第15話 トリスの気持ち 2

 レヴィアースに宛がわれた部屋に戻ると、マティルダがベッドですやすやと眠っていた。


「えーっと……」


 そこはレヴィアースのベッドであり、マティルダの寝室は別にある筈なのだが。


 それ以前に鍵がかかっていた部屋にどうやって入り込んだのだろう。


「マティルダ?」


「ん……おはよう、レヴィアース」


「夜だけどな」


「待ちくたびれた」


「勝手に忍び込んでおいてそれか」


「だって部屋にいなかったから」


「そういう問題か? っていうか鍵はどうした?」


「電子ロックなら解除方法を覚えた」


 えっへんと胸を張るマティルダ。


 手には携帯端末を持っている。


 マティルダが望み、クラウスが与えた業務用携帯端末であり、かなり高性能な代物だった。


 どうやらあれを使って電子ロックにハッキングを掛け、この部屋のロックを解除したらしい。


 恐るべきハッキング能力だった。


「泥棒スキルを磨いてどうするんだ……」


 凄いことは認めるが、泥棒スキルを磨くのはどうかと思う。


 幸せになってもらいたいのであって、犯罪者になってもらいたい訳ではない。


「悪いことには使わないよ。ただ、試してみたかっただけ」


「人の部屋に勝手に忍び込むのは悪いことだぞ」


「レヴィアースの部屋ならいい」


「何でだよ」


「仲良しだから」


「………………」


 そう言って貰えるのは嬉しいが、しかしだからといって勝手に部屋に入られるのはよろしくない。


「それで、何の用だったんだ?」


「うん。明日、戻るんだよな」


「ああ」


「また、会える?」


「それはちょっと難しいな」


「………………」


 マティルダが不満そうな顔になる。


 しかしその理由も分かっている。


 彼女はとても賢い。


 だからレヴィアースの言葉の裏までしっかりと理解してしまっているのだ。


「まあ、仕方ないのかな。わたしだけじゃなくて、トリスやレヴィアースまで危ないとなると」


「分かってるなら、納得はするよな?」


「う~……」


 銀色の目が不満そうにレヴィアースを見上げる。


「そんな目で見られても困るんだが……」


「だって……これっきりなんて、寂しすぎるし……」


 うるうるとした銀色の瞳は寂しさを訴えている。


 マティルダが強引な手段を用いてまで部屋にやってきたのは、この寂しさを紛らわしたかったからなのかもしれない。


「トリスがいるだろう? たった二人きりの同胞が」


「トリスは駄目だ」


「え?」


「トリスは、いつかいなくなる」


「マティルダ……」


 気付いていたのか。


 いや、この子も勘は鋭い。


 自分が気付く程度のことにはとっくに気付いている筈だ。


「幸せになることが、トリスにとっての苦しみなら、いつか居なくなるよ」


「そんなことはないさ」


「なんでそんなことが言える?」


「トリスも迷っているからさ」


「え?」


「どうして迷っているか、分かるか?」


「………………」


 ふるふると首を横に振るマティルダ。


 こういう部分は本当に鈍い。


 だけどそれでいいのだと思う。


 お互いを大事に想うからこそ、お互いのことが分からない。


 近すぎて分からないからこそ、決定的なところまで踏み込まずに済んでいる。


 それはトリスにとっても救いになっているだろう。


「マティルダがいるからさ」


「私が……?」


「ああ。トリスがその望みを叶えようとしたら、マティルダが一人きりになってしまうだろう? トリスはそれを心配している」


「……私を一人にするのは心配、か。私はトリスに心配されるほど弱くないつもりなんだけどな」


「大切な相手だったら、強かろうと弱かろうと関係ないだろ。大切だからこそ、心配なんだよ」


「………………」


「マティルダだってトリスのことを心配しているだろう? でもトリスは強い。違うか?」


「違わない」


「だったらそういうことだ」


「うん」


「出来るだけあいつを見ててやってくれよな、マティルダ」


「分かってる。でも、トリスが決めたことなら、私は止められないぞ」


「そうだな。でも、マティルダがブレーキになってくれることを願ってる」


「なんか、足枷っぽくなってる」


「守る為の足枷ならアリじゃないか?」


「アリかな」


「俺はアリだと思う」


「ならアリでいいや」


 レヴィアースが言うのならマティルダはあっさりと頷いた。


 彼がそう信じてくれるのなら、その通りの自分でいようと思える。


 そうすれば、この縁が続くような気がするのだ。


 しばらく会えなくても、いつか会えるような気がしてくるのだ。


 だからこそマティルダはレヴィアースの望みに添いたいと思う。


「出来る限りのことはする。それは約束するよ」


「ありがとう、マティルダ」


 トリスの時とは違い、マティルダの頭は優しく撫でる。


 女の子相手の時はこうやって優しくしている方がいいと思ったのだ。


 ぱたぱたと揺れる尻尾が面白い。


「ちょっと触ってもいいか?」


「え?」


「尻尾。揺れまくって面白い」


