ティア姫の到着
「ティア、もう直ぐ到着だからな」
オリヴェル王子の優しい声に、ヴェールを被って顔を隠して背中にしがみついていたティア姫は、小さく頷いた。
遥か先にオルダムの街が見えてきた時、彼女は被っていた帽子を脱いで、持参していたヴェールを取り出して自ら被っていたのだ。
シルフ達の手によって整えられたそれは、ため息が出るほどの極細の糸で編まれた細やかなレースで、お城のレース専門の職人達が、花嫁の為に一年近くかかって仕上げてくれた大作だ。
「しっかりしなさい、アルスが待っているよ」
「……だけど、直ぐには会えないわ」
少し拗ねた様なその小さな文句に、オリヴェル王子は優しく笑った。
「半月なんて直ぐだよ。大丈夫だ。皆、待ってくれているよ」
「自信無いわ……」
「大丈夫だよ。貴女はそのままでいれば良い。ニコスがそう言ってくれたんだろう?」
無言でしがみつく細い手を、そっと優しく撫でた。
「どうか、かの地での貴女のこれからが、幸多きものである様に願うよ」
「兄様……」
「愛しい俺の妹。ほら、泣くんじゃないよ。シルフ達が心配している」
続く言葉は無く小さく頷く気配があり、それっきり会話は途切れてしまった。
『ようこそオルダムへ!』
『ようこそようこそ!』
大勢のシルフ達が、竜の周りに集まり、大はしゃぎで輪になって踊り始めた。
「ほら、顔を上げてごらん。シルフ達が歓迎してくれているよ」
優しい声に、少し顔を上げると、次々にシルフ達がヴェールの中に入ってきて、滑らかなその頬にキスを贈った。
「こんにちは、これからよろしくね」
ティア姫は精霊魔法を使う事は出来ないが、精霊達のことは見えていて少しくらいなら話も出来る。精霊達にとっては、彼女は優しい遊び相手だと思われている様だ。
「決して彼女のヴェールを人前で上げない様にね」
オリヴェル王子の言葉に、シルフ達が揃って頷く。
『素敵なヴェール』
『素敵なレース』
『想いのこもった素敵なレース』
『優しい風が守るよ』
『守るよ守るよ』
『花嫁様を守るよ』
『守るよ守るよ』
笑いさざめく彼女達の言葉に、やや強張っていたティア姫の顔にもようやく笑顔が浮かんだ。
真下に見える巨大なオルダムの街からは、物凄い大歓声が沸き起こっていた。
竜達は隊列を組んだまま、一旦街の上空をゆっくりと旋回してから城へ向かった。
「いつもの中庭に降りてください。姫様は竜車をご用意しておりますので、そちらへどうぞ」
シルフを通じて届いたロベリオの声に頷いた王子が巨大な竜をゆっくりと城の中庭に降下させる。直ぐ後ろに、イクセル副隊長の乗った竜も降りてきた。
少し離れた所に若竜三人組の乗る竜達も揃って降りる。
中庭には、ロベリオの言葉通り華やかな馬車が待機している。馬車の横にいるのは、女神の神殿の僧侶達と、オルベラートから先に到着していたティア姫様の身の回りの世話をする侍女達だ。
若竜三人組とイクセル副隊長は、竜の背から降りて整列しているが、決して巨大な竜の側には行かない。
背の上から立ち上がったオリヴェル王子が、そっとティア姫の手を取りゆっくりと降りて来る。
彼女の足は、明らかに空を踏んでいる。シルフ達が、足場の無い竜の背から降りる彼女を助けているのだ。
守護竜であるジェダイトの色である薄緑色のドレスを纏ったティア姫の顔は、真っ白な波打つヴェールに包まれていて、周囲の者達はその顔を伺う事は出来ない。
ゆっくりと地上に降り立った二人に、周りからため息の様な歓声と拍手が沸き起こる。
オリヴェル王子は、ティア姫の手を取ったまま用意された馬車の前までゆっくりと付き添う。
整列して待っていた女性達の先頭にいる僧侶に一礼して、そっとティア姫の手を離した。
もうこの時以降、結婚式が終わるまで、たとえ身内であろうとも、男性がティア姫様に触れる事は一切許されない。
手を離した王子が、名残惜しげにゆっくりと下がる。
しかしその目は、ティア姫の背中に注がれたままだ。
「ようこそオルダムへ。ティア姫様のお越しを一日千秋の思いでお待ち致しておりました。ただ今より、結婚式当日までの間、神殿内にてお世話をさせて頂きますシスティーナと申します。女神オフィーリアの神殿にて正一位の僧侶の位を頂いております」
両手を握り額に当てたシスティーナ僧侶は、その場に跪き深々と頭を下げた。
「ようこそオルダムへ。ティア姫様のお越しを一日千秋の思いでお待ちしておりました。ただいまより、結婚式当日前の間、神殿内にてお世話をさせて頂きますガラテアと申します。女神オフィーリアの神殿にて正二位の僧侶の位をいただいております」
同じく、両手を握り額に当てたガラテア僧侶も、その場に跪き深々と頭を下げた。
「どうかよろしく」
消えそうな声で、ティア姫が応える。
立ち上がった二人は、ティア姫様の手を取り扉を開けた竜車の中へ誘う。
三人と、もう一人世話役の侍女が乗り込むと、外から扉が閉められる。しっかりと鍵が閉められ、女性の御者の合図でゆっくりと二頭のラプトルは進み始めた。
女神の分所までのわずかな間だけのために用意された竜車だ。
走り去る竜車を見送ったオリヴェル王子は、俯いて小さくため息を吐いた。
「行ってしまったよ。分かってはいるが、なんとも切ないものだな」
しかし、顔を上げた時にはもういつもの凛とした王子の顔がそこにあった。
式当日まで、女神の神殿でひたすら篭って決められた祈りの日々を送る彼女とは違い、オリヴェル王子には外交というもう一つの大仕事が待っている。
振り返って若竜三人組の元へ向かう。
城に続く渡り廊下の手前には、アルス皇子を除く竜騎士隊全員と見習いの二人、そして竜騎士隊付きの第二部隊と第四部隊の兵士達が整列して出迎えていたのだった。
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