引き続き読書の時間

「ああ、もう何やってるんだよ。オスプ少年が殺されちゃうよ」

 そう呟いたレイは、抱えていた本を持ち直して必死になって先を読み進めた。



『こっちに来るな!』

 ゴブリンに遊び半分に追いかけられ、必死で叫んで逃げながらまた転ぶ。地面に手をついて振り返ったオスプ少年は、今度こそ本気で棒を振りかぶって自分に向かって襲いかかるゴブリンを正面から見る事になった。

 悲鳴とともに何かが切れる音がする。

 次の瞬間、ゴブリンの影が真っ二つになる。

 オスプ少年が無意識に放ったカマイタチによって、襲いかかってきたゴブリンはあっさりと倒されたのだ。

 しかし、それを見届ける事なく悲鳴を上げたオスプ少年は安全な茂みに転がるようにして逃げ込む。

 ガタガタと震えてうずくまっていたが、当然誰も助けに来ないし誰もこれ以上襲ってこない。

 しばらくして恐る恐る茂みから這い出してきたオスプ少年は、跡形もなく消え失せたゴブリンが握っていた棒だけが転がる地面を見て無言になり、それから戸惑うように自分の両手を見つめた。

『……僕がやっつけた?』



「そうだよ、君がやっつけたんだから自信を持って!」

 レイが本を抱えてそう呟く。



 まるでレイの呟きが聞こえたかのように頷いたオスプ少年は、何度か深呼吸をしてから顔を上げるといきなり遠くの木に向かってカマイタチを放った。

 一瞬で切り落とされた太い枝を見て、オスプ少年はその場にへたり込んだ。

『そうか。こうやって戦えば良いのか……』

 その呟きの直後、小枝を踏む音に慌てて振り返る。

 現れた二匹目のゴブリンに気付き、慌てて立ち上がって転がるように茂みの中に逃げ込みながら、背後に向かって必死でカマイタチを放った。

 そのカマイタチの直撃によって、声も上げずに瞬時に切り裂かれて黒い霧になるゴブリン。

『やった!』

 茂みの中からそれを見て、今度は安堵のあまりそう呟く。

 倒したゴブリンが振り上げていた短剣が、地面に転がるのを見て無言になる。

『そうか。誰かから奪って持っていたものは消滅しないんだ。それなら僕が拾ってもいいよね』

 そう呟いて茂みから這い出てきたオスプ少年は、落ちていた短剣を手にする。

 しかし、手入れが全くされていない、傷だらけの刃を見て顔をしかめた。

『武器の手入れもしないなんて、あいつら馬鹿なのかな?』

 そう呟き、以前セーブルから貰った小さな砥石をポケットから取り出したオスプ少年は、茂みの中へ戻って座り込むと、一生懸命傷だらけの短剣を研ぎ始めた。

 かなりの時間をかけてなんとか切れるくらいまで研いだ後は、その短剣を持ってカマイタチを放ち、素手で放つよりもわずかだが威力が上がっている事を確認して初めて笑顔になった。

『よし、これならなんとかなりそうだ』

 その後も次々に襲ってくるゴブリン達と、茂みを安全地帯にして逃げ込みつつ彼は必死になって戦い続けた。

 ようやくゴブリン達がいなくなると、彼は周囲を見回していくつか落ちていた物を拾い集める。

 使い物になったのは、少し刃こぼれのしたもう一本の短剣と汚れた水筒、それから干し肉の入った袋などだった。

『セーブルがいなくても、これなら旅を続けられそうだ』

 ゴブリンを倒して少しだけでも自信をつけ、ゴブリンから奪った荷物に入っていた干し肉を食べ終えたオスプ少年は、そう呟くと茂みから這い出して歩き始めた。



 それは恐らく彼の人生で初めて、自分の意思で前に進み始めた瞬間だった。



 そんな彼を見て、セーブルは満足気に頷き、彼の元にシルフを飛ばして密かに周囲を警戒して守らせつつ、また距離を取って後を追いかけ始めた。




「そうか。セーブルは彼に自分一人で戦う方法を覚えさせようとしたんだね!」

 本から顔を上げたレイが、すぐ近くで一緒になって本を覗き込んでいたブルーのシルフに話しかける。

『まあ、この場ではそうだな。だって、それはそうであろうが。何とかしてオスプ少年にも旅を始めてもらわねば、あのままではいつまで経っても話が進まんぞ』

 笑ったブルーの言葉に、レイも小さく吹き出して頷く。

「確かにそうだよね。怖いのは分かるけど、もうちょっと頑張ろうよ。君だって精霊使いなのにさ」

 まるで目の前にオスプ少年がいるかのように、レイは笑って本に向かって話しかけて次のページをめくる。



 とにかく、今いる森を抜ける事を当面の目標にしたオスプ少年は、時折現れる闇の眷属を倒し、見つけた小さなウサギを一羽捕まえて確保して、それを腰のベルトに苦労してぶら下げてそのまま歩き続けた。

 オスプ少年は獲物を捌く方法こそセーブルから教わっていたが、いつも彼が手伝ってくれていたので自分一人でやった事は無い。なので、怖くて一人では捌けなかったのだ。

 だが干し肉はもうごくわずかしか残っていない。

 小さな小川に突き当たった彼は、覚悟を決めてそこでウサギを捌き始めた。

 慣れない手つきでかなりの時間をかけて、何とか肉を確保したのはいいもののまたしても困ってしまう。彼は料理なんてした事も無かったからだ。

 途方に暮れた彼は、石の上に並べたウサギの肉に向かって口を開く。

『ねえサラマンダー、この肉を焼いて僕でも食べられるようにする事って出来る?』

 すると、数匹のサラマンダー達が現れ、揃って頷くと肉に息を吹きかけ始めた。

 あっという間に焼けていくウサギの肉。

 安堵のため息を吐き、背負っていた袋から岩塩の塊の入った巾着を取り出したオスプ少年は、肉の上でナイフを使って岩塩を削る。それから指先でつまんで一切れ口に入れた。数回咀嚼して目を見開いた彼は、そのあとはもう貪るようにしてものすごい勢いで焼いた肉を食べ始めた。

 しかし小さなウサギからとれた肉の量なんてたかがしれている。あっという間に食べ尽くしたオスプ少年は、突然その場で泣き始めた。

『美味しい、美味しいよ……』

 何度もそう呟き、その場に座り込んだままオスプ少年は日が暮れるまで泣き続けていたのだった。



「そっか、初めて自分で肉を確保して食べた。美味しくて、自分が生きてるって事をオスプ少年は実感出来たんだね」

 そう呟いて顔を上げたレイの瞳が少し潤んでいる。

 そのまま次のページをめくろうとした時、咳払いの音がすぐ近くで聞こえて、レイは文字通り飛び上がった。

 そこにいたのは、笑いを堪えて自分を見つめているラスティと、薬箱を持ったハン先生の二人だったのだ。

「ええ、いつからそこにいらっしゃったんですか!」

 慌てて本を閉じたレイを見て二人が同時に吹き出し、レイも遅れて笑い出した。

「いえ、何度か声を掛けたんですがねえ。読書に夢中で全く聞こえていない様子だったので、どうしようか困っていたんですよ。気がついてくださって良かったです」

 笑いながらハン先生にそう言われて、慌てて謝るレイだった。

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