婚前の儀式の終了と傷のある宝石

「ロベリオ様、そろそろお時間ですので起きてください」

 ノックの音がして、執事が入ってくる。

 横になって仮眠をとっていたロベリオは、その声に寝ぼけながらも返事をして大きな欠伸と共に起き上がって伸びをした。

「ふああ、もうそんな時間なのか。はあ、分かっちゃいるけどもう勘弁して欲しいよ」

「今からが本番なんですよ。そんな情けない事を事仰らないでください」

 子供の頃からロベリオの世話をしてくれていて、彼が竜騎士になった後も一緒に本部まで来て彼の担当従卒であるエンバードとともに何くれと世話を焼いてくれている年配の執事が、苦笑いしてロベリオの軽口を嗜める。

「もちろん分かってるよ。今だけだから、これくらい言わせてくれ〜」

 顔を覆って態とらしくそう叫んだロベリオは、大きなため息を吐いて立ち上がった。

「水をご用意しましたので、顔を洗ってください」

「おう、部屋から出られないってのも、不自由なものだな」

 用意されていた桶の水を見てため息を吐いたロベリオは、大人しく顔を洗い髪を整えた。

「では、ご準備をお願いします」

 執事の言葉に、手早く着ていた休息用の部屋着を脱ぐ。



 綺麗に筋肉のついた見事な身体に、一筋だけ傷跡が残っている。

 左足太腿にかすかに残るその傷は、竜騎士見習い中の馴れない戦闘訓練で怪我をした時のものだ。

 それは行軍訓練と呼ばれる、野外での訓練の時の事だ。

 相当な重さのある装備一式を担いで、指定された山岳地帯や沼地などの足場の悪い場所を決められた時間内に走破すると言うものだ。

 当然他の兵士達との合同訓練だが、その中に彼の事を嫌っていた貴族の士官候補生がいた。

 その人物は配下の兵士達に密かに命令して、わざとロベリオが通る先の茂みの中に何箇所も折れた剣を隠していたのだ。

 行軍中は、基本的に精霊の助けを受けてはならないとされているので、当然ロベリオもシルフ達に何か問題に気が付いても何もするなと命令していた。

 そして、何も知らずにその茂みに足を踏み入れてしまったロベリオは、当然その破片で怪我を負ってしまう。

 しかし、彼は冷静にその場で応急処置を自分で施し、止血した事を確認してそのまま走り続けたのだ。

 当然助けを呼んで失格になるだろうと思ってゆっくり進んでいたその人物は、知らない間にロベリオに追い越されてしまい、しかも終了時間を勘違いしていて、結局時間切れで失格になってしまったのだ。



 時間ギリギリに指定された天幕に駆け込んだロベリオを見て、担当士官は絶句することになった。

 左足は血まみれで、巻いていた即席の毛布の包帯の下からもまだ出血が見られ、即座に控えていた衛生兵達によって処置が施され、結局そのまま白の塔へ搬送される事になったのだった。

 しかもその傷が通常よくある擦過傷ではなく、明らかに刃物の痕だったことから問題になった。

 当然事故現場は確認されたが、既に撤去された後で何も見つからなかった。

 しかし後日、一部の兵士達が命令されて罠を用意した事を上官に白状した為に事件が発覚して、問題の人物は降格処分となり不名誉除隊となったのだった。

 怪我自体はごく浅い傷だったのだが、すぐに適切な処置が受けられなかったこともあり、化膿した傷はしばらくの間酷い痛みを伴いロベリオを苦しめ、後々まで傷跡が残る結果となってしまったのだ。



 執事はいつも着替えの時に彼の傷を見る度に心配そうに顔をしかめる。

 今も目に入ったその傷跡を見て困ったように目を逸らす彼を見て、ロベリオは苦笑いして彼の腕を叩いた。

「もう痛みも無いし大丈夫なんだからさ。そんな顔しないでくれよ」

「は、申し訳ございません」

「いいじゃん、傷跡の一つくらいあったってさ。傷がある方が輝きが増す宝石だってあるんだぜ」

 手早く着替えながらなんでも無い事のようにそう言って笑う立派になった彼を、執事は愛しげな眼差しで見つめていたのだった。



「お疲れ様でした、では控え室へご案内いたします」

 迎えに来た神官と共に部屋を出る。

 廊下へ出たこの瞬間に、新郎の婚前の儀式は全て終了となる。




「おお、立派な花婿殿のお出ましだぞ!」

 竜騎士隊の第一級礼装に着替えたロベリオが執事に伴われて廊下に出ると、アルス皇子をはじめとした竜騎士隊全員が勢揃いして彼を待ち構えていた。

 当然、レイとティミーも目を輝かせてロベリオを見つめている。

「おお、皆様お忙しい中を小生の為にお集まりいただき、恐悦至極に存じ上げます〜!」

 まるで見本のような優雅な仕草でそう言って深々と頭を下げたロベリオは、しかし顔を上げるなりユージンと顔を見合わせて同時に吹き出した。

 そしてそのまま廊下で全員揃って大笑いになったのだった。



「全く、こんな時くらい格好良く決めて見せろってのに」

 笑ったルークに頭を突かれて、誤魔化すように笑ったロベリオは大きなため息を吐いてルークに縋りついた。

「もうさ、カウリも言ってたけどとにかくこの婚前の儀式ってのが本当に大変なんだぞ。ちょっとくらいふざけさせてくれって」

「だろうな。ま、俺には関係ないけどさ」

「この気楽な独身主義者め。そのうち本気で大事な人が出来た時に、絶対笑ってやるからなあ」

「あはは、そりゃあ大変だ」

 全く本気にしていないルークの笑いに、ロベリオは苦笑いしつつも密かに彼の幸せを願っていた。

「まあ、こればかりは精霊王の采配だろうからなあ。せめて良きお相手に巡り会えますようにって祈っといてやるよ」

 小さくそう呟いたロベリオは、皆と一緒に新郎のための控え室へ向かったのだった。



『いよいよだね』

『いよいよだね』

『楽しみだね』

『そうだね』

 廊下の窓枠に並んで座ったそれぞれの竜の使いのシルフ達は、楽しそうに笑い合っている愛しい主達を嬉しそうに見つめていたのだった。

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