「別に、面白くないと思うけど」


「じゃあブラッシングでもしてやるよ」


「え?」


「ほら、膝に来いよ」


「うん」


 ブラッシングをして貰いたい訳ではないのだが、膝に寝転がって甘えられるのは大歓迎なので、マティルダはうきうきした表情でレヴィアースの膝に寝転がった。


 尻尾がぶんぶん揺れている。


「ちょっと、大人しくならないか?」


 揺れすぎてブラッシングが出来ない。


 それだけ喜んで貰えているのは嬉しいのだが、ブラッシングが出来ないのは困る。


「自分の意志で動かしてる訳じゃないから無理」


「そうなのか?」


「自分の意志で動かせるけど、勝手に動く時がほとんどだし」


「へえ」


「嬉しいと揺れる」


「犬みたいだな」


「犬じゃないっ! 狼だっ!」


「そこはこだわるのか」


「こだわる。狼の方が格好いい」


「女の子なんだから可愛い方でいいと思うんだけどなぁ」


「可愛格好いい方がいい」


「なるほど。そりゃ無敵だ」


 無敵すぎて怖いぐらいだった。


 確かにマティルダには可愛いと格好いいが同居しているような部分がある。


 将来はいい女になるだろうという確信もある。


 大人になったマティルダに会えたら嬉しいが、そんな機会があるかどうかはまだ分からなかった。


 暴れる尻尾を何とか宥めて、ブラッシングを開始する。


 荒れていた毛並みは少しずつふさふさになる。


 見た目も素晴らしい毛皮……もとい尻尾になったところで、レヴィアースはその尻尾に触れた。


「へえ、もふもふしていて気持ちいいな」


「そうか?」


「うん。このままずっと触っていたくなるぐらいだ」


「ずっとは困るなぁ」


 尻尾を喜んでくれるのは嬉しいのだが、ずっと触られるのは困る。


 しかしマティルダの尻尾はそれほどまでに触り心地が良かった。


「こうなるとトリスの尻尾も気になるな」


「え?」


「トリスの尻尾はマティルダのそれより大きいだろう? だからもっともふもふしているのかなと思って」


「む~。私のじゃ物足りないってことか?」


「そういう訳じゃない。尻尾は全て良い。それぞれの良さがあるってだけだ」


「………………」


 言っていることは理解出来るのだが、なんだか浮気性の男の台詞みたいで微妙だった。


 マティルダがジト目でレヴィアースを睨んでいると、流石に気まずくなったのか、困ったように頭を掻いた。


「あ、あはは。まあ、せっかくだからトリスの部屋に行くか? ブラッシングついでに」


「ついでじゃなくてそれが目的だと思うけど」


「はっはっは。細かいことは気にするな」


 これから数年後に、レヴィアースが『もふもふ狂い』と言われるきっかけとなる出来事でもあったが、それは随分と先の話なので、今は置いておく。



「トリス。度々悪いな。今、大丈夫か?」


 ドア越しにトリスへと声を掛ける。


「レヴィアースさん? どうしたの?」


 トリスの声はだいぶ落ちついているようだ。


 少し前までの思い詰めた声とは違い、少しだけ明るさを取り戻している。


 彼なりに折り合いを付けられたのなら何よりだった。


 扉を開けたトリスはマティルダもいることに驚いた。


「マティルダ? どうしたんだ?」


「ん。ちょっとな。私も入って大丈夫か?」


「もちろんだよ」


 トリスがマティルダを拒絶する訳がない。


 二人とも部屋に招き入れた。


「さあ、ブラッシングの時間だ」


「へ?」


 ブラシを掲げてワクワクしているレヴィアースを見て、トリスがぎょっとする。


 一体何をするつもりなのだろうと首を傾げた。


「ちょっと膝に来い」


「え?」


 半ば強引に自分の膝へと寝転がらせるレヴィアース。


 マティルダはよくレヴィアースに甘えるので不自然ではないのだが、トリスの方は照れと戸惑いの方が大きく、少しだけ暴れる。


「落ち着け。ブラッシングするだけだから」


「ブ、ブラッシング!?」


「おう。折角立派な尻尾を持っているんだから、きちんと手入れしないとな。さっきマティルダのを済ませたところだ。次はトリスの番だと思って」


「ま、まさかその為だけにまた来たの!?」


「おう。悪いか?」


 堂々と胸を張るレヴィアース。


 悪いとは欠片ほども思っていないようだ。


 トリスなりに悩み、答えを出そうとして足掻いているところに、割としょうもない理由で再び訪れたのだ。


 怒りたくなるのも無理はなかった。


 しかし気持ちが沈んでいるトリスを元気づけようとしているのは分かってしまったので、これ以上は逆らえない。


 それがレヴィアースなりの優しさであり、気遣いなのだと理解しているからだ。


 トリスはされるがままに尻尾をブラッシングされていた。


「トリスの尻尾は大きくてブラッシングのし甲斐があるなぁ」


「そ、そうかな」


「おう。ふさふさで気持ちいいしな」


 ふさふさしてきた尻尾をそっと撫でるレヴィアース。


 その手つきは本当に気持ちよさそうだった。


「………………」


 もふもふ狂いとなる要素が徐々に目覚めているが、今の時点ではまだ気付かない。


