花嫁の入場

「さあこれをお持ちください。表に花嫁様の為の馬車をご用意してあります」

 案内役の僧侶の言葉に、そっと頷き差し出された見事に咲き誇る花々で作られた豪華なブーケを受け取る。

 部屋を出てゆっくりと歩き始めたティア姫様の少し離れた後ろから、花嫁の担当として半月の間一緒に過ごした巫女達が、僧侶達に伴われて見送りの為について出て来ていた。



 一同は女神の神殿の、普段は閉められたままの特別な扉から外に出る。

 花嫁衣装を纏ったティア姫様は、ヴェールを被っていてその表情を伺う事は出来ない。

 しかし、女神の神殿前に集まった人達からは祝福の声と共に大きな拍手が起こり、僅かなりとも見る事が出来た、その見事なドレスにあちこちから感嘆の声が上がった。

 人々に軽く一礼した彼女を、僧侶が馬車に案内する。

 花嫁のための馬車は、扉が大きく両開きに開くようになっていて、三人がかりでドレスとヴェールの裾を持って一緒に乗り込み、綺麗に整えてから馬車から降りた。

「行ってらっしゃいませ」

 整列した僧侶や巫女達が一斉にそう言って深々と頭を下げる。

 窓越しに小さく頷いた姫様は、そのまま背筋を伸ばして前を向いた。

「では出発致します」

 御者役の僧侶の言葉と共に、二頭立てのラプトルが引く大きな馬車はゆっくりと出発した。

「どうかお幸せに」

 小さく呟いたクラウディアの言葉に、その場にいた巫女達は一斉に両手を握って額に当ててその場に跪き、改めて深々と頭を下げたのだった。




「お越しになりました」

 僧侶の声と共に、近づいて来る二頭立てのラプトルの引く馬車を見てオリヴェル王子は息をのんだ。

 ついにこの時が来てしまった。

 ゆっくりと音もなく目の前に止まった馬車に、案内役の僧侶達が駆け寄る。

「失礼致します」

 声をかけてから静かに扉を開くと、一礼して中に入り、彼女の手を引いてゆっくりと馬車から降りてきた。

 一緒に駆け寄ってきた僧侶達が、ドレスとヴェールの裾を抱えて馬車から下ろし、綺麗に整えてくれる。

 目の前に広がる、あまりにも見事な総レース仕立てのそのドレスにオリヴェル王子は言葉が出ない。

 息を整えるように大きく深呼吸をしてから、愛しい妹の前に進み出る。

「ティア、とても綺麗だよ」

 優しくそう言ってそっと右腕を差し出す。

 真っ白なレースの手袋をした彼女の細い手が、鍛えられた逞しい右腕に縋り付く。そのか細い手が少し震えているのに気付き、オリヴェル王子はとても優しい笑顔になる。

「さあ行こう。アルスが待っているよ」

 右手に持った豪華なブーケを持ち直した彼女が小さく頷くのを見て、オリヴェル王子は己に課せられた彼女にしてやれる最後の務めを果たすために、ゆっくりと彼女の歩幅に合わせて歩き始めた。



