朝のひととき

「ああ、もうこんな時間なんだね。えっと、遅くまでごめんね。付き合ってくれてありがとう」

 東の空が白み始めたのに不意に気づき、慌てたようにレイが謝る。

 結局あの後もずっと、ニコスはレイの夜更かしに付き合ってくれたのだ。

 レイは、空に見える星の話だけでなく、訓練所で知り合った貴族の友人達との話や、マークとキムの合成魔法の話など、思いつくままに取り留めの無い話を好きなだけしたし、ニコスからは、執事達が普段行っている裏方での仕事の事や、女神の神殿の巫女達の日常のお勤めの大変さについても詳しい話を教えてもらったのだ。



『全然構わないよ』

『そんな事気にしないでいい』

『いつだって遠慮せずに呼んでくれていいんだからな』

『俺はいつでもレイの声が聞きたいよ』

 笑って何でもない事のようにそう言ってくれるニコスの優しさに、レイの目には先ほどとは違う暖かな涙があふれた。

「うん、ありがとうニコス。大好きだよ。えっと、じゃあ僕も、何にも出来ないけど愚痴くらいならいくらでも聞くからね。話がしたくなったらいつでも呼んでね」

 照れたように笑ったレイの言葉に、ニコスは一瞬呆気に取られたように絶句して、それから嬉しそうに笑って頷いた。

『そうだな』

『じゃあ俺も遠慮せずに呼ぶよ』

「うん、本当にありがとうね。それじゃあおやすみなさい」

『ああおやすみ』

『貴方に蒼竜様の守りがありますように』

「ニコスにも、ブルーの守りがありますように」

 笑って手を振る伝言のシルフ達にレイも手を振り返し、次々にくるりと回って消えていく彼女達を見送った。

「ブルーも、皆も付き合ってくれてありがとうね。それじゃあもう休むね、おやすみ」

 周りにいたシルフ達にそう言うと、向きを変えて部屋に飛び降り綿兎のスリッパを履いてから窓を閉めてカーテンを引いた。

 振り返ってベッドへ戻ろうとしたところで、小さく身震いをして大きなくしゃみをした。それから両腕を抱えるみたいにして何度もさする。

「ううん、ちょっと体が冷えたみたいだ」

 今更ながら、初夏とはいえ夜明け前の一番気温が下がる時間に薄い寝巻きだけで長い時間窓に座っていた事に気付き、密かに慌てるレイだった。



 大急ぎでベッドに潜り込んで夏用の薄毛布を肩まで被り込んで包まる。

 それでもまだ小さく体が震えているのに気付いて、ため息を吐いたレイは指輪に向かって話しかけた。

「えっと、火蜥蜴さん、出てきてくれるかな。ちょっと体が冷えたみたいなの。温めてもらえますか」

 するりと出て来たレイの火の守り役の火蜥蜴は、小さく口を開けてうんうんと頷くと、そのままレイの胸元にするりと潜り込んでいった。

 すぐに胸元がほんのりと暖かくなり、自分でも気が付かないくらいに冷え切っていた足先や指先までがポカポカになる。

 それは本当にあっという間だった。

「すごいや、もう寒くなくなったよ。ありがとうね」

 笑ってそう呟き胸元をそっと撫でると、今度こそ安心して枕に抱きついたレイは小さな深呼吸を一つしてから目を閉じた。

 集まってきたシルフ達がふわふわな赤毛にもぐり込み始め、こめかみの三つ編みを始める。

 また別の何人かのシルフ達は、ブルーのシルフと一緒にそっと肩を押してレイを仰向けにさせると、まだ少し赤みがかって腫れている瞼に慰めるように次々にキスを贈った。

 そして、呼びもしないのに集まってきたウィンディーネ達は、その腫れた瞼に手を当てて、せっせと冷やし始めた。

 すっかり明るくなった部屋に、レイの小さな規則正しい寝息だけが聞こえていたのだった。




 いつもの時間に、白服を手にして部屋の前に立ったラスティは、しかしその扉を開けるのを躊躇して小さくため息を吐いた。

 見回りの兵士達から、昨夜のレイが、また一晩中窓辺に座って空を見ていたとの報告を受けている。

 しかも声は聞こえなかったが、最初の頃の様子がおかしかったとも聞いている。明らかに、泣いていたと。

 そして泣き止んだ後は、ずっと誰かと話をしていたようだとも聞いている。恐らく蒼の森のご家族か、ラピスと夜会での出来事についての話をしていたのだろう。

 そのまま夜が明けるまで、一晩中寝巻きのままで窓辺に座っていたらしい。



 ラスティは、ルークからだけでなく、あの会場にいた知り合いの執事達から裏の事情や出来事も含めて複数の報告を受けている。

 恐らくほとんど眠れていないであろう彼を、いつものように起こして良いかの判断がつかなかったのだ。

 今日は日中は事務所で事務仕事や資料整理を手伝ってもらい、また夜には夜会に参加予定が入っている。しかし、あの騒ぎの直後に夜会に参加させるかどうかは微妙だ。これは、ルークが参加してもいいかどうかを決めてくれるので、ラスティは今のところは予定通りで準備をしている。

 もう一度小さくため息を吐いたラスティは、意を決したように深呼吸を一つしてから背筋を伸ばして扉をノックした。

「おはようございます。朝練に参加なさるのなら、そろそろ起きてください」

 出来るだけ、いつものようにそう言いながら部屋に入ったところで、彼の目に入ったのは、開いたカーテンと開け放たれた窓から吹き込む初夏の風。そして、いつものように誰もいない寝乱れたベッドだった。

 それを見て、今度は安堵のため息を吐いたラスティだった。

 何しろ、洗面所からは賑やかな水音と共に、笑いながらシルフ達に文句を言うレイの元気な笑い声が聞こえていたのだから。



「おはようございますレイルズ様。もしかして、また寝癖ですか?」

 白服をベッドに置き、今度はいつものようにそう言って笑いながら洗面所の様子を見に行く。

「ああ、おはようラスティ。ねえ、ちょっと後ろ側を見てください。もう大変な事になっちゃってるんだよ」

 笑いながら顔を出したレイの、その見事なまでの絡まり合った鳥の巣のような寝癖を見て、咄嗟に堪えきれずに吹き出して洗面所の壁に縋るようにして膝から崩れ落ちたラスティだった。

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