調弦とコレクションの勧め

「すごい……すごいです」

 歌と演奏を終えて手を取り合って下がる二人を見送り、感激に声を震わせながらレイはただ何度もその言葉だけを繰り返していた。

「確かに素晴らしかったな」

 隣で同じく感心していたカウリがそう呟いている。二人とも、まだ視線は舞台の袖に下がっていったお二人を追うように舞台横の衝立に釘付けだ。

「さすがに、綺麗な歌声だったな」

 ルークの呟きに、レイとカウリは何度も頷いていた。



 一旦ハープシコードが舞台横に下げられ、ヴィオラを手に出て来た一団が次の演奏をするようだ。

「ああ、鈴虫の会の演奏か。これも素晴らしいぞ」

 ルークの言葉に、見習い二人が嬉しそうに目を輝かせて舞台を見る。

 鈴虫の会も倶楽部の一つで、使う楽器はヴィオラのみでの演奏をする。やや年齢が高めの男性達のみで構成されていて、エントの会と一緒に定期演奏会を行ったりもする人気の倶楽部だ。

 その貫禄のある見事な演奏に、レイはうっとりと聞き惚れていたのだった。

 後半はエントの会の人たちが出て来て、ヴィオラの伴奏で見事な歌声を披露してくれた。

 そのままエントの会が引き続き歌を披露して下り、ハーモニーの輪の女性達が舞台に上がった。

 どんな歌声を聞かせてくれるのか、目を輝かせて見ていると、誰かにそっと肩を叩かれた。

「レイルズ様、そろそろご準備をお願い致します」

 驚いて振り返ると一礼した執事にそう言われて慌てて頷く。

 まだ少し時間があると思っていたが、フォグ先生が張り直した弦をもう一度調弦してくれると言っていたのを思い出し、歌を聴くのは諦めて急いで執事の案内で別室へ向かった。




「ああ、ご苦労様です」

 ちょうど部屋の前で調弦の道具の入った箱を持ったフォグ先生と一緒になったので、そのまま部屋に入る。

 預けてあった竪琴の弦を見て、フォグ先生が指先で弾いて確認するのをレイは大人しく隣で見ていた。

「うわあ、ずいぶん緩んでいますね」

 響いた音が明らかにズレているのを聴いて、驚いて竪琴に手を伸ばす。弾いてみると、割れたような緩んだ音が響いた。

「張った直後は、大抵これくらいは緩みますね。ただ今回張ったのは、私が使っている一般的な金属製の弦です。これほどの竪琴ならば、値は少々張りますがミスリルの弦に張り替える事をお勧めしますね」

 フォグ先生に苦笑いしながら言われて、素直に頷く。



 今、竪琴に張られているのはニコスから貰った時に張ってあった弦で、良い弦だと聞いてそのまま使っていたのだ。元の持ち主のニコスのご主人が亡くなられた時期を考えれば、今回突然弦が切れたのも、もしかしたら弦の寿命なのかもしれない。それに、改めて考えてみたら弦の張り方は習ったけれど、自分で一から全部の弦を変えた事は無い。

「分かりました。後でルークに相談してみます。えっと、もし交換するなら改めて張り方と調弦の仕方を教えてください」

「ええ、勿論です。じゃあ教えて差し上げますから、その時は弦を抜くところから全部自分でやってみましょうね」

「はい、よろしくお願いします!」

 笑顔のレイに、フォグ先生も笑顔になる。



「あ、フォグ先生、ひとつお聞きしてもよろしいですか?」

 あっという間に慣れた手付きで微妙な音を合わをしてくれた竪琴を受け取り、弦を弾いて笑顔になったレイは、慌てたように目の前にいるフォグ先生を見た。

「はい、私で分かる事でしたら何でもお教えしますよ?」

 道具を片付けながら不思議そうにレイを振り返る。

「僕、実はこれ一台だけしか自分の竪琴を持っていないんです。今回みたいに、この竪琴が急に使えなくなる事だってあると思うので、もう一台くらいは竪琴を持っておくべきですか?」