 広がる長いヴェールの裾を、待っていた女の子達が駆け寄って並び、そっと摘んで持つ。どの子も綺麗なドレスに身を包んで、髪を結い上げて花を飾っている

 その中には、アルジェント卿の孫であるイグナルト伯爵家のリーンと、ヴォルクス伯爵家のソフィアナ、そしてヴィゴの娘のアミディアの姿もあった。

 そしてその後ろには、小さな騎士の制服を着て短剣を下げた男の子達や、可愛らしいドレスで着飾った少女達がミスリルの鈴のついた短い杖を持って整列して続いた。

 その中には、イグナルト伯爵家のパスカルやヴォルクス伯爵家のマシューとフィリス、それにゲルハルト公爵家のライナーとハーネインの姿もあった。

 子供達は皆、興奮に頬を紅潮させて目を輝かせている。




 大きく開かれた礼拝堂の扉の前で、一旦立ち止まる。

 参列者達が一斉に立ち上がるのを見て、俯きがちだった彼女が小さく息を吸って顔を上げるのを見たオリヴェル王子は、不意に溢れそうになった涙を必死になって堪えていた。

 無数の蝋燭の明かりに照らされて、ドレスに縫い付けられた真珠がまろやかな優しい光を放つ。

 それに気付いた人々から、堪えきれないようなため息とざわめきが起こりゆっくりと広がっていった。

 祭壇の奥に整列していた宮廷楽士達が、静かに演奏を始める。優しい包み込むような音が礼拝堂に広がっていった。

 花嫁が入場する際に使われるその曲の名は、祝福の風に乗せて。歌はなく演奏のみの曲だ。

 全員の注目を集める中を、二人はゆっくりと進んで行く。




 レイは、礼拝堂にオリヴェル王子に手を引かれて入って来たティア姫様が纏う、その見事な総レース仕立ての花嫁衣装に言葉も無く見惚れていた。

「これはすごい。オルベラートの職人の意地と誇りの成果だな」

 隣で同じように見惚れていたカウリの呟きに、レイは目を瞬く。

「えっと、それってどういう意味ですか?」

 振り返ったレイの質問に、カウリは笑ってティア姫様のドレスを見つめた。

「オルベラート産のレース細工は、女性の憧れと言ってもいい。とても高価なんだけれどとても人気があるんだよ。我が国の職人ももちろんすごいけど、オルベラートの王宮お抱えのレース職人達の技術は、世界最高峰だと言われているんだ。な、確かにその通りだろう。いやあ、これは素晴らしい」

 そういった装飾品の事は全く知らないレイでさえ、遠目に見てもその衣装のレースの繊細さと見事さが分かる。



 そして、祭壇の前で立っているアルス皇子も呆然と彼女に見惚れていた。



「分かるなあ、今の殿下の気持ちが。俺だって、彼女を見て本気で女神が舞い降りたかと思ったもんなあ」

 苦笑いするカウリの呟きに、レイの隣に座っていたルークが小さく吹き出す。

「カウリ、今のは盛大な惚気と受け取って良いんだよな」

 その言葉に、唐突にカウリが耳まで真っ赤になる。

「うう、忘れてください」

「いやあ、バッチリ聞こえたぞ」

 笑ってレイの肩越しにカウリの頭を突っついたルークは、小さくため息を吐いて前を向いた。

「ま、俺には関係の無い話だけどな」

 その呟きに、マイリーが小さく笑って頷く。

「もったいないと思うんだけどなあ」

 レイのその素直な呟きに、カウリとルークだけで無く、周りにいて漏れ聞こえた人達が揃って吹き出しかけて、あちこちで妙な咳き込む振りをして必死に堪えていたのだった。



 参列者達の座る椅子の中央部分に、祭壇に向かって真っ直ぐに敷かれた真っ赤な絨毯の上を、オリヴェル王子に手を引かれたティア姫様が進んで行く。

 少年少女達の鳴らすミスリルの鈴の音が、宮廷楽士達の奏でる音と共に礼拝堂に大きく響き渡る。

 祭壇の前に到着した二人は立ち止まり、オリヴェル王子がそっとティア姫の手を取る。

 一歩進み出たアルス皇子が、その手をそっと受け取る。

 それを見た王子は、ゆっくりと下がると参列者達の最前列にある空いた椅子に座った。それを見て、立ち上がっていた参列者達もそれぞれ席についた。



 手を取ったまま、アルス皇子とティア姫が揃って祭壇に向かう。

 それを見た大僧正は満足気に頷くと、手に持っていたミスリルの鈴を大きく打ち鳴らした。

 子供達の鳴らしていた鈴の音がピタリと止む。

 楽士達の演奏も同じくピタリと止まった。

「精霊王の御前にて、新たなる道を進みさらなる高みへ登るこの者達に祝福を」

 広い礼拝堂に、大僧正の朗々たる言葉が響き渡った。

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