控え室での一幕
「では、舞台の時間になりましたら迎えに参りますので、それまでどうぞごゆっくりお過ごしください」
案内されたのは、先ほどの裏の廊下から入った小さな控え室だった。
それでも置かれているソファや家具は、神殿にあるものとは比ぶべくもない。
「はあ、今更だけど足が震えてきたわ」
エルザがそう呟いてソファーに倒れ込むようにして座った。その直後に慌てたように立ち上がり、腰に幾重にも巻いていたサッシュと呼ばれる幅広の長い布を解いて抜き取った。
外したそれを両手でクルクルと巻き取って横に置き、そのままもう一度ソファーに座る。
ふんわりと広がった薄い布を幾重にも重ねた巫女の舞いの正式な衣装は、座る際にもシワにならないように注意が必要なのだ。
苦笑いしたクラウディアも、同じように腰に巻いてあった幅広の布を解き、軽く巻き取ってから隣に座る。
それを見て、他の巫女達も同じようにしてからそれぞれにソファーや椅子に座った。
「アルス皇子様が、私達に、ティア妃殿下と……仲良く、してって……」
「ええ、そう仰ってくださったわね」
隣に座ったエルザが半ば呆然としながらそう呟く。
「半月もの間、神殿でのおこもりは本当に大変だったけど、今から考えたら凄い事だったのよね」
リモーネの言葉にクラウディアも笑顔で頷く。
彼女はそれよりも、あれだけ錚々たる顔ぶれの方々を前にして、ティア妃殿下と共演しても臆せず堂々と歌い交わしていたレイの凛々しい横顔が忘れられなかった。
「やっぱり、私なんかが好きでいていいお方じゃないわ……」
俯いてそう呟いてから、自分の言葉に驚いて慌てたように顔を上げる。
考えていた事がそのまま無意識のうちに口に出てしまったのだ。
「ディア、貴女そんな事考えてるの?」
リモーネとヴィルマの二人が、慌てたように彼女の側に駆け寄ってくる。
舞い仲間の全員から真剣な顔で見つめられて、クラウディアは泣きそうになるのを必死で堪えて俯いて唇をかみしめた。
精霊魔法訓練所でいる時は、気軽に彼と対等の立場でいられる。
レイ、ディーディー、そう呼び交わしても誰もそれを咎めない。
だけど、ここでは違う。
彼は同じように接してくれるが、それはあくまでも舞台裏での話だ。彼は、皇族の方々と一緒の舞台に立って当然の人なのだ。
彼がただの貴族の若者だったら、クラウディアもここまで思い詰めることはなかっただろう。
古竜の主。
それは、竜騎士隊の中でも最強の力を誇る事を意味する。この国の守護竜であるルビー様よりも強いのだ。
今更ながらにその事実を目の前に突きつけられて、自分との身分と彼の身分、そして彼が一人で背負っている義務と責任の重さを考えて気が遠くなった。
「だって……だって、私は身寄りも無い孤児で……」
俯いたまま、何とかそれだけを言う。
「元は、だよね。今となっては、ディレント公爵閣下が後見人なんだけどね」
苦笑いするリモーネが、彼女の指に嵌った公爵家の紋章の刻まれた指輪をそっと突っつく。
「そ、それはそうかもしれませんが……」
戸惑うようなクラウディアの言葉に、元は貴族の娘であるヴィルマが小さく笑って彼女の背中叩いた。
彼女は十七の時にとある事情から出家して巫女となった。
貴族の娘が巫女となった場合、一位の巫女まですぐに上がる事が出来る。表向き試験は受けるが、形式的なものだ。
そのため彼女は、貴族社会の様々な裏の事情や、言葉では言わない様々な駆け引きをよく知っている。
その彼女だけは、あの場でレイルズ様とクラウディアを公式の場である夜会で同じ舞台に上がらせた、皇族の方々の思惑をほぼ正確に読み取っていた。
「あのね、あなたもレイルズ様も解っていないみたいだから教えてあげるわ。大丈夫よディア。貴女はもっと自分に自信を持って良いんだからね」
「……何に対する自信?」
不安げな呟きに、ヴィルマは苦笑いして彼女の手を取った。
「あのね、今貴女が言った通り、貴女は貴族ではない一般の市井出身で下位の巫女よ」
言葉も無く頷くクラウディアを見て、もう一度握った手を軽く叩く。
「アルス皇子様とご結婚なされたティア妃殿下は、時期皇王様の奥方様。つまりは次期王妃様よね。これは解るわね」
戸惑いつつも顔を上げて頷く彼女を見てヴィルマは笑顔になる。
「そのお方が、貴女を名指しして同じ舞台に上げてくださった。そしてそこには貴女と恋仲であるレイルズ様が竪琴を持って座ってらした。これはつまり、レイルズ様の舞台に、ティア妃殿下や私達がご一緒させていただいた形になるの。解る?」
「確かにそうだったわね。あの曲の前にも別の歌を歌っていらっしゃったわ。でも、それに何か意味があるの?」
首を傾げる彼女を見て、リモーネが横から尋ねる。
「大有りよ。あのね、通常、公式の場で竜騎士様と皇族の方が同じ舞台に立って共演なさるのは珍しい事じゃないわ。竜騎士様はこの国を守る竜の伴侶とされているから、公式な場では直系の皇族の方々に次ぐ身分になるのよ。晩餐会の時なんかは、それこそ席順で言えば皇族の方のすぐ隣の席になるくらいなのよ。ディレント公爵閣下よりも上ね」
驚く一同を見て、ヴィルマはこれ以上ないくらいの笑顔になる。
「そこまでは解ったわね。それでさっきの舞台の話になるんだけど……」
そこまで言ってから彼女は一度口を閉じる。
「貴女とレイルズ様が恋仲な事は、ティア姫様もご存知なんでしょう?」
戸惑いつつも頷く彼女を見て、ヴィルマは大きく頷く。
「ご存知の上で市井の出身である貴女とレイルズ様を同じ舞台に上げ、更にはご自分も同じ舞台に立って共演して下さった。これはつまり、貴女とレイルズ様の仲を公式に認めて応援するって仰って下さっているのと同じ意味を持つのよ」
その言葉に、クラウディア以外の巫女達の黄色い歓声が重なる。
クラウディアは唐突に耳まで真っ赤になった。
「ね、解ったでしょう? あの場にいた貴族の方々も、女神の神殿の巫女とレイルズ様が恋仲であることはほぼ全員がご存じのはず。しかも貴女は何度も公の場で光の精霊魔法を使っているから、貴女がレイルズ様のお相手だって予想をつけている貴族はかなり多いはずよ」
「そ、そんな……」
真っ赤なままで首を振るクラウディアを見て、もうこれ以上ないくらいの笑顔になるヴィルマ。
「そしてアルス皇子様のあのお言葉。つまりティア妃殿下が何をなさろうとしていたかをご存知の上で止める事をなさらず、彼女と仲良くとのお言葉まで私達にかけてくださった。これはつまり、ティア姫様のお考えにアルス皇子様も同意なさってるって意味になるの。解った? もっと自信を持って良いって言った意味がね」
もう一度軽く手を叩いた彼女は、立ち上がって大きく伸びをした。
「そろそろ時間じゃないかしらね。じゃあサッシュを巻きましょうか」
座っていた他の巫女達も笑顔で立ち上がり、一人に三人係りで順番に巫女達の腰にサッシュを巻いていく。
薄い生地に不自然なシワが寄らないように綺麗にしっかりと巻くのは、実はかなり難しくて大変なのだ。
まだ真っ赤な顔のままのクラウディアも、慌てて生地を押さえるのを手伝った。
部屋に置かれた大きな燭台の上ではブルーのシルフだけで無く、クロサイトやルチル、それからルビーの使いのシルフ達までが並んで座り、楽しそうにクラウディアをからかいながら身支度を整える彼女達を揃って愛おしげに見つめているのだった。
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