夜会での密やかな戦い
大きな拍手の中、ハンマーダルシマーの演奏が終わり、揃って一礼して下がるルーク達を見送った。
「本当に見事な演奏でしたわ」
「本当に素晴らしかったですわね。ですが、だからといってちょっと演奏してみたくても、ヴィオラやフルートのようなわけには参りませんものねえ」
「確かにそうですわね。私の夫など、ルーク様の演奏を初めて聴いた直後にハンマーダルシマーを無理して手に入れたのに、ケースから出したのはただの一度きりでしたもの」
「まあまあ、それはそれは。ですがそのような話はよく聞きますわねえ」
「本当に。困ったものですこと」
呆れたように夫の所業を笑い合う近くのご婦人方の会話が聞こえてきて、ミレー夫人とイプリー夫人も一緒になって苦笑いしている。
以前にも、どこかでそんな話を聞いた事があるのも思い出した。
「確かにハンマーダルシマーは正しい音を出すだけでも難しいですね。僕もルークに触らせてもらったことがありますが、全然思った通りの音が出ませんでした。あれは本当に難しい楽器です」
レイの言葉に、周りにいたご婦人方も同意するように笑って頷いている。
「それなのにルーク様は、オルダムへいらした時には既にハンマーダルシマーを見事に弾きこなしておられたと聞いた事がありますわ。それが本当なら、一体どこで習われたのでしょうね。よもやスラムにハンマーダルシマーの奏者がおられるわけもありませんのに」
血統至上主義の一人であるアインリーデル侯爵家のリーゼン夫人がわざとレイを横目で見つつそんな事を言う。
これはレイに、何か知ってるなら話せという意味の目くばせだ。
それを理解した訳では無かったが、その話は聞いた事があったので、思わずその話をしようとしてリーゼン夫人を見る。
『言っては駄目よ』
『ルーク様の過去も』
『勝手に言いふらしていい事ではないからね』
突然現れたニコスのシルフ達が一斉に首を振ってレイを止めてくれた。
目を瞬き慌てて口を噤む。
しかし、リーゼン夫人は明らかにレイが今何か言いかけたのを見て無言で先を促している。
しばしの沈黙の後、レイは出来るだけ申し訳なさそうに軽く一礼してから口を開いた。
「えっと、申し訳ありませんが、ルークが何処でどうしてハンマーダルシマーを覚えたかは僕は知りませんね。とても難しい楽器だよ、としか聞いていないです」
咄嗟に耳打ちしてくれたニコスのシルフの言葉を、自分なりに言ってみる。
「あらそうなのですか。仲がよろしいと聞いておりましたので、それくらいはご存知かと思ったのですけれどねえ」
呆れたようにそう言われて、レイは笑顔でもう一度謝った。
「では、レイルズ様は竪琴はどこかで習われたのですか?」
見兼ねたミレー夫人が助け舟を出してくれたので、ありがたく乗らせてもらう。
「僕の家族であるニコスから、少しだけ習いました。でも、ここへ来てから降誕祭の贈り物でニコスからいつも使っている竪琴を贈られたので、お願いして、宮廷楽士の竪琴奏者の方に基礎から改めて教えていただきました」
「まあ、そうだったのですね。見事な腕前ですからてっきり何処で習っておられたのかと思っておりましたのに」
ミレー夫人が笑ってそう言った時、鼻で笑ったリーゼン夫人が蔑むように口を開く。
「農民如きが、貴族の楽器である竪琴を演奏しておったと?」
馬鹿にしたようなリーゼン夫人の言葉だったが、レイが何か言う前に、ミレー夫人が呆れたように目の前で態とらしく扇を上げて音を立てて畳んだ。
「あらあら、リーゼン様はご存知ありませんでしたかしら。レイルズ様の養い親の彼は、以前オルベラートの貴族の館で執事をしていらした非常に優秀な方で、今もオリヴェル王子殿下やティア妃殿下からの信頼も厚いお方なのですけれどね」