 一瞬、何を言われているのか分からなかったようで、フィグ先生は驚いて目を瞬いている。

「え、これ一台だけなんですか?」

 当然のように頷くレイを見て、苦笑いしたフィグ先生は自分の道具箱を手にした。

「レイルズ様、一台と言わず、二台でも三台でもお求めになる事をお勧めしますね」

 驚くレイに、フィグ先生は笑って肩を竦めた。

「私は普段使っている竪琴以外に、すぐに使える状態のものだけでも十台以上持っていますよ。竪琴は、大きさや形状にも様々な形がありますからね。是非コレクションなさってください。特に、このような装飾された竪琴は職人がこだわって作ったものが多く、まあこう言ってはなんですが値段もそれなりです。なので、なかなかお求めになられる方もいません。職人達に仕事をさせる意味でも、是非とも複数お持ちになる事をお勧めしますね」

 笑いながらそう言われて、レイはルークの知り合いのハンドル商会と専属契約を結んだのだという職人さんを思い出していた。

 皆が皆、そんな風に専属契約出来るわけもない。作ったものが売れなければ職人さんは次の作品を作れないだろう。

 ギードとタキスのおかげでレイの口座には相当な金額の残高がある。欲しかった天文学の道具も一通り揃ってしまったので、次は何を買ったらいいのか分からなかったのだ。

「そっか、瑠璃の館があるんだから、大きな楽器も置いておけるね」

 実は、竪琴の会の見学に行った時に弾かせてもらったペダルのついた大きなグランドハープが欲しかったのだが、あの大きさの楽器を部屋に置いたらどう考えても邪魔になりそうで諦めていたのだ。

 嬉しくなって小さくそう呟く。

『良いではないか。竪琴はシルフ達も好きだからな』

 ブルーのシルフがそう言ってレイの肩に座って頬にキスをくれた。

「そうだね。じゃあせっかくだから何か探してみようかな。えっと、でも楽器は誰に頼めばいいんだろう?」

『目の前に専門家がいるではないか』

 呆れたようにそう言われて、目を輝かせたレイは帰ろうと立ち上がりかけたフォグ先生の袖を引っ張るのだった。




「おおい、もう調弦は出来たか? そろそろ準備してくれってさ」

 軽いノックの音がして、ルークの声が聞こえる。

「はあい、終わったので行きます」

 元気に返事をして、嬉しそうにフォグ先生を振り返った。

「では、後日改めて私の知り合いの楽器職人と楽器を扱っている店を紹介させていただきます」

「はい、楽しみにしていますね。じゃあ行きます。あの、今日は、弦の張り替えと調弦をやってくださってありがとうございました。えっと、また何かあったらよろしくお願いします」

 笑顔でそう言ったレイは、一礼してから調弦してもらった竪琴を抱えて部屋を出て行った。

「何とか無事に送り出せましたね。本当に、舞台で弦が切れたのを見た時には、こっちの心臓が止まるかと思いましたよ」

 苦笑いして大きなため息を吐いたフォグ先生は、改めて道具の入った箱を抱えて自分の持ち場へ戻っていったのだった。




『いよいよ夜会最後の合同演奏だな。しっかりやりなさい』

 廊下に出たレイに、ブルーのシルフが笑ってそう言い、改めて頬にキスを贈った。

「うん、今度は他の皆と一緒だものね。間違って迷惑かけないようにしないとね」

『それで最後の一人で演奏する曲は決めたのか?』

 また最後には、アンコールで一人で演奏するのだと聞いている。

「うん、決めたよ」

 得意気にそう言われて、ブルーのシルフは笑顔になる。

『で、何を演奏するのだ?』

「内緒だよ」

 笑ってそう言いブルーのシルフにキスをしたレイは、待っていてくれたルークと一緒に控え室へ向かったのだった。

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