勇者の虚ろなる日常

 賢者と聖女の最期を見届けて、残るは勇者だけ。


 しかし、聖女と賢者が生き返らないようにする必要があるため。そして、勇者が大魔王を倒すまで殺しても死なないという以上、勇者の拷問は長期的なプランを組んでいかなければならない。

 それに、俺は彼女たちの死をこの目で見ただけで随分と疲れてしまった。


「後は頼んだよ」


 俺は勇者の処遇を、メイガスゴブリン・闇に任せて最深層にある自宅に帰った。



                   ◇



「お帰りなさい。マスターさん」


 家に帰ると、タキエルが出迎えてくれた。


「ただいま。なにかゲームでもする?」


「良いですね! ……いや、でも大丈夫ですか? ヨーロッパからこっちに帰ってきてすぐに色々あったみたいですし、疲れとか……」


「ヨーロッパ? なにそれ?」


「いや、ほんの四時間ほど前まではヨーロッパを観光してたじゃないですか! ねえマスターさん。本当に大丈夫ですか?」


 心配そうに俺の顔をのぞき込むタキエル。だけど世界一周旅行をしたのはずっと前の話で……話で……。

 いや、そう言えば今日までずっと世界旅行をしてたんだった。


 ……となると、この家に帰ってくるのも一ヶ月半ぶりで。


 なんというかこの数時間の間、俺にとっては随分と時が流れてしまったと感じるほどに長い時間だった。

 それこそ、時間の感覚を忘れてしまうほどに。


「……そうだな。今日はもう一人で休むわ」


「……そうですね。じゃあ、また明日来ます」


 タキエルが家から出て行くのを俺は眺めていた。タキエルが出た後も、ずっと玄関の扉を見続けていた。

 それで、いつの間にかオレンジ色の空は藍色に染まり治していて。


 俺はベッドに潜り込み、スクリーンを映し出した。



               ◇



「っ……」


「ギギギッ。痛覚の感度を三十倍にも上げたというのに、まだ叫び声を上げないか」


 醜く笑う黒いゴブリンがペンチで剥いで爪がなくなった私の手を取ってぐちゃりと握りつぶす。


「ぎゅっ……ぅ……」


 痛い。そのせいで、喉の奥から悲鳴が漏れた。


 それでも、この痛みは私の心の虚っぽを偽りでも満たしてくれる。


「あれ? どうして、私は心が空虚なのかしら? ……ねえ、そこの貴方。聖女と賢者知らない? 私の仲間なんだけど」


「ギギギッ。オマエの仲間はもう、この世にはいない」


「え、どういうこと?」


 私が聞くよりも早く、目の前の黒いゴブリンはグチャリと顔を歪めて笑って、指に光を翳す。


「ぁ………」


 その瞬間に、映像が私の頭を駆け巡った。


「あ”あぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」


 苦悩の梨でこれでもかと言うほどに性器を辱められ、痛めつけられ。車裂きならぬゴブリン裂きによって無惨な死に方をした賢者。

 魔法で無理矢理快感を感じさせられ、生きたまま食べられる恐怖と痛みに悶えながら人としての尊厳を奪われて殺された聖女。


 私の仲間。愛する恋人――私は守れなかった……。


 哀しみと怒りと悔しさと。そんな言葉じゃ表しきれないほどの感情が心の奥底から溢れ出てくる。


「うるさい」


「ぁ……ぁ……」


 感情を吐き出すように、悲鳴のような慟哭をあげていたらゴブリンに針で喉を潰されてしまった。

 かひっ、あひゅーと変な息が漏れる。


 ゴブリンが私の喉から針を抜き、下手くそだけど回復魔法で喉を治してくれる。


 ……そう言えば、どうして私はあんなにも叫んでいたんだろう。

 なにも思い出せない。そもそもどうして私はこうして繋がれているのだろうか?


 そんな事を考えていたら、いつの間にかゴブリンが私の手を取って爪の剥がれたところに鉄製の指当てをパッチンとつけた。


「っ……」


 痛い。爪が剥がれた指に指当ての中にある針というか円錐状の突起みたいのが食い込んでしまっているからだろう。

 叫んでしまいたいほど痛い。


 パチン。パチン。


 次々に爪が剥がれた指に、指当てをつけられていく。


 軽く意識が飛んでしまいそうな激痛だけど、この痛みは私の空虚になってしまった心を偽りでも満たしてくれた。

 ……あれ、どうして私の心はこんなにも空虚なんだろう。


 そんな疑問をもって、私はなにか大切なものを忘れていることに気が付いた。私は目の前にいる黒いゴブリンに訊ねてみる。


「あの……聖女と賢者は知りませんか? 私の大切な仲間なんですけど……」



                ◇



 コンコン。


「マスターさん。いますかー?」


 玄関のドアがノックされ、タキエルの声が聞こえた。

 しかし、俺の身体はドッと疲れていてタキエルとベッドから起き上がる気もしない。俺は何となく勇者の様子をスクリーンで眺める。



                ◇



 拘束されて、もう何日の日々が経ったのか。


 一ヶ月か二ヶ月か。果ては一年か、案外一時間しか経っていないのか。

 流石に一時間はあり得ない。少なくとも相当時が流れているのは確かだ。

 私は今、食事をしていた。


 特に美味しくも不味くもない。なんなら味もわからない半液体状の食べ物を、ゴブリンにあーんして食べさせられている。


 そして気が付いたらいつの間にか食事が終わっていて、ゴブリンに今度は足の爪を剥がされていく。

 スゴく痛い。

 痛くて涙が溢れてくる。


 だけど、この痛みも涙も私の虚ろな心を満たしてくれるのだ。


 そう言えば、どうして私の心はこんなにも虚ろなのだろうか?


「あの、すみません。ゴブリンさん。私、なにか大切なことを忘れている気がするんです」


 ギギギッ。それはね。


 ゴブリンが笑う。思い出されたのは当然のように、あの日の地獄絵図だった。

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