パスカルとリーンの両親の事

「レイルズ様、本日はお越しくださりありがとうございました。またいつでもお越しください!」

 目を輝かせて背筋を伸ばしたマシューが、子供達を代表して大きな声でそう言って深々と頭を下げた。他の子達も揃ってそれに倣う。

「僕も楽しかったよ。また秋の良い季節になったら遠乗りに行きたいね」

「是非お願いします!」

 目を輝かせて声をそろえる少年たちを見て、ソフィーが慌てたようにマシューの袖を引いた。

「だめよ。その前に私達がディアやアミーとご一緒させて頂くんだから!」

「うん、もちろん忘れていないよ。先に女の子達で行くんだものね」

 笑ったレイがそう言うと、少女二人も揃って笑顔になった。

「はい、楽しみにしています!」

 リーンも嬉しそうにそう言って、もうこれ以上ないくらいの満面の笑みでレイを見上げている。

「じゃあ行くね、また遊ぼうね」

 レイはそう言って、子供達と順番に手を叩き合った。



「では、行くとしようか」

 後ろで待っていてくれたアルジェント卿の声に、レイは元気に返事をして振り返った。

 外は相変わらずの雨模様で、しかも来た時よりも雨足がかなり強くなっている。

 レイと一緒に馬車に乗って来た護衛のキルート達は、今はアルジェント卿のところでラプトルを借りて乗っていて、レイが乗る馬車もアルジェント卿が用意してくれた二頭立ての大きなラプトルが引く広い馬車だ。

 ラプトルに乗った護衛の者達が馬車の前後の配置につくのを見て、雨よけのマントを羽織ったレイは促されて馬車に乗り込んだ。

 軽く雨を落としてからマントを外して席につく。

 向かい側にアルジェント卿が座るのを見届けてから、マントを羽織りフードを深く被った執事が馬車の扉をしっかりと閉めてから、馬車の背後に回って執事専用の席に乗り込んだ。

「では出発いたします。少々揺れますのでお気をつけください」

 御者台から声がして馬車がゆっくりと動き始める。

 見送ってくれた子供達とティアンナ夫人に、レイはのぞき窓から大きく手を振った。

 気が付いた子供達が歓声を上げてまた手を振る。

 雨の中を走り去る馬車が見えなくなるまで、子供達は手を振り続けていたのだった。




「赤ちゃんとても可愛かったです。えっと、エルはずっとあのお屋敷で暮らすんですか?」

 座り直したレイは、笑顔で自分を見ているアルジェント卿に無邪気に質問した。

「いや、もう少ししたら同じ一の郭にある父親の屋敷であるヴォルクス伯爵家へ戻るさ。今はまあ、爺いに孫の顔を見せに来てくれているわけだよ。普段は子供達もそっちにいるのだがな。今日は其方を招いたので、孫達も呼んでやったのだよ。あの子達も其方に会いたがっておった故な」

「そうだったんですね。あれ……」

 納得しかけて、レイは不意に口ごもった。

「マシューとソフィー、それにフィリスはお父上であるヴォルクス伯爵家のお屋敷に普段は住んでいるんですよね。それじゃあパスカルとリーンは、えっと……イグナルト伯爵様のお屋敷に普段は住んでいるんですね」

 無邪気なその言葉に、ため息を吐いたアルジェント卿は窓の外を見た。

「皆に祝福され、愛し合って結ばれる男女がいるかと思えば、同じように愛し合い将来を誓い合ったはずの男女が互いを罵り合うほどに憎み合い、最後には互いの間に生まれた子でさえも邪魔者扱いする。悲しいかな世の中にはそんな夫婦もおるのだよ」

 一瞬、アルジェント卿が何を言っているのか解らなかったが、考えなしの質問をする前に頭の中でその言葉の意味を考えてみる。

「それってもしかして……間違っていたら申し訳ありません。えっと、パスカルとリーンのご両親の事ですか?」

 顔をしかめて頷いたアルジェント卿は、もう一度大きなため息を吐いた。

「先月、パスカルとリーンの二人をヴォルクス家で養子として正式に迎え入れる事にしたのだよ。結局、両親は揉めに揉めた挙句に正式に離婚した。イグナルト伯爵家は当主の弟、つまり私の三男であるジェオラ子爵が正式に継ぐ事となった。現当主は隠居後領地のあるクームスの屋敷に蟄居閉門となった」