扇で口元を隠してにこやかに話しているだけなのに、何故か急に背筋が寒くなったレイは無言で背筋を伸ばして直立した。
明らかに怯んだ様子のリーゼン夫人に、満面の笑みのミレー夫人がさらに追い討ちをかける。
「レイルズ様がお使いのあの見事な細工の竪琴も、その方の主人である亡くなられたオルベラートの貴族の若様がお使いになっておられた形見の品で、正式な手続きを経てその彼の手に渡り、その後レイルズ様に届けられたのですわよ。オルベラートのダルタント陛下からは、あれは良い品だから大切にするようにとのお言葉まで賜っておりますのに」
以前、オリヴェル王子が夜会の席でレイに懺悔したいと言って、花嫁と共に寄り道した話をした事がある。
当然、あの後裏では大変な話題となり、一体その人物が誰なのかと皆が調べて回る騒ぎになったのだ。
その結果、今ではニコスの名前や、仕えていた今は亡きその主人が誰であったのかから、爵位や貴族の名前やその亡くなった際の原因に至るまで、ほぼ全てが知られている。
だが、今では家が取り潰されてしまい血族がいない事もあってそれ以上は特に話題にもならず、そのまま噂ごと立ち消えてしまっているのだ。
当然リーゼン夫人もその話は知っていたはずなのだが、彼女にしてみれば、それほどの人物が、その後誰にも仕えずに農民に成り下がったと知った時点で、彼は無能者だと思い込んでそれ以上の報告には全く興味を持てず、詳しい事はすっかり忘れていたのだ。
しかし、ミレー夫人の口から語られたそれを聞き、夫である侯爵がその執事の彼の事を大いに感心していた事も思い出した。
「え、ええ、そうでしたかしらね。私、ちょっと気分がすぐれませんので、休ませていただきますわ」
誤魔化すようにそう言うと、モゴモゴと言い訳がましい事を言いながら下がってしまった。それを見た彼女と一緒にいた何人かの夫人達も、同じく誤魔化すように何か言ってそそくさと下がって行った。
「あらあら、後程合唱の倶楽部でご一緒する予定でしたのに。大丈夫かしら?」
呆れたようなミレー夫人の言葉に、あちこちから小さな失笑がもれる。
何とか気を取り直してミレー婦人を見ると、先程の笑みとは全く違う、優しい微笑みで大きく頷いてくれた。
「お見事でしたわ、レイルズ様。この場で言って良い事といけない事をしっかりと弁えていらっしゃいましたね」
返答に困っていると、果物の小皿をワゴンに積んだ執事が側を通るのに気づいた。
「ああ、あの、それを一皿頂いてもいいですか?」
慌ててその執事に声をかけると、止まってくれた執事がにこやかに頷き、綺麗にカットされた果物の乗ったお皿渡してくれた。
「ああ、私にも頂けるかしら。ちょっと喉が乾きましたわ」
笑顔のミレー夫人の言葉に、あちこちから自分も欲しいとの声が掛かり、すっかりその後は、元のような和やかな会話に戻っていたのだった。
『全く。なんだあの女は。度し難い愚か者だな。見ていて頭痛がする』
呆れたようなブルーのシルフの言葉に、ニコスのシルフ達が笑って首を振る。
『気にしない気にしない』
『貴族の夫人にはあんなのは大勢いる』
『だけど主様もかなり上手にいなせるようになってきたね』
『良い事良い事』
『ふむ、確かに』
苦笑いしつつ頷くブルーのシルフを見て、ニコスのシルフ達は揃って嬉しそうに笑った。
『主様の成長は本当に素晴らしい』
『きっと一年後には立派な竜騎士様になっておられるね』
『楽しみだね』
『楽しみだね』
『主様は素敵!』
『素敵素敵!』
『可愛い可愛い』
彼女達だけでなく、勝手に集まってきたシルフ達までが口々にそう言い、楽しそうに輪になり手を取り合って踊り始めていたのだった。
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