お籠りの始まりと出逢い
「ああ、馬車が来たわ」
花で飾られた小さな馬車が、女神の分所の前で止まる。
整列して待っていた担当の巫女達は、小さく息を飲んだ。
駆け寄った僧侶二人が馬車の扉の鍵を開き、ゆっくりと扉を開ける。
先に二人の僧侶が降りてくる。
その後に侍女に手を引かれて、ティア姫が降りてきた。
ここは城の敷地内で、遠巻きに見学の人もいる。
ヴェールを下ろしたままのティア姫を、一同はすぐに案内して分所の中に連れて行った。
到着した部屋は、小さいが見事な祭壇が祀られた部屋で、祭壇の左右には小さな蝋燭が既に何本も灯されていて、優しい揺らめきを見せていた。
姫様の担当になったクラウディア達六人の巫女達は、手に小さなミスリルの鈴がついた短いミスリルの杖を持っている。
一定のリズムで鳴らされる鈴の音に併せて、ゆっくりと女神に花嫁の到着を報告する祈りの言葉が読み上げられ始めた。
ティア姫は、指定された場所で跪いたまま、俯いて両手を胸元で握り合わせている。
王族の花嫁のためだけに作られたこの祭壇には、小振りだが、見事な細工の女神オフィーリアの彫像が祀られている。そして、その女神像の足元の左右には、一段下がった場所に、水の守り神であり天候の神である息子のマルコット様と共に、竜人の子供であるエイベル様の像も置かれている。
長い祈りの言葉が終わると、立ち上がったティア姫は、祭壇の右横側に用意されている蝋燭を、右の端から一本取り、種火を灯している小さな竜の燭台からその蝋燭に火を移した。
黙ったまま、女神の像の前に置かれた空の燭台の真ん中にその蝋燭を捧げた。
再び、一定のリズムでミスリルの鈴の音が鳴らされる。
顔を上げたティア姫は、続いてマルコット様とエイベル様にも同じ様に蝋燭を捧げた。
今度はまた別の祈りが捧げられてから、ようやく到着の儀式は終了した。
ミスリルの鈴のついた杖を胸元に差し込み、世話係の巫女達はティア姫様の元へ向かう。
「姫様、期間中お世話を担当させていただきます巫女達を紹介させていただきます」
ガラテア僧侶の言葉に頷いた姫様を見て、横にいた侍女が一礼して被っていたヴェールをそっと取り外した。
ヴェールが外された拍子に、見事な銀髪を結い上げていた髪が落ちる。
「初めまして。お世話を担当させて頂きますリモーネと申します。女神オフィーリアの神殿にて一位の巫女の位をいただいております」
「初めまして。お世話を担当させて頂きますウィオラと申します。女神オフィーリアの神殿にて三位の巫女の位を頂いております」
「初めまして。お世話を担当させて頂きますロートスと申します。女神オフィーリアの神殿にて同じく三位の巫女の位を頂いております」
「初めまして。お世話を担当させて頂きますクラウディアと申します。女神オフィーリアの神殿にて同じく二位の巫女の位を頂いております」
「初めまして。お世話を担当させて頂きますニーカと申します。女神オフィーリアの神殿にて三位の巫女として勤めさせて頂いております」
「初めまして。お世話を担当させて頂きますジャスミンと申します。私は見習いでございます」
最後のジャスミンだけは、見習い巫女の服装をしているが、敢えて見習い巫女とは名乗らない。正式な洗礼は受けているが、ジャスミンは正確には見習い巫女では無いからだ。
顔を上げたティア姫は、笑顔でそれぞれが挨拶する度に軽く一礼して、よろしくお願いします。と言ってくれた。
そして、クラウディア達三人の挨拶を少し嬉しそうに目を細めて見つめていた。
「貴女達は精霊使いなのね」
その言葉に、クラウディア達が揃って笑顔で頷く。
「ティア姫様は、精霊が見えるとお聞きしました」
代表して、クラウディアが答える。
「ええ、特に右のお二人のシルフは、とても大きな子ね」
特に、ニーカとジャスミンの肩に座っているシルフは、クラウディアの肩に座っているシルフよりも一回り大きい。
「じゃあ、貴女達がそうなのね」
少し声を潜めて、ニーカとジャスミンを見ながらティア姫が嬉しそうに言う。
「はい、そうでございます」
「まあ、式が終わったら、貴女達の伴侶の竜を紹介してくださいね」
「もちろん喜んで」
ニーカの答えに、ジャスミンも笑顔で頷いた。
「それでは、お休み頂くお部屋にご案内致します。少しお休みいただいた後、またここに戻って頂きます。二度目のお祈りのあと、別室にて夕食をお召し上がり頂き、その後はまた別室にて、お水移しの祭事を行います」
クラウディアの説明を、ティア姫は真剣な顔で聞いている。
「それが終わりましたら、またここにお戻り頂き、引き続き祈りの時間となります。その際にミスリルの鐘をご用意しておきますので、お祈りを一段落終えるごとに鳴らして頂きます。お香はこちらでご用意いたしますので、最初の点火のみティア姫様にお願い致します」
「分かりました」
説明を聞いて、しっかりと頷く。侍女達から一通りの説明は聞いていたが、それと変わらないことに彼女は内心で安堵していた。
気丈に振る舞っているが、初対面の人ばかりのこの環境に彼女はかなり怯えていたと言ってもいい。
立ち上がった足が少し震えているのに気がついたのは、一番近くにいたクラウディアだけだった。
「姫様、どうかお楽に。大丈夫でございます。ここにいるのは皆、姫様のお役に立ちたいと願う者達です」
予定には無かったが、小さな声で思わずそう話しかけてしまった。
その言葉に、歩きかけていたティア姫の足が止まる。
ゆっくりと、横を向いたティア姫がクラウディアを正面から見つめる。
「あ、し……失礼を致しました」
思わず口にしてしまった自分の言葉を思い出し、クラウディアは慌ててその場に膝をついた。
「ありがとう。どうか立ってください。クラウディアでしたね。ええ、そうね。その為にいてくださるのだものね。もちろん頼りにしていますわ」
少しだけ笑ったティア姫の笑顔は、本当に嬉しそうで、横で見ていた他の巫女達や僧侶達までつられて笑顔になる。
「良かった。優しそうな方々ばかりで」
ごく小さな呟きだったが、その言葉に周りにいたシルフ達が一斉に笑い出した。
『姫様は怖がりさん』
『大丈夫なのにね』
『姫様は怖がりさん』
『皆優しいのにね』
『大丈夫だよ』
『大丈夫だよ』
そう言って、彼女の頬や額、それから鼻先にも次々にキスをしては笑っていた。
「だって、だって知らない初めての所は……誰だって怖いでしょう?」
少し赤くなって言う彼女の言葉に、もう一度シルフ達が愛おし気に笑う。
『心配性の姫様』
『大丈夫なのにね』
『心配性の姫様』
『姫様には私達がついてるのにね』
『ついてるのにね』
笑いさざめく彼女達を見て、シルフが見えるクラウディア達は、揃ってしっかりと頷いた。
「少しでもお役に立てる様に我ら一同心を込めてお世話させていただきます。少しでも、何か不安があればどうぞ仰って下さい」
「ええ、よろしくね」
今度の笑顔は、しっかりとした気概に満ちた笑顔だった。
そしてこの後、式までの半月の間に、クラウディアを始めとする巫女達六人とティア姫様は、すっかり打ち解けて仲良くなるのだった。
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