「ええ、離婚したら家を継げないんですか?」

 思わずそう言ってしまうくらいにその処分に驚く。

「まさか、そんな訳はあるまい。あの馬鹿は要するに良くない連中と付き合い、賭場に出入りして膨大な借金を負うたのだよ。しかもそれを隠してまだ性懲りもなくそこへの出入りを続け、問題が発覚した時には、借金はとんでもない金額になっておったわけだ」

 驚きに言葉も無いレイに、また顔をしかめたアルジェント卿は首を振った。

「私も支援して何とか金を工面して借金を精算して、とにかくそいつらと手を切らせた。今後一切関わりを持たぬとの誓約させてな」

「だ、大丈夫なんですか?」

「まあ、少々手荒な事もあったが何とかなったよ。今回の事で、あの馬鹿息子にはもうほとほと愛想が尽きた。辺境のクームスで頭を冷やすがいいさ」

 逆にまた、そんな辺境にいたら変な人に目を付けられるのではないだろうか。心配になったレイは、不安そうにアルジェント卿を見る。

「もちろん、野放しにするわけはあるまい。しっかりと目付役を同行させておるし、シルフの監視も続けさせておる。まあ今後彼が改心するかどうかは、それこそ精霊王のみがご存知だろうさ」

 大きなため息と共に吐き捨てるようにそう言うと、もう一度首を振る。

「その……お母上は、どうなされたのですか?」

 遠慮がちなレイのその質問に、アルジェント卿はもうこれ以上ないくらいの大きなため息を吐く。

「別に男を作ってさっさと逃げおおせたよ。これこそもう、呆れてものも言えん。というやつだな」

 驚きに声も無いレイを見て、アルジェント卿は寂しそうに笑った。

「唯一の救いは、子供達が今の環境をすぐに受け入れてくれた事だな。罵り合う両親の姿は見たくは無かったようだな。だがまあ、当分は子供達から目を離す事は出来まい。どんなに酷い人であっても、あれが二人の実の両親である事に間違い無いのだからな」

 無邪気に笑っていたパスカルとリーンにそんな事があったなんて。

「あの、僕に何か出来ますか……?」

 そう聞かずにはいられなかった。

 レイは彼らの事が大好きだし、出来ればいつも笑っていてもらいたい。

「彼らに心を寄せてくれて心から感謝するよ。大丈夫だ。あの子達の面倒を見るのは我らの役目だよ。其方はそのままでいてくれ。彼らにとって、憧れの優しいお兄さんでいてくれれば良いさ。また時間のある時で良いから、時には遊んでやっておくれ」

 笑顔で優しくそう言われて、レイは頷く事しか出来なかった。

「分かりました。あ、じゃあもう少ししたら陛下から賜った瑠璃の館の改装が終わるんです。それで夏の間にお屋敷のお披露目会をするってルークが言ってましたので、その時には是非子供達も連れて来てください。書斎には頂いた本がたくさんあるし、僕の天球儀も見ていただきたいです。きっと喜んでもらえると思います」

「おお、それは素晴らしいお誘いじゃな。その際には大喜びで、大人数で押しかけさせてもらう事にしよう」

「はい、楽しみにしていますね」

 笑顔で頷き合ったところで、馬車が大きく円形交差点を回って別の通りに入った。

「間も無く到着だな。嫌な話を聞かせてしまってすまなかったな。どうも歳を取ると愚痴が多くなっていかんな」

 申し訳無さそうに謝るアルジェント卿に、レイは必死になって首を振った。

「とんでもありません。僕なんかで良ければいつでもお話くらい幾らでも聞かせていただきます。あの、今日頂いたお菓子はどれも本当に美味しかったです。また食べたいので是非呼んでくださいね」

「おう、それは嬉しい事を言うてくれるなあ。ふむ、ではまた招待させてもらうよ」

「はい、楽しみにしています」

 笑顔でそう言って笑ってくれたアルジェント卿を見て、レイも笑顔になるのだった。

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