二人の花嫁さんの肩掛けの刺繍

 朝食を食べた後は部屋に戻り、午前中は久し振りにゆっくりと時間を取って本を読んだり竪琴の練習をしたりして過ごした。

 昼食の後に、部屋に戻ろうとしたところでラスティから花嫁さんの肩掛けの刺繍の話を聞いた。



「花嫁衣装の製作を担当しておられるリリルカ夫人から、フェリシア様とサスキア様の為の肩掛けの刺繍の準備が整っておりますので、お時間のある時にお越し下さいとの伝言をいただいておりますが、どういたしましょう?」

「ああ、針始めの儀式は終わっちゃったんだね。でも、それなら今日は時間があるから、午後から行っても良いですか?」

 午後からは天文学の予習をしようと思っていたので、変更しても問題ない。

「かしこまりました、ではお伺いする予定で連絡しておきます」

「でも、刺繍するのはちょっとだけですよ!」

「さあ、どうでしょうかね。ご婦人方はレイルズ様がお越しになると聞けば大喜びなさりそうですけれど」

「だから、僕には無理ですって。ああ、前にブルーが刺繍が出来るって言ってたから、じゃあブルーにやってもらいます」

『おい、我に振るでない』

 目の前に現れたブルーのシルフの笑った言葉に、レイは笑ってキスを贈った。

「ええ、せっかくだから頑張ってよ。言っておくけど、僕が刺すのはひと針だけだからね」


『教えてあげるよ』

『あげるよあげるよ』

『出来るのにねえ』

『出来るのにねえ』


 ニコスのシルフ達までが、得意げにそんな事を言う。

「駄目だって。せっかくの花嫁さんの素敵な肩掛けを台無しにしちゃうよ」

 必死になって首を振りそう言うと、ラスティの案内でそのまま花嫁さんの肩掛けの刺繍をしているのだという部屋へ向かった。




「ああ、ここって以前ティア妃殿下の肩掛けの為の針始めの儀式をした部屋ですね」

 見慣れた女神の分所の中にある大きな部屋に、水場で綺麗に手を洗ってから通されたレイはそう言って嬉しそうに目を輝かせる。

 そこは以前と違って左右に大きな机が半分に分かれて置かれていて、真ん中部分には衝立が置かれて部屋が区切られていた。その両方の机の上には、それぞれ途中まで刺繍がされた肩掛けの生地が広げられていた。

「まあ、レイルズ様。ようこそお越しくださいました」

 リリルカ夫人が笑顔で出迎えてくれ、レイも笑顔で挨拶をした。

「こちら側はサスキア様の肩掛けで、奥側がフェリシア様の肩掛けになっております。どうぞ、出来る範囲で結構ですので、刺繍を刺してくださいませ」

「えっと、ひと針だけ参加させていただきます」

「そんな事仰らずに、さあ、こちらにお座りくださいな。ではこちらをお願いいたします」

 示された箇所はすでに誰かが刺しかけていたらしく、針に糸が通った状態で途中で留められている。

「えっと、これは何処に……あ、ここですね」

 針を摘んで、ニコスのシルフが教えてくれた箇所に針をそっと差し込む。

 リリルカ夫人が裏側から針を引っ張って引き込んでくれ、別の箇所に針を差し込んだ。

 一瞬ためらったが、そっと手を伸ばしてその針を掴んで出来るだけゆっくりと糸を引っ張っていく。

「ああ、そこまでで結構ですよ」

 糸がピンと張ったところで止めてくれたので針を返そうとしたが、今度はブルーのシルフが布の上に立ち足元を指差して笑っている。

 小さく笑って深呼吸をしたレイは、ゆっくりとそこに針を刺した。

『そのまま裏側に手をやって針を引く抜くのだよ。やってごらん』

 耳元でブルーのシルフ声が聞こえ、左手を別のシルフに引っ張られる。

 戸惑いつつ布の裏側に手をやったレイは、教えられるままに差し込んだ針をそっと引っ張っていく。

 リリルカ夫人は、驚きつつも黙ってその様子を見つめていた。

 ゆっくりと糸を完全に引き込んでしまうと、レイは刺繍した部分をそっと撫でて糸を整えている。

 実際にはこれはニコスのシルフ達に教えられるままにやっているだけなのだが、その様子は一見すると熟練の職人のようだ。



「まあまあ、レイルズ様ったら。謙遜も過ぎると嫌味になりましてよ」



 笑って小さくそう呟くと、隣の席に座ったリリルカ夫人はもう彼を手伝おうとはせず、素知らぬ顔で別の箇所の刺繍を始めた。

『ほら今度はここだ』

 ブルーのシルフとニコスのシルフ達に教えられるままに刺しては引き抜き、また図案を見ながら別の箇所に刺す。だんだん面白くなってきて、気がついたら夢中になって刺し続けていた。

 その結果、前回よりはかなりそれなりの出来栄えの清楚な白い小花が一つ仕上がった。


『糸の始末のやり方も教えるね』

『教える教える』


 途中からは他のシルフ達も集まってきて、レイの手元を見ては時々邪魔をしながら楽しそうに遊んでいた。

 糸の最後の始末までするんだと当然のように言われてしまい、もう諦めたレイは素直に教えてもらった通りに裏側に引き抜いた糸の始末を始めた。

「へえ、こんな風にするんだね」

 結び目を作るのではなく、他の刺繍の裏側部分に糸を通して留める方法を教わり、感心したように小さく呟く。

「えっと、ハサミは……」

 糸を切るためのハサミが見当たらずに周りを見回すと、リリルカ夫人が座っているのとは反対側からそっと小さな糸切りバサミが差し出された。

「ああ、ありがとうございます」

 相手を見ずに受け取り、そのまま教えてもらった箇所で糸を切る。



 突然起こった大きな拍手に、油断していたレイは飛び上がった。



「まあまあ、なんて見事な手際だったのかしら。素晴らしいですわ。レイルズ様」

 それはヴィゴの奥方であるイデア夫人の声で、その隣にはクローディアとアミディアの姿もあった。二人とも目を輝かせて、レイが刺繍した箇所を見つめている。

「レイルズ様、すごいです」

 アミディアの無邪気な言葉に、周りで刺繍をしていた他の婦人達も皆笑顔で頷いている。

「えっと……」

「では、次はこちらをお願いしますわ」

 新しい糸を渡されて、レイは自分の失敗を悟った。

 どうやら、自分一人で刺繍をやっているように見せてしまったおかげで、これ以上出来ませんは通じなくなったみたいだ。

 もう周り中のご婦人方の視線は、レイの顔ではなく手元に集中している。

「わ、わかりました。じゃあ今度はあちらのフェリシア様の肩掛けの刺繍をさせていただきます。あの、小さい小花でお願いします! 大きいのは無理ですって!」

 大きな花をお願いする気満々なリリルカ婦人を見て、必死になって止めたレイだった。



 結局、イデア夫人やアミディアやクローディアとのお喋りを楽しみつつ、そろそろ夜会の準備の時間だと言ってラスティが迎えに来てくれるまで、レイは幾つもの小花の刺繍を刺し続ける事になったのだった。

 そんな彼を周りのご婦人方は皆、すっかり母親目線で愛おしそうに見つめていたのだった。

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