 純粋に毛並みを褒めているだけだ。


 その様子をマティルダが楽しそうに眺めている。


「どうだ? トリス」


 トリスの正面に寝転がったマティルダが問いかけてくる。


「どうって?」


「ブラッシング」


「えっと……?」


 マティルダの意図が分からず首を傾げるトリス。


「私達はこうやって誰かに尻尾を褒められたことなんてないだろう?」


「それはそうだよ」


「だからちょっと新鮮じゃないか?」


 耳と尻尾は亜人の象徴であり、獣じみた特性として人間からは差別の対象とされていた。


 なまじ人間に似た姿をしているだけに、人間の劣等種だと思われているのだ。


 身体能力ならば人間よりも優れているし、亜人そのものの適応力の高さを考えると、むしろ優れている筈なのだが、それを認めたくないからこそ差別が行われたのだろう。


 レヴィアースはそう考えている。


 これが他の特徴を持った人外ならば、もう少し対応は違っただろうか。


 いや、それは無いだろう。


 たまたま獣の特徴を持っているから、それを貶しているだけであり、それが他の特徴だったとしても、やはり同等に扱ったりはしないだろう。


 人間は臆病な生き物だ。


 人間以外の知的生命体の存在を探していても、それが自分達よりも遙かに優れた存在では困るのだ。


 人間と対話が出来、なおかつ人間よりも劣った種でなければならない。


 少なくとも政治に携わる連中はそう考えているだろう。


 身勝手な意見だが、それは恐れているからでもある。


 なまじ対話が出来るからこそ、敵対した時が恐ろしい。


 人間よりも優れた種と敵対した場合、勝ち目は無くなり、自分達は駆逐されてしまうかもしれないからだ。


 人間が亜人に対してそうしたように、今度は自分達がそうなるかもしれない。


 彼らはそれを恐れている。


 だからこそ亜人という自分達よりも優れているかもしれない存在を差別し、劣っていると思い込み、排除しようとしたのだろう。


 排除そのものは九割方成功している。


 生き残りは各地に散らばっているだろうが、亜人という勢力そのものは消滅したと考えていいだろう。


 そしてその象徴である尻尾などは貶されることはあっても、褒められたことはない。


 今のレヴィアースはトリスの尻尾を心から褒めてくれている。


 お世辞や気休めなどではない。


 本当に気持ちよさそうに触っているのだ。


「……まあ、少しは新鮮かな」


「だよな」


 トリスが照れくさそうな表情で答える。


 そして戸惑いの理由が分かってしまう。


 未知の経験だからこそ、どうしたらいいのか分からなくなってしまうのだ。


「よし。ブラッシング終了。素晴らしい毛並みになったぞ、トリス」


「あ、ありがとう」


「ん。どういたしましてだ」


「もしかして、用件ってこれだけ?」


「いや、もう一つあるぞ」


「もう一つ?」


「ああ。このベッドは結構大きいよな」


「うん」


 クラウスが与えてくれた個室にあるベッドはかなり大きい。


 キングサイズと言えるほどに。


 大人二人が寝転がっても余裕だし、大人一人と子供二人でも余裕だ。


 つまり、三人で寝転がっても余裕がある。


「今日は三人で寝ようぜ」


「え?」


「賛成」


 トリスがきょとんとなり、マティルダが笑顔で頷く。


 元々、マティルダはそうなることを望んでここにやってきたのだ。


 明日になったら別れることになるレヴィアース。


 次はいつ会えるかも分からない。


 だからこそこの時間を無駄にはしたくなかった。


 一緒に居られる間は、ずっと傍に居たい。


 そう考えたからこそ、ハッキングによる電子ロック解除などという暴挙に出てまでレヴィアースの部屋に忍び込んでいたのだ。


「嫌か?」


 レヴィアースがトリスに問いかける。


 マティルダの答えは訊くまでもないが、トリスが嫌がるのなら少しは考慮しなければならない。


「い、嫌じゃないけど……」


 トリスもレヴィアースが居なくなるのは寂しいと思っている。


 人間に対する憎悪は消えていないが、それでもレヴィアースとクラウスだけは例外だと思っている。


 大好きだと言える人間達だ。


 だからこそ、別れは寂しい。


 出来る限り傍に居たいと願う。


「なら決まりだな」


 二人を両手に抱えてそのまま寝転がるレヴィアース。


 リモコン操作で部屋の明かりを暗くして、そのまま二人に腕枕をした。


「………………」


「………………」


 誰かの腕枕で眠るなど初めての経験なので、二人ともびっくりしてしまう。


 しかしマティルダはすぐに幸せそうな表情になり、その腕に身を委ねた。


 トリスの方もそんなマティルダを見て、同時に頭の下にある温かさに心地よさを感じて、そのまま身を委ねた。


 初めての経験だが、素晴らしい経験でもある。


 この時間がずっと続けばいいのにと願ってしまうほどに。


 一人の青年と二人の亜人は、穏やかな夜の眠りについた。

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