言えない事と言ってしまった事

「おやすみ……」

 消えていく、レイが寄越した最後の伝言のシルフを見送りながら、ニコスは小さな声でそう呟き、その場に跪いて握りしめた両手を額に当てて深々と頭を下げた。

「未来ある若者達に幸いあれ。精霊王よ、かの地にいる我が愛し子をどうかお守りください」

 感極まったようにそう呟き、いつまでも顔を上げようとしなかった



 しばらくしてようやく立ち上がると、笑ったギードに背中を叩かれた。

「どうして、レイに言わなかったんだ? そのオリヴェル王子とティア姫様がここに来られていたと」

 からかうようなその言葉に、しかしニコスは笑わなかった。

「それは、俺の口から言っちゃあ駄目な事なんだよ。ギード、タキス。それからアンフィーにも改めて俺からのお願いだ。昼間見た事は、決して口外しないようにな。もちろんシヴァ将軍であっても、レイであっても」

「何故じゃ?」

 驚くギードに、ニコスは小さく笑って首を振った。

「本来、花嫁を連れてオルダムへ向かっている竜が他の場所に立ち寄る事など、決してあってはならないんだよ」

 断言するニコスにアンフィーを含めた三人が驚いたように息を飲む。

「もうお一人、ここに一緒にこられていた方がおられたろう? ずっと控えておられて、あまり話もなさらなかったけど、イクセルと、お名前だけを名乗られた。特に身分を名乗ることはなさらなかったが、マントに描かれていたのは、交差する剣と戦斧の前に立つ竜の紋章。そして胸元には副隊長を示す銀の柊の徽章を付けておられた。つまり、竜騎兵団の副隊長。我が国でいうところの竜騎士隊の副隊長に当たるお方なんだよ」

「何と。しかしまあ、考えてみればあのお方も竜に乗っておられたわけだからな。竜の主なんだから、言われてみればそれ相応の地位の方なのは当然だな」

 苦笑いしたギードが、腕を組んで何度も頷く。

 突然の来訪に驚き、オリヴェル王子とティア姫様にばかり目がいっていた為に、後ろに黙って控えておられたイクセル様とは、ニコス以外はほとんど言葉を交わしていない。

「だから、あのお方が一緒にこられていたと言う事は、少なくとも殿下お一人の思いつきで勝手にここへ来た訳では無いのだろうけれど、正式な先触れが一切無かった事を考えると、おそらくは直前の相談程度で突発的にここへ来られた。そしてイクセル様はここに目付役として一緒には来たが、ここでの事は、全て見て見ぬ振りをなさってくださったのだよ。だからわざと黙って後ろに控えていて、俺達ともほとんど喋らなかったのさ。もちろんロベリオ様方も、その辺りは弁えておられる筈だから、当然、絶対に口外なさらない」

 肩を竦めるニコスの言葉に皆呆然としながら聞いている。



「なんと、ご苦労な事だな」

 呆れたようなギードの言葉に、アンフィーが恐る恐る手を挙げる。

「ねえニコス、一つ質問しても良いですか?」

「ええ、良いですよ。私で分かる事なら教えて差し上げますよ」

「どうして、殿下や姫様がここに来た事を話してはいけないんですか? 俺、オルベラートの守護竜であるジェダイト様を見たって、ロディナに戻ったら自慢しようと思っていたのに」

 納得出来ないと言いたげなアンフィーの様子に、ニコスは苦笑いして首を振った。

「申し訳ありませんが、絶対に口外なさらないでください。そうですね。駄目な理由を分かりやすく言うなら……」

 少し口籠って考えていたが、苦笑いして顔を上げた。

「こう考えてください。今から結婚する若い女性が結婚相手のところへ向かいます。家からたくさんの祝福と共に盛大に送り出され、高価な唯一の乗り物に乗り、大歓迎で諸手を挙げて待っているお相手の家へ行く途中に、勝手に寄り道をして別の場所へ内密に向かっていた事を後で知ったとしたら、あなたが花婿の知人ならその彼女の行いをどう思いますか?」

「そりゃあ、一体全体、俺達に内緒であの時何処へ行ってたんだ。ってなるでしょうね。最悪の場合、その彼女の浮気と言うか……その可能性を真っ先に考えますね。行っても良いけど、何処かに寄るならちゃんと言ってから行けよって、あ、そうか。そう言う事か!」

 ようやくニコスの言いたい事が解って、アンフィは頭を抱えた。

「つまり、ここへ来たのは恐らくはティア姫様とオリヴェル王子様の独断。イクセル副隊長様は、姫様ご本人のお気持ちを考慮して、本当は駄目だけど見て見ぬ振りをしてくださった?」

「その通りです。この事実を口にしても良いのは、オリヴェル王子様ただお一人です。姫様が最初でもいけません。姫様は、あくまでも兄上様に送ってもらっているだけのお立場ですからね。殿下が、もしも何処かでこのお話をなさった後なら、アンフィーもジェダイト様を間近で見た話をしても構いませんが、殿下がそれを口になさらない以上、私達が勝手に話すわけにはいきません。それに殿下が、もしも何処かでこのお話をなさったとしても、私達にはそれを知る手段がありません。ですので、申し訳ありませんがこの記憶は黙って墓まで持っていってください。としか、私からはお願い出来ないんですよ」

「うわあ、これを誰にも話せないなんて、これはちょっとした拷問だぞ」

「申し訳ありませんが、諦めて忘れてください」

 顔を覆って机に突っ伏したアンフィーの叫びに、ため息を吐いたニコスが謝る。



「成る程なあ。確かに言われてみればその通りだな。文字通り国同士の絆となられるお方に、万一にも不実の噂が立つ事など、決してあってはならぬ訳だな」

 呆れたようなギードの言葉に、ニコスが苦笑いしながら頷く。

「そういう事だ。分かってくれて何よりだよ」

「今の其方の例え話は、これ以上無いくらいによく分かったよ。了解だ。この話は、各々墓まで持っていく事と致そう」

「そうですね。私達の不用意な発言一つで、万一にも誰かに迷惑をかけるような事が、あってはなりませんからね」

 ギードに続き、タキスまでが頷きながらそう言って同意する。

「もちろん私だって言いませんよ。言いませんけど! ああ、やっぱり悔しい!」

 バンバンと机を叩いて悔しがるアンフィーに、苦笑いしたギードが肩を叩いて背中をさすった。

「ほれ、もう一杯。飲めば記憶が何処かにこぼれ落ちるかもしれんぞ」

「あはは、そうですね。では遠慮なくいただきましょう。ここの酒は本当にどれも美味しいですからね」

 嬉しそうにそう言い、顔を上げたアンフィーは空になっていたグラスに新しい酒を注いでもらった。

「私はここに来られて本当に幸せですよ。まさかこんなにも長居する事になるとは思っていませんでした。仮の家族ですが、ここは居心地がとても良いんです。本当に、ここにいられて嬉しいんです……」

 立て続けに二杯の酒を煽ったアンフィは、潤んだ目でそう言うと、いきなり机に突っ伏して動かなくなった。

 慌てたタキスが立ち上がって脈をとり、様子を見てから苦笑いして席に戻った。



「まあ、お酒はいろんなことを吐き出させてくれたり、忘れさせてくれたりしますよね。良いじゃないですか。好きなだけここにいれば」

 優しいタキスの言葉に、二人も何も言わずに大きく頷く。

「大切な仲間に乾杯だ!」

 ニコスが笑ってそう言うと、タキスもギードも笑顔で立ち上がり、乾杯したお酒を一気に飲み干したのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る