大切な主とキルート達の決意

「はあ、久し振りの訓練所だね。皆は来るかな?」

 その日、訓練所へ行ってもいいと言われたレイは、朝練と朝食を終えてから、久し振りによく晴れた空を見上げてキルート達三人の護衛と一緒に訓練所へ向かっていた。

 残念ながらマークとキムはこのところ忙しいらしく、朝練をお休みしている事が多く一度顔を合わせたきりで今日も参加していなかったのだ。なので、訓練所ではゆっくり会えるかと密かに楽しみにしているのだ。



 この数日はレイもとても忙しかった。

 いつものお城の会議にも、発言権は無い聴講という形ではあったが何度も参加したし、ルークや若竜三人組について行ってはまた知らない人達と会わせてもらい、様々な話を聞かせてもらったりした。

 それから、参加している竪琴の会の倶楽部の練習にもようやく顔を出す事が出来た。

 おかげで竪琴の会の人達とはすっかり仲良くなり、車椅子のウィスカーさんと奥様のシャーロット夫人とは特に仲良くなって、今度一の郭にあるお屋敷に招待してくださる事になった。



 ウィスカーさんは元軍人で、戦いで怪我をして車椅子生活になったらしい。残念ながら右足の神経が完全に麻痺していたため、マイリーやアルジェント卿の様に補助具では怪我を補いきれなかったとも聞き、レイは自分の事の様に悔しがり夫妻を慌てさせた。

 ウィスカーさんの元の身分は子爵だが、今はもう息子夫婦に爵位を譲り悠々自適の隠居暮らしなんだと笑っていた。

 本宅である一の郭にあるお屋敷の敷地内に別棟になった離れがあり、今はそこでお二人と、それから犬達と一緒にのんびりと暮らしているのだそうだ。

「犬達と過ごす時間とお庭の花の手入れ、それから二人で弾く竪琴が今の毎日の楽しみね。いろんな竪琴があるから、貴方も是非弾いてみてちょうだいな」

 笑う夫人の言葉にウィスカーさんも笑っていて、何故だかレイは安心した。

 ご不自由なお体になっても奥様と共に朗らかに人生を楽しんでおられるその姿は、怪我をして不自由になる事は不幸な事だと思い込んでいたレイの考えを改めるきっかけにもなったのだった。




「色んな人がいるんだね。ここに来て僕、本当に良かったと思うや」

 ゆっくりとラプトルを走らせながら小さくそう呟いたレイに、キルートは不思議そうに振り返った。

「えっとね、初めてここへ来た時、ほら、竜熱症を発症してブルーとタキスにここへ連れてきてもらったときにね。目を覚ました後にタキスから言われたんだ。僕をここへ預けようと思うって。僕、その時は森のお家へもう二度と帰れないんだと思って悲しくて泣き出しちゃったんだ。慌てたタキスがちゃんと話してくれて、勘違いだってわかって安心した。それで、竜騎士隊の人達に竜の主である事の意味を教えてもらったりもした。その時にタキスに言われたんだ。世界は広い、自分のその目でそれを確かめろって。知識と技術と経験を積んで、大勢の人と出会ったり別れも経験しろって、それでも森で暮らしたいならそうすればいいけど、最初からやってみた事もない知らないものを否定する様な子にはなって欲しくないって」

 それを聞いたキルートは大きく頷いた。

「素晴らしいお考えですね。確かにレイルズ様がそれまで暮らしておられた世界はとても狭くて濃厚な、いわば顔見知りしかいない世界でしたからね。そんな世界しか知らずに大きくなれば、自分が持つ世界そのものがそれだけになってしまう。田舎へ行けばそんな人は大勢いますよ。身内がいる間は大きな顔をしているが、部外者が来た途端に萎縮してろくに話も出来ないなんて人がね。大抵そんな人は変化を嫌がり他人を排除しようとする。文字通り、井の中の蛙ですね」

「自分の知る狭い世界が全てだと思い、自分が知らない事は存在自体を否定してしまう。確かにそれは嫌だな」

 苦笑いしたレイがそう言うのを聞き、キルートも頷いている。

「今のレイルズ様に圧倒的に足りないのが、まさにその経験ですね。良い事ですよ。レイルズ様の世界の扉は大きく開かれています。これからその知らない世界をいくらでも知る事が出来るのですからね。ここはどうぞ遠慮なく周りの人に頼ってください。これはもう数をこなす以外に解決する方法はありませんからね。ああ、良い機会ですから身の回りにいる護衛の者も定期的に交代しましょう。いつも同じ顔ぶれだと馴れ合いになってしまって良くありませんね」

「ええ、そんなあ。僕、キルート達と一緒が良いよ」

 情けない顔で抗議するレイに、キルート達は優しい顔で笑った。



「そう言ってくださるのは嬉しいですが、護衛はあくまでも護衛ですよ。代わりはいくらでもおります。唯一の古竜の主であるレイルズ様をお守りするのが我々の絶対の使命です。以前少しお話しした事がありましたね。覚えておいでですか? 何かあったら、決してご自分で何とかなさろうとはせずに、我々の言う事を聞いてすぐにその場から離脱してくださいと」

 予想通りに眉を寄せて口を尖らせるレイを見て、キルートは諭す様に話し続けた。

「レイルズ様は、もう少しご自分の価値というものをご理解ください。唯一の古竜の主である貴方を決して害させるわけにはいきません。たとえ我々の命に変えてもお守り致します」

 真顔で言われたその言葉に、レイは悔しそうにしつつも頷く。これは護衛の彼らがついた時に、グラントリーからも何度も言われた事だ。

 万一何らかの問題が起こった際には彼らの指示に従い、決して自分が前に出ない事。もしも彼らが怪我をする事があっても自分の身の安全を第一に考えろと言われて、レイは抗議してしまったのだ。自分を守ってくれる人を見捨てる様な事は出来ないと。

 しかし、人にはそれぞれ役割があり、それを超えた事をすれば周り皆が迷惑するのだと何度も諭され、それでも頷かないレイに、ついにはキルート本人までもがレイにこう言ったのだ。万一の際には自分を見捨てろと。

 今ではある程度は納得もしているが、実は密かにこう考えている。

 もしも自分の身の回りで誰かを害される様な事があれば、シルフ達に命じて絶対に守ってみせると。

 ブルーも、レイのその密かな決心を知って笑って頷いてくれた。

 何があろうとも、其方の知り合いを見捨てる様なことはせぬと。

 以来、その事には一切文句を言わなくなったので、周りの者達は皆、レイルズがようやく納得してくれたと思っている。

 だが、キルートだけはレイのその密かな決心に気付いていて、恐らく彼の性格ならそう考えるだろう、との結論に達していたのだ。なので、他の護衛の者達にもこう命じている。

 万一の際には、レイルズ様の身の安全を守ると同時に、絶対に自分の命も守れと。

 その無理難題に彼らは笑顔で頷いたのだ。もちろんです。と。



 様々な身分の人達を護衛してきた彼らにとっても、レイルズは命がけで守るに値する人物だった。その彼が自分達の死を決して望まないのなら、自分達がするのは一つだ。何があろうとも彼も、自分も守って生き延びる。それだけだ。

 そんな彼らの決意を知るブルーのシルフは、満足気にレイの肩に座ったまま彼らの話を聞き、愛しい主の頬にそっとキスを贈るのだった。

「大丈夫だ。其方には我がついているのだからな」

 優しいその声に、レイは安心して笑顔になりそっとキスを返した。

「大好きだよブルー。これからもよろしくね」と。

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