それに付き合う義理があるのだろう。


 義務ではないのだから反発してもいいのだけれど、今のトリスをこれ以上不安定にするのは気が進まなかった。


「まあいいけどさ。じゃあ片付けの方はよろしく」


「うん。任せて」


 トリスは二人分のトレイを抱えてから、再び部屋から出て行く。


 その後ろ姿を見送ったマーシャがため息を吐く。


「駄目……なのかな……」


 呟いた言葉はトリスには届かない。


 しかし届いたところで無駄なのは分かっている。


 トリスの自由意志を止めることは、マーシャにも出来ない。


 だからこそ辛かった。


「レヴィアース。私はどうしたらいいのかな……」


 自分を助けてくれた人の名前を呼ぶ。


 もう会えないかもしれない人。


 だけどもう一度会いたいと、心から願う人。


 今ここにいてくれたなら、何を言ってくれるだろう。


 悩むマーシャのことなどお構いなしに、最善の道を示してくれそうな気がするのに。


 こんな時にこそ居て欲しいのに。


 しかし甘えてはいけない。


 レヴィアースにはレヴィアースの人生があるのだ。


 それを自分達の都合でかき回してはいけないことぐらい分かっている。


「トリスに対して何を言ったらいいのか分からないんだ。どうしたらいいのかも分からない。正しくなくてもいいんだ。ただ、この時間が、今の日常が、続いて欲しいだけなのにな……」


 やっと手に入れた平穏な日常。


 幸せだと思える毎日。


 ささやかな日々がいつまでも続いて欲しい。


 そう願うことはそれほどまでに贅沢なことだろうか。


 マーシャは続くことを願っている。


 そしてトリスは自分からそれを壊そうとしている。


 未来よりも、過去を選ぼうとしている。


「結局、私ではトリスを変えられなかったってことなのかなぁ……」


 誰よりも近い存在のつもりだった。


 少なくとも、生き残ってからはそう感じていた。


 だけど今はトリスが遠い。


 彼が何を考えているのかが分からない。


 何をしようとしているのかは分かるのに、その心の中がどれほどの憎悪に苛まれているのか、察してやることが出来ない。


 マーシャはトリスほど仲間を大切にしていた訳ではないから、仲間の死をそれほど悼むことが出来ないのだ。


 だからマーシャにトリスの気持ちは分からない。


 分かりたくても、分からない。


 分かってあげられないことが哀しかった。



 それからアイリスの修理が完了して、ロッティへと戻った。


 トリスは真っ先にクラウスのところへと連れて行かれた。


 仕事中だったクラウスはその手を止めてトリスへと駆け寄った。


「トリス。無事で良かった。よく無事で戻ってきてくれたな」


 ぎゅっと抱きしめてくれるクラウスの腕が温かくて、泣きそうになってしまう。


 トリスもクラウスを抱きしめてから頷いた。


「心配掛けてごめんなさい。お爺ちゃん」


「いいんじゃ。トリスの所為ではないからな。うちの護衛が少し甘かったのは確かじゃが、ここまでのことを想定していなかった儂の責任でもある」


「助けてくれてありがとう」


「それは当然じゃ。可愛い孫みたいなものじゃからな」


「うん」


 当然のように言ってくれる言葉が何よりも温かい。


「詳しい報告もハロルドから聞いている。大変じゃったな」


「うん……」


「セッテ・ラストリンドのことは儂も調べておく。今は悔しいじゃろうが、耐えてくれるか?」


「うん……」


「トリス。お帰り」


「……ただいま」


 ただいまと言えるこの場所が大事だった。


 何よりも大切で愛おしい、自分の居場所。


 居てもいいと言って貰える場所。


 おかえりと言って貰える。


 そしてただいまと言える。


 それはこんなにも幸せなことだと、トリスには分かっている。


 だけど、だからこそ、そこに甘んじることは出来ないという気持ちがあった。


 今の自分にそんな資格はないのだということを、トリスは何よりも自覚していた。


「………………」


 そんなトリスの様子の変化にクラウスは気付いていたが、何も言わずにトリスを抱きしめ続けた。


 この少年が何を決意したとしても、自分は止めることも出来ないだろうと分かっていたからだ。





「………………」


 翌日の夜、トリスは一人で荷物をまとめていた。


 ここに来た時は何も持っていなかった。


 身ひとつでやってきた。


 それなのに、今は最低限の荷物を持っていこうとしている。


 随分と贅沢な考え方を身につけるようになったものだと、自分でも苦笑してしまう。


 服一枚にしたところで、ぼろきれのようなものを着ていた頃に較べたら、自分は随分と恵まれている。


 恵まれていると分かっているからこそ、許せないと思ってしまう。


 自分を許せない。


 許したくても許せない。


「……ごめんなさい」


 何に対して謝ったのか、自分でもよく分からなかった。


 いろんなものに対して謝りたかった。


 いろんな人に対して謝りたかった。


 こんなにもよくして貰っているのに、その気持ちを裏切ってしまうことが申し訳なかった。


 それでも、あれを知ってしまった以上、自分だけがのうのうと陽だまりの中にいるのは許せなかったのだ。


「レヴィアースさん……僕は、結局……マーシャを護ることが出来ない。ごめんなさい」


 今はもう会えない人にも謝る。


 マーシャとトリスを救ってくれたレヴィアースは、トリスにとっても大きな意味を持つ人だった。


 復讐したいと苦しむトリスに、レヴィアースは言ってくれたのだ。




『目を逸らし続けても、逃げてるだけだとしても、それで自分と相手が笑っていられるのなら、いいんじゃないかと思うんだよ。幸せになる為ならいくら逃げてもいいし、目を逸らし続けてもいい。辛い現実は必ずしも向き合い続けなければならない訳じゃないと思うんだ』



 確かにその通りなのだと思う。


 あの言葉でトリスは随分と楽になった。


 そうしてもいいのだと、マーシャと一緒にこの幸せに身を置いてもいいのだと、そう思うことが出来た。


 少なくとも、これまでは。




「だけど、もう駄目なんだ」


 一日でも早く仲間の遺体を取り戻す。


 その為にはリーゼロックの力を利用するのが一番いいことは分かっている。


 リーゼロックの力ならば、そしてハロルド達ならば、きっと仲間の遺体を取り戻してくれる。


 トリスが一人だけ飛び出して取り戻そうとするよりも、きっと早く目標を達成出来るだろう。


 それでも、駄目だった。


 トリスは自分を制御出来ない。


 人間が憎くて堪らない。


 セッテが憎くて堪らない。


 あの日、全てを壊した惑星ジークスの人間と、エミリオン連合軍の人間が憎くて堪らない。


 全ての人間を憎んでしまいそうになる。


 憎悪に支配されている。


 小さな身体の中に燃えている炎は、決して消えることはない。


 一生、トリスの身を焦がし続けるだろう。


 そしていつか燃え尽きるのかもしれない。


 それでもいい。


 いっそのこと燃え尽きたいと願っている。


 だから、ここにはいられない。


 幸せになることを拒絶してしまったからこそ、ここには居られないのだ。

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