ティミーのさまざまな準備

「では母上、行って参ります」

 お城にある、ヴィッセラート家の部屋まで迎えに来てくれたロベリオの隣で、ティミーは自分を見つめる母に笑顔でそう言った。

「竜騎士隊の本部へ行けば、貴方は竜の主として扱われるのですからね。ロベリオ様や皆様の言うことをよく聞いて、しっかりするのですよ」

 今日は、採寸の為に行くだけなのですぐに戻ってくる。しかしそれでも彼女の心配は消えない。

「はい、もちろんです」

 内心の心配を隠したやや厳しい口調の母の言葉に、ティミーは背筋を伸ばしてはっきりと元気よく返事をした。



 今でもやや感情的な部分はあるし厳しい事には違いないが、父上が生きておられた頃のようにすっかり笑顔が戻った母上がしゃがんでティミーの頬に優しいキスをくれる。

 笑ったティミーも母上の頬にキスを返すと、母はためらう事なく腕を伸ばして小柄なティミーをしっかりと抱きしめてくれた。

「……マーカス、ティミーをよろしくね」

「はい、かしこまりました、お任せください」

 ティミーの後ろに控えて立つ、執事のマーカスに向かって顔を上げたヴィッセラート伯爵夫人がそう言うと、執事のマーカスは、深々と一礼してそう応えた。

 それから、ティミーはロベリオの後についてマーカスと一緒に歩いて竜騎士隊の本部へ向かった。



 今はまだ、ティミーは騎士見習いの服では無く、貴族の子息が普段着るようなやや細身の綺麗な服を着ているし、腰に剣を装着してもいない。

 亡くなったティミーの父上は、数ある部署の中の一つである土木課に所属していて、時には管理する現場に立つ事もあったがあくまでも騎士の叙任を受けた訳ではなく城の文官の一人であったし、ティミー自身も経済学を学んでいるので、いずれは城の文官として務めるつもりだったのだ。なので貴族の子息としての嗜みの一つとして一通りの武術は学んでいるが、体が小さい事もあって決して得意と言う訳ではないし、普段は剣を装着することも無い。

 前を歩くロベリオが装着している立派な拵えの竜騎士の剣を見て、ティミーは小さく震えた。

「本部へ言ったら、僕も日常的に剣を持つ事になるんだよね。大丈夫かなあ」

 ごく小さな声で不安気にそう呟くティミーを、マーカスは心配そうに見た。

「ティミー様、不安に思われるのは当然でございます。ですが、きっと楽しい事もたくさんございますよ。どうぞ私にそれを教えてくださいませ」

 優しいその言葉にまだ不安そうにしながらも、顔を上げたティミーは笑顔で振り返った。

「うん。マーカスが本部へ一緒に来てくれるって聞いて嬉しいです。これからもよろしくね」

「はい、もちろんでございます。こちらこそどうぞよろしくお願い致します」

 笑顔でそう言うと、振り返って自分達を見ているロベリオに一礼する。おそらく今の話は聞こえていたのだろう。

「不安になるのは当然だよ。大丈夫だよ、俺だって正直言って武術は苦手だったんだ。でも頑張って鍛えて、まあこれくらいにはなったからさ」

 苦笑いしつつも胸を張るロベリオを見て、ティミーは驚いて目を見開く。

「ええ、そうなんですか?」

 ティミーにとっては、ロベリオやユージンは強くて立派な竜騎士様で、何度も実戦を経験しておられる憧れの人だったのだ。

「実を言うと事務仕事は今でも決して得意って訳じゃあ無いなあ。正直言って、そっちは絶対ティミーの方が役に立ってくれそうだよ」

「ええ、そんな事ないですって。でも僕でもお役に立てる事が何か少しでもあれば嬉しいです」

 目を輝かせるティミーに、ロベリオも笑顔になる。

「レイルズやカウリの時と違って、行儀作法などの座学は多分すぐに終わると思うな。まずは精霊魔法に関する勉強と、体を鍛えるところからだね。だけどまだティミーは成長期だから、ヴィゴとも相談していたんだけど、無理に鍛えるっていうよりは、まずは基礎体力をつけるところからだね。当分は地味な訓練が中心になるから面白くないだろうけど、俺も一緒にやるから頑張ろうね」

 笑顔でそう言ってくれたロベリオに、ティミーは嬉しそうに何度も頷くのだった。




 竜騎士隊の本部へと続く渡り廊下の扉の前で止まる。

 警備兵に身分証を見せたマーカスに頷き、担当の兵士が扉を開いて敬礼してくれる。

「ありがとう。ご苦労様です」

 ティミーは小さな声でそう言って、直立する兵士の横を通り過ぎた。



 いつも父上が仰っていた。

 立っているだけに見えるかもしれないけれども、警備や護衛の兵士達を決して軽く扱ってはならない。

 何かあった時に真っ先に動いてくれる彼らが常に守ってくれているから、彼ら一人一人がしっかりと己の役目を務めてくれているからこそ、武器を持たない自分達であっても、国内の何処でも労せず安全に仕事が出来るのだと。

 なので、ティミーは絶対に直接彼らと接する事があれば、必ずお礼を言うようにしている。

 奇しくもレイルズが警備の人達に声を掛けて皆から好かれているように、ティミーのこの心掛けもまた、一般の兵士達の間で密かな話題となり、結果として彼の評判を高める結果となっていくのだった。



 お礼を言われて驚きつつも嬉しそうに目を輝かせる兵士を見て、執事のマーカスは満足そうに小さく頷くのだった。

 マーカスは、ティミーが生まれた時から一番側で彼の身の回りの世話をしている専任の執事だ。

 ティミーは、時に厳しい事も言うが優しいマーカスの事をとても頼りにしている。

 今回、ティミーが竜の主となり、あまりにも早く独り立ちすることが決まった際、マーカスは彼の専任執事として竜騎士隊の本部へ行きたいとヴィッセラート伯爵夫人に自分から申し出たのだ。

 夫人はたいそう喜んでくれて、即座にその人選は決定された。

 まだ一人前と呼ぶには幼い十三歳と言う年齢で身体も小さいが、ティミーは人の気持ちを慮り、己を律することが出来る。

 そして非常に勤勉であり知的好奇心が強い。実際に間近で見ていて分かる。彼はとても優秀で魅力的な人物だ。

 マーカスは、自分の生涯をかけて彼の側に仕えることをすでに決意している。

「己の生涯をかけてお仕えしたいと思える方に出会えるというのは、きっと幸せな事なのでしょうね」

 竜騎士隊の本部へと向かう長い渡り廊下を歩きながら、緊張のあまり何度も唾を飲み込んでは大きな呼吸を繰り返すティミーの背中を見ながら、マーカスは密かに小さくそう呟くのだった。

 そんな彼らにはターコイズの使いのシルフがずっとついて来ていて、何度もティミーの頬にキスを贈っていたのだった。

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