この後の予定と二頭の竜

「ああ、大変だ。もうこんな時間! 帰らないと」

 午後の六点鐘の鐘の音が僅かに聞こえて、夢中になって本を読んでいたティミーが慌てたように顔を上げた。

 北側に面した書斎の窓は、通常の部屋と違って外を見るようには作られていない。

 足元や本棚の隙間部分などに見えないように作られていて、その目的は風を通す事だけだ。

 その為、他の部屋と違って外の景色を見る事が出来ないので、書斎にいると時間の感覚を失いがちだ。



「ええ、もうそんな時間なの。もっと話したいのに」

 もちろん本を読む事が第一の目的で集まった会なのだが、せっかくここまで来てくれたのに、もう帰ってしまうなんて残念だ。

 隣で、同じくしょんぼりとしているティミーを見て顔を見合わせて頷き合った。

 しかし、ルークとロベリオ、そしてユージンの三人は、そんな彼らを見てにんまりと笑った。

「そう言うだろうと思ってね。実はここへ来る前に、ティミーのお母上にお会いして来たんだ」

 ルークの言葉にレイとティミーが目を見開く。

「それで、外泊許可を貰ってきたよ」

 呆然とする彼らに、もう一度ルークがにんまりと笑う。

「聞くと、一人っ子のティミー君は、夜遊びの一つもした事が無いそうじゃないか」

「なので人生の先輩として、俺達が悪い遊びを教えてやろうと思ってね」

 ルークの言葉に続き、ロベリオまでが妙に悪そうな顔で嬉しそうにそう言って笑う。



 夜遊びと聞いて目を輝かせるレイとは対照的に、慌てたように首を振るティミー。



「ルーク様、ロベリオ様まで、いきなり何を仰るんですか! よ、夜遊びだなんて、そんなの絶対駄目ですって!」

 必死になってそう叫ぶその顔は耳まで真っ赤になっている。

 何故ティミーが赤くなって慌てるのか意味が分からずに呆気に取られるレイと、同時に吹き出すルークとロベリオ。

「もう、二人とも純真な子供で遊ぶんじゃないよ」

 ユージンが呆れたようにそう言って、二人の頭を軽く叩く。

「痛い!何するんだよ!」

 また喧嘩を始めそうな二人を、笑ったルークが両手で二人の頭を押さえつけて止める。

「いや、それよりもちょっと待て。今の言葉は、二人には全く違った意味に聞こえたみたいだぞ」

 呆然と自分達を見るレイとティミーの表情の違いに、横で見ていたタドラが笑い出した。

「こ、これは驚きの展開だね。いやあ、レイルズがこれから先、ティミーに教えてもらう事はどうやら予想以上に多そうだね」

 さっぱり意味が分からず首を傾げるレイを見て、今度はティミーが吹き出す。

「ロベリオ様! ルーク様も酷い! 僕をからかいましたね!」

「いやあ、悪い悪い。だけど、この展開は俺達も予想外だよ」

 全く悪いと思っていなさそうなルークの謝罪に、レイが更に首を傾げる。

「ねえブルー、今のってどういう意味?」

 目の前に座るブルーのシルフに小さな声で尋ねる。しかし、その声は当然その場にいる全員に聞こえている。

『なんでも我に聞くでない。経験豊富な先輩方が大勢目の前におるのだから、聞くならそっちだろうが』

 これまた完全に面白がっている様子のブルーのシルフの横では、ニコスのシルフ達までが揃って笑っている。

「えっと……」

「まあ、この話はまた今度じっくり教えてやるよ。まずは今日のところは、健全な方の夜遊びだよ」

 わざわざ健全な、と前置きを言われて、レイにもやっと意味が分かって真っ赤になる。それを見てまた皆が笑い、書斎はしばし笑い声が止まらなかったのだった。






「それじゃあ日が暮れる前に、ターコイズに挨拶しておいで。今夜はターコイズもラピスと一緒に湖にいてくれるから、明日も会えるぞ」

 目を輝かせるティミーに頷き、立ち上がったルークに続いて全員が庭に出て行った。



「ゲイル、今夜はここに泊まって良いんだって。僕、親戚の屋敷以外で外泊するのって初めてなんだよ」

 庭に駆け出して行ったティミーは、またターコイズの胸元に潜り込んで嬉しそうに今夜の外泊を報告していた。

「うむ、きっと楽しいだろうな。我は今夜はラピスとゆっくりと語らう事にしよう」

「そうだね。ラピスと仲良くね」

「ああ、彼とは長い付き合いだからな、久し振りに共にあれて我は嬉しいよ」

 目を瞬くティミーに、ターコイズは笑って大きく喉を鳴らした。




 実は、ブルーとターコイズはとても仲が良い。

 ブルーとターコイズの付き合いは、ブルーが初めての主を得た三百年前にまで遡る。

 その頃ターコイズも城にいて、ブルーよりも少し前に彼も主を得ていたのだ。

 しかもその主は二十代の貴族の兵士で、ロディナ出身の大の酒好きだった。

 そのため、彼は故郷のロディナから定期的に大量の干し肉を送ってもらい、毎晩のようにそれを摘みに酒を楽しんでいた。

 それだけでなく、携帯性も高いその干し肉を日常的に持ち歩き、普段の食事の時などにも齧っていたのだ。

 その彼は、当時、竜騎士となった者はほぼ短命だと言われる中、年齢的な限界を感じて引退した後も、後進の指導に当たり、最後は多くの孫達に囲まれてベッドの上で天寿を全うしたのだった。

 今となっては、それは干し肉を作る際に大量に使われていたカナエ草の成分のおかげだと分かるが、その当時は何故彼だけが長生き出来たのかが分からず、彼は精霊の生まれ変わりだとか、実は竜人の血を引いているのだとか、陰では色々と言われたりもしていたのだ。

 初めての主をわずかのうちに失ったブルーと、主が長生きしてくれたおかげでその生涯を見届ける事が出来たターコイズ。

 同じ時期に主を得たにもかかわらず、二人の未来は悲しいくらいに分かれてしまった。



 ターコイズは、主を失い出奔したブルーの事をずっと心配していた。

 例え呼びかけに応じなくとも、ずっとシルフ達を通じて呼びかけていたのだ。

 ここにいる。我は貴方を忘れていないぞ、と。

 しかし、全てに興味を失い心を閉ざして蒼の森で眠っていたブルーがその呼びかけに応じる事は無く、ターコイズが後に得た主を国境での戦いで亡くし、自らも重傷を負い呼びかける事が出来なくなった時も、とうとう諦めたか、としか思わなかったのだ。

 お互いに言葉が足りず行き違った時間を悔いている。

 なので、他の竜達がいない場所でゆっくりと直接語らえるのは、双方にとって嬉しい時間となったのだった